愛しのディスカス
陽翔は穏やかな風が頬に触れるのを感じて目覚めた。
上掛けになっていたローブにハッとする。小太郎のテントにいつもおいてあったものだ。
起き上がろうとすると、小太郎がやってきて、必死に留めた。
「起きてはいけない。回復が追いついていないから、そのまま動かないように」
「ディスカスは?」
小太郎は優しい。
「いるよ。一翔は無事か?」
「いるけど……しばらくは無理みたい」
小太郎は深刻だ。
「今すぐ起こせ。君が危うい」
陽翔は微笑んだ。
「小太郎っていい人だよね。でも俺は譲らないよ。兄さんは本当に頑張ったんだから、俺も頑張るよ」
「駄目だ!」
「小太郎、怒ったの? でも一回きりならいいや、兄さんはいつも怒られてばっかりだけど、俺には怒らなかったから、はじめてかもね」
「馬鹿なことを言ってないで一翔を起こせ! 君が消えたら一翔も狂う。一翔の魂が正常でいられるのは君のおかげじゃないか。一翔は君の肉体を補い、君は一翔の魂を補う。お互いで支え合っているんだろう!」
陽翔は沈黙した。とても驚いたのだ。
「小太郎の意見じゃないよね? そんなことを考えないもの!」
図星すぎて小太郎が赤面した。
「ある人から聞いたのだ。名前は言えないが、俺の信頼する人だ」
「信頼する人? 説得力ないなぁ」
「上司だよ!」
「上には逆らえない? ホント日本人らしいね」
「違う。味方だからだ。そいつがお前らの召喚を予言し、俺をあの場所まで導いた。でも育てると決めたのは俺だ」
「ふふ。小太郎やっぱりフリーじゃなかった。俺は最初から怪しいと思ってた!」
「俺のことはいい! 一翔に代われ。具合は悪いだろうが、こっちで何とかするからとにかく安静にしていろ。わかったか?」
最後には頼むような説得なので、陽翔は頷いた。
「上司のことは一翔にも内緒にしておくね。あとはお願いします、お父さん!」
小太郎の手をとったまま陽翔は眠った。一旦緩くなった手は離れることなく強く握り返してきた。
「ディスカスの欠片。早く」
眉間に皺を寄せ、訴える。小太郎は一翔を担ぎ、急いでディスカスの胸に手をあてさせた。
「手伝おう」
二人はディスカスの欠片と魔力を送り続ける。一翔は腕がガクガクと震え、息が荒れている。細い子供の腕が青白く光りを帯び始める。
死なせない。
絶対に、生きるんだ。そして一緒に宿屋をやろうよ!
やがてディスカスは目を覚まし、一翔の手に触れた。
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
小太郎は急いで一翔の腕をはぎ取った。一翔は首を振る。
「邪魔するな!」
一翔が送る魔力はディスカスの中心にとどまらず、川のように過ぎ去るだけだ。一翔がいくら望もうとも、身体が限界だ。あらゆる血管が破れて紫色に腫れあがり、このままでは壊死する。
ディスカスは一翔に微笑む。
「仕方ないことだ。この世界で生まれた人間はマナコアを奪われたら、長くはもたない。別れの時間を貰えただけ満足だ。君には感謝しかないよ」
「感謝なんて。俺が……俺のせいで」
「そうだねぇ。君のせいで充実できた。宿屋を継いでくれると言った時は嬉しかったなぁ。それに君は底無しの魔力で凄い可能性に満ちている。最後は宿屋であり魔法使いとして花道を作ってくれた。君を守れたことを誇りに思う。ずっと子供が欲しかったんだ」
「終わったみたいなこと言うな! きっと何か方法があるよ」
「もう年老いたし、ボロボロのまま生きるのは辛い。だから生まれ変わらせてくれ。ブッキョーという法典には輪廻転生という呪文があるらしいじゃないか。そうだろう? 小太郎」
小太郎は俺をディスカスから遠ざける。
「そうだな」
どうして俺はこんなにも無力なのだろう。どうしたらディスカスを救うことができるのだろう。幾百万の想いを、最後に伝えるとしたら。
「宿屋になるよ! 絶対になるから!!」
ディスカスは笑いながら手を振っていた。
「――また、いつか」
いつか会おう。
時を超え、生まれ変わって記憶をなくしても、めぐり逢いに運命を感じたなら、それはきっと約束が果たされた証なのだから。
※ ※ ※
しばらくして小太郎一人が戻ってきた。
「あまり遅いから、勝手に旅立とうかと考えていたよ」
「そう急くな。寝ぐずりしやがって、子守唄が必要だった」
ディスカスは笑う。
「君には言いたいことがいっぱいある。まず、愛する息子を譲ってくれてありがとう」
「譲った覚えはねぇぞ。ボロカス」
「懐かしいね、ボロカス。最初はそう呼ばれたな。――君に負けた時だ。かなり自信があったんだけどな。その後も何度か挑戦した。生意気な男だったよ」
「そうