ジョーカー
魔の森に入って三時間、かなり進んだ。
ハルトは一度も迷うことなく前方を進む。エストワールは神官なので、息も切れ、追いつくのに必死だ。たまらず休憩を入れてもらう。
魔の森の奥地は恐ろしい場所だと聞いていた。しかし体感してみると、それほどでもない。出会ったモンスターはいたが、興味本位でこちらを見る程度で襲われることはなかった。縄張りを意識しているはずなのに、ある意味不思議だ。
「魔の森に入るのは初めてではありませんが、ここは静かですね」
ジェットは笑う。
「ハルトは最高のテイマーだぜ? 俺の教育が良いんだ!」
それは支配を終えているから、ハルトを襲わないということだろう。エストワールは感心する。
「卒業を視野にいれる実力でしょう。魔の森を制覇できるなんて、一般の勇者以上ではありませんか」
ハルトが厳しい瞳でエストワールを見据える。
「テイマーとしての実力があっても他に問題があるので卒業は先にしてください。そうしないと、ここでの安全は保障しません」
「生徒が神官を嚇すのですか? 私は最高権力者ですよ」
「俺は良き交渉相手だと思っています」
「……。10歳とは思えませんね」
「……」
それからはお互いに沈黙が続いた。エストワールは生徒に守られていると思うと不思議な気分だ。それからハルトは警戒し、少し離れた場所で会話を避けている。
「いつもと様子が違いますね」
「笑っていないからな。怖いか?」
エストワールは首を振る。
「心配なのです。彼の微笑みを奪ったのは何なのでしょう」
ジェットは怒りにも似た眼差しで目的地を睨んだ。
「そのうち分かるよ。エストワールには少しお話しておかなければいけないようだな」
※ ※ ※
さらに進むと、角が付いた熊のモンスターが佇んで待っていた。ハルトが近づくと頭を下げてくるので、鼻先を撫でる。
フゴォ~と、甘え鳴きをしているが、体格だけで普通の熊の何倍もある。とても人力では敵いそうにない。
ハルトはその先の道を譲った。どうぞと促すのは現場の状況を知っているからだ。
エストワールが奥に進むと、汚れた神官服の男が倒れていた。意識はなく、肌は冷たく固い。そして首がボールのように転がっていた。初老の白髪、マグワイアで間違いないだろう。
「おお、神よ……」
エストワールは祈りを捧げ、亡骸をチェックする。
「無力な王宮神官に、なんと酷いことをする」
ジェットは死体の腕や足を調べる。エストワールが袈裟斬りにされた制服の襟をめくると鎖骨に双頭の鷲の入れ墨を発見した。
「彼はアブソルティスの構成員だったようですね」
「!」
ドサッ!
遠巻きにしていたハルトは座り込んだ。立っていられないほど顔が蒼白になっている。ジェットはすぐに抱きしめた。
「大丈夫だ! 俺がいる」
そしてハルトが落ち着くのを待った。
「すみません、取り乱してしまって」
謝っても身体の震えが止まらない。
――落ち着け。気配で分かるだろう。ここは安全だ。ジェットもいる。守りは完璧だ。せっかく隠れているのに、狼狽したらライカが喜ぶだけだ!
エストワールは心を痛めた。
「道先案内人として、よくここまで頑張ってくれました。殺人現場は衝撃的でしょう。離れてお休みなさい」
ハルトも手掛かりが欲しくてここまで来た。いくらショックでも、ここで休んでいるわけにはいかない。
「大丈夫です。モンスターからの情報では人間の匂いが二つあるそうです。ひとつはマグワイア、もうひとつが犯人でしょう」
エストワールは悩む。
「手掛かりに繋がるものを探しましょう」
ジェットはアイテムボックスを広げると、棺を出し、ハルトと二人で遺体を収容した。別の場所にあるマグワイアの顔はカッと目を開いたまま、苦しみを吐き出すように固まっている。ハルトは思わず後退した。
「ジェット、ごめん」
「だから少し休んでいろよ」
ハルトは頷くと、座るどころかテーブルとイスを並べ、焚火で湯を沸かし始めた。
「エストワール先生、こちらへどうぞ。コーヒーと紅茶、どちらがお好きでしょうか」
実に丁寧な対応である。
「いいからゆっくり休みなさいと言っているのに、君も強情ですね」
「動いて気を紛らわしたいので、お構いなく」
「ではコーヒーでお願いします」
「かしこまりました。シナモンクッキーはいかがでしょう」
「これも君が作ったのですか?」
「お菓子は趣味の範囲なので、味は普通です」
「私はクッキーを勧められると、大概断ってしまうのですよ。なにしろ惚れ薬が混ざっているのが怖くて。久しぶりに食べましたが美味いですね。でもジェットには甘すぎるのではないかな?」
ジェットは手を洗いながら笑う
「俺はフルーツ派だから要らない。ハルトは毎晩美味いメシを作ってくれるんだ。凄いだろう」
「それは羨ましい限りですね。今度ディナーに招待してくれますか?」。
「光栄です」
ハルトに微笑みが戻ってきて、ジェットは安心した。
ジェットは微笑みながらシナモンの粉をコーヒーに振った。
「コーヒーに入れるのですか?」
エストワールは驚いている。
「普段のコーヒーもいいが、独特の甘い香りになる。やってみるか?」
「私はクッキーをいただいているので十分です」
ジェットはハルトのコーヒーが隣にあることに気付く。
「ハルト、かけるか?」
ブチッ!
長い果物の皮が切れて、ナイフが落ちた。ジェットは驚いた。ハルトが料理で手を斬るなんて前代未聞だ。ジェットが茫然としている。
ハルトは自虐的に笑った。
「失敗しちゃったな」
ライカに一翔かと聞かれたのが、あまりにも怖かったから?
勇者見習いのハルトになって5年を経ても、やはり中身は浅利一翔だと気付いた。
ジェットに笑顔をみせる。
「いやぁ、――目が覚めた」
ハルトは回復魔法を使えないが、指の傷は簡単に癒えていく。誰よりも聖女と強い絆がある証だ。
――シェラ、心配しなくてもいい。俺はもう大丈夫だよ。
ニコニコしながらエストワールを眺める。
「本題に入りましょう。マグワイアがアブソルティスということは、王宮神官としては裏切り者ということになるのでしょうか」
「そうです。アブソルティスはテロ組織であり、王宮から勇者を奪う憎むべき相手。背徳者は断じて許しません」
「マグワイアはRBCに勤めて長かったのですか?」
「半年前に工房の欠員補充として呼びました。性格は真面目で特に問題は無かったですよ。――おかしいですね、私が質問したいのに、君の瞳は不思議だ」
「――あ、すみません」
ハルトが謝る理由は分からないが、何かしたのだろう。ジェットに蹴られていた。
「ソウルブレイカーを手に入れたのが工房でなければ、もう一人の人間、それもここまで連れてくるだけの実力ある者が持ってきたと推察します」
エストワールは質問する。
「ソウルブレイカーを気にしているようですが、どうしてですか? 練習用の剣で戦うことに安全以上の意味がありません。何故、君は狙われると感じたのでしょう。単なる被害妄想に感じます」
「侵入者、というか内通者がいたから、何か起きてもおかしくない状況でした。それに“魂砕き”だから……」
「詳しく説明してください」
ジェットが代わりに説明する。
「ハルトが最劣勇者と呼ばれて成績が低めなのは、魂が非常に不安定な状態にあるからだ。ソウルブレイカー程度でも傷がついては、ひとたまりもない。あれは殺人を目的とした行為だ」
「殺人? 穏やかではないですね」
エストワールは、ハルト自身に事情説明を求めた。
「クラウドに入手先を訊ねるとマグワイアでした。マグワイアが殺人を指示したなら、そこにいても良いのに、姿がなかった。すぐさま魔力探知しましたが、見つかりませんでした。そこでモンスターたちに訊ねると、魔の森に神官らしき死体があると聞きました」
