勇者に生まれてしまった
俺の名前は浅利一翔。
今、たいへんなことになっている。
思考は朦朧としている。暗闇から目覚めても、視野はぼんやりとしていた。手足は思うように動かすことができなかった。でも、温かく、やさしく包まれている感じで、さきほどまでの痛みが嘘のようだ。
綺麗な星空だ。ただふわふわと宙を漂っている。雪崩に巻き込まれて瀕死という酷い現実からは逃れられたけれど……。
――俺、死んだ?
まだ身体の感覚がある。ということは瀕死なんだろうな。
あぁ、でも陽翔は……。
陽翔は霊体だった。この雪崩で先に逝ってしまったのだろう。半身を失ったようで辛い。一緒に生まれて、いつも隣にいて……双子だから死ぬのも一緒だな。
もうすぐ俺もいくよ。
できれば次の世でも陽翔と一緒がいい……無理かな。
“兄さん、起きて。……。もう、一翔!!”
陽翔の元気な声がした。
――あぁ、陽翔は助かったのか……良かった。
突然の雪崩に大事なものをたくさん失ったが、陽翔が生きていたのは最後の希望だ。
でもごめん。やっぱり俺はこれまでだ。今の俺は痛みを感じないほど朦朧としている。きっともうすぐ死んで……
“兄さん、違うよ。死んでない。起きて!”
――死んでない。そうか、良かった。え? 俺も助かった?
“助かったんだよ! 俺、幽霊みたいになって、もうダメだと思っていたら、生きてた!”
――生きていたらなら良かったじゃないか。
暖かな光と温もりに包まれ、ほわほわする。すっごい心地いい。身体も動かないし、陽翔も俺も死んでいないそうだ。ならばこのまま寝ていよう。
“女の子から、勇者の紋章っていうのをもらったんだけど、どうしよう。名前はハルトだっていうけど、兄さんのこと説明できなくて……”
すごく眠いのに、陽翔はしつこく話しかけてくる。
――女の子からのプレゼントなら、お前が貰っておけ。俺は眠い。
“兄さん、俺真面目な話をしているんだけど。ねぇ、寝ぼけないで。勇者になっていい?”
――なりたきゃなればいいだろ? 俺はいつだって陽翔を応援するから、やりたいようにやれ。だが、今はとにかく寝かせてくれ……疲れているのかな。すごく眠いんだよ……
その時、俺たちは赤ん坊に転生していた状態で、兄弟がひとつの身体に同居しているなんて想像できるわけがない。
俺が朦朧としている間に陽翔は勇者になることを受け容れ、手の甲に勇者の紋章が光った。
普通に召喚されたかった~!
いくら二人が似ていても、転生してワンセットにまとめることないよな。
この世界に勇者として誰かが召喚されるのはいつものこと。老若男女がそのままの姿でランダムに選ばれる。だから身動きできない老人や赤ん坊は廃棄処分が通例だった。
運良く小太郎に助けられた俺は超ラッキーボーイだ。しかも危害を加えないどころか、悪戦苦闘しながら俺のおむつ替えをしてくれる。
何故拾ってくれたのか理由なんて分からない。でもその日から俺たちは親子になった。
※ ※ ※
街はずれにテントを張った大集団が露店を開いている。両側に店を構えてできた通りは賑やかで、まるで新たに街が出来上がったかのようだ。
ある男が店の隙間を分け入り、ひときわ大きく豪華なテントに辿り着た。そこでは屈強な護衛が二人で入り口を塞ぎ、厳しく目を光らせている。
男は貧相な恰好で、フラフラと遊び歩いているように見えた。おおかた暇つぶしに見物に来たのであろう。
「ほほう、金持ちらしい豪華なテントだなぁ。ここでは何を売っているんだ?」
こういう事は毎回のことだった。
ちょっと名の売れた田舎戦士がやってきて、力自慢をする。所詮は実力が無いから、アピールするのであって、エクシルの護衛の実力にはとうてい及ばないというのに。
「貧乏人に売る物は無い。早々に立ち去れ!」
「オレは天下の勇者、コタローだ! ほら通せよ」
護衛の一人は鼻で笑う。
「貴様がコタローな訳ないだろうが! 偽者は去れ去れ」
追い返して息つく暇もなく、似たような男が現れた。大きな布包みを首から下げ、俯いてはデレデレと笑っている。
「大商人エクシルのテントはこちらか? 私、春田小太郎と申します」
護衛の二人はため息まじりに言った。
「また来たよ……」
「キモチ悪い男だな。おい、近づくな。早々に立ち去れ!」
護衛は胸を押して、退けようとする。首から下げた袋にまさか赤ん坊がいるとは知らなかったのだ。
「ふぎゃあ!」
泣いたのは護衛だ。触れる寸前で手首を捩じられた、おかげで赤ん坊はスヤスヤと眠りについたままだ。
「俺の息子に何すんだ。殺すぞ? いや、殺すのはマズイな。エクシルの顔を立てて気絶程度にしてやるぞ」
「この!」
隣の護衛が大声を上げた途端、泡を吹いて地面に倒れた。動きがまったく見えなかった。こいつはもの凄く強い。
「あ~。頼むから大声を出さんでくれたまえ。やっと寝たのに起きてしまう。これから大事な話をするんだ。面会の予約はとってある。確認してきてくれるかね?」
睨まれただけで、護衛はコクコクと頷く。
待っている間、小太郎は赤ん坊を見てはデレている。
「キャラバン隊は差別が少ないと聞いていたんだがな……大丈夫でちゅかねぇ?」
本物の小太郎が来たと伝わったのだろう。若く独身のヒーローを見たいと、キャラバン女子が集まってきた。喜びと期待度は計り知れなかった。
「この間、引退したって新聞に載っていたわ」
「エクシル様にどういうご用件かしら」
「赤ちゃんがいるということは、コタローの子よね?」
「ええ? 勇者って結婚できないわよ」
「バカね。結婚できなくても子供は生まれるわよ」
「じゃあ何? 母親はどうしちゃったの?」
「きっとどこかの王女さまと駆け落ちして、隠し子とか!? 挙句に果てに母親は病気で……」
「あんた考えすぎじゃない? 妄想しすぎ」
小太郎はフレンドリーに女子たちの手を振るが、反応は微妙だ。おおよそがフクザツな事情があるのだろうと不問にしてくれる。
エクシル自らが迎えに来た。恰幅の良い大商人だ。護衛の不備を詫び、別室で茶を勧めてくれるので恐縮する。
「目立ちたくないので庶民の恰好をしておりました。間違えてもしかたないことです。どうかお構いなく」
商魂たくましい笑顔だ。
「何を着ても英雄のオーラは隠せませんよ? 私は一目でわかりました。ノマド(遊牧民)装備でしたら勇者の名剣も隠しませんと華やか過ぎて目立って仕方ありませんよ?」
「これは隠せません。この仕事は一秒で命獲られます。いつエクシル殿の後方に現れるとも限りませんから」
「追われる身も大変ですなぁ」
「だからこそのキャラバン隊がいい」
「私たちには信じられないほど幸運なことです。世界一の勇者が退職されたのなら、もっと素晴らしい役職をご用意されていたのではないですか?」
「資金面では豊かでしょうが、誰かに騙されたり利用されるのはこりごりです。ここなら、そういうこととは無縁でしょう。敵はひとつに絞られますし」
「たしかに我々は自由な民ですが、英雄に見合った報酬は厳しいかと存じます」
「私は商人ではないので、金の問題は二の次です。大事なのは、今ある命をどう守るかということ。無用な争いに家族を巻き込みたくないなら、身をひそめて暮らすべきです」
エクシルは赤ん坊を片時も離さない小太郎を見て、微笑んだ。
「金貨は難しいですが、人も環境も宝になります。隊長職は忙しいです。直属の部下とお子さんの面倒を看る者をつけさせましょう」
「とても助かります」
赤ん坊は手足をばたつかせる。
まだ言葉が出るほど、声帯と言語能力が発達していない。おむつかぶれが酷いのだ。小太郎の育児は雑すぎる!
「――あうう!(大賛成!)」
そして小太郎はキャラバン隊の隊長になった。
ここでは過去と差別は無い。国籍や人種、特別扱いという枠を超え、ただ賑やかで楽しい。時には喧嘩も交えながら、終わらない旅を続ける。
ずっとこうして生活していたかった。なのに運命の糸は絡まり、ひとつの糸玉となって、俺たち兄弟を困難な状況へ巻き込んでいく。