ジェットは付け加える。
「ここ最近、魔の森にやけに強い人間が出入りしている。マグワイアがそいつと何等かの関係があったなら、この場所まで来ることが可能だ」
「なぜ魔の森に?」
「単に二人でいるところを見られたくなかったのだろう」
「でもこんな遠くでなくてもいいのではないでしょうか?」
「距離は関係ない。空間魔法の使い手ならな?」
「空間魔法ですか。聖女しかできませんよ?」
「そんなことは無い。現に見習いでは倒せないようなモンスターの遺骸が見つかり、身体が欠損していた。前例を知っているだろう?」
エストワールは厳しい顔をした。
「第二のライカが生まれようとしている。ジェットはそのように考えているのですね?」
ハルトは半泣きでジェットの顔を見た。
「そうだ」
うろたえるハルトの腕をジェットがしっかりと握った。
「可能性だけだ。まだ決まったわけではない」
ハルトはコーヒーを飲み干した。ホッと息を漏らして語る。
「ソウルブレイカーが致命傷になると知っているのは、ごく限られた人間です。アブソルティスだとは思いたくなかったんです」
「アブソルティスと君にはどんな関係あるのですか?」
ジェットはハルトに命令する。
「足首を見せてやれ」
「――!」
ハルトは困惑したが、ジェットは促す。
「いずれ分かることだ。誤解を招かないためにも今、この場で説明しておこう」
「ジェットを信じるよ」
ハルトは足首を晒す。双頭の黒鷲が剣と杖を持つ紋章だ。エストワールの顔が見る間に蒼白になった。嫌悪感を抱いたのは間違いない。
エストワールは呟く。
「彼らは我々の希望の子らを凌辱し、怠惰させる! その仲間だったというのですか」
ハルトは目を瞑って堪える。ジェットは首を振る。
「違う! ハルトは唯一の希望であり勇者だ。これまでライカに数々の勇者が魂を奪われ、支配されてきた。けれどハルトは耐えた。ライカの支配を拒否し、アブソルティスの意思に逆らい続けている。勇者の紋章も健在だ、右手も見せてやれ」
エストワールは声が出ない。二つの紋章を持っていることに困惑している。
「そんなことが可能とは。勇者一人に対して契約できるのは三人の聖女のうちの誰か一人。ひとつの魂にひとつだけだと聞いています」
「ハルトが5歳の時に、魂を奪い合った結果だ。今、RBCにアブソルティスが紛れているのは偶然か必然か分からない。だがライカは今もクラム・ヴァンハルトを探し続けている。
ハルトがクラムであるか、ソウルブレイカーで魂を砕いて確認する。もしあの時、本当に魂を砕かれたなら、大変なことになっていた。
クラムであることが露呈すれば、まずライカが身体を乗っ取るだろう。もちろんハルトは抵抗するだろうが、砕かれ過ぎた魂では発狂するだけだ。
そうなればRBCどころかフォレストパレスまで壊滅し、王宮は聖女を失うだろう。彼にはそれだけの実力がある」
エストワールは頭を抱えた。
「本当なのか」
「小太郎の息子だぞ?」
「とんだ拾い物だな」
シェヘラザールがRBCに入学させたのは、ライカから守るためだったのだ。結界の中でならアブソルティスであっても容易に行動できないと判断してのことだ。
「何故もっと早く報告しなかったのだ」
ハルトは言った。
「平和だったからです。この五年、俺はとても幸せでした。いつか来ると分かっているとしても、それまでは一切のことを忘れていたかったんです。
もしエストワール先生が、俺を見放して卒業させるというなら、俺はたぶんアブソルティスになってしまうと思います。俺はそうなるのが嫌で、ジェットに修行をお願いしています。それでも時間と実力が足りません」
ジェットはエストワールの肩に手を置いて囁く。
(五年あれば世界一の勇者が誕生する。その瞬間を見たくないか? それに今追い出して卒業させるとアブソルティスが強くなる一方だぞ)
エストワールは目を瞑る。
「マグワイアは単身で魔の森に入り、運悪くモンスターに襲われて亡くなった。それをジェットが発見し、私と共に遺体を確認し引き取った。そこにハルトが居合わせただけ。私はハルトの過去に関して一切聞いていない。こういうことで良いのだな?」
ジェットはニヤニヤ笑う。
「な? 話の分かる男なんだよ~!」
ハルトはホッと息をもらした。
「ご厚意に感謝します。エストワール先生」
エストワールは微笑む。
「君はジョーカー(切り札)だな。タイミングさえ間違えなければ、ゲームの流れを支配する鍵になる」
「俺は最劣ですよ? 上手に使ってくださいね?」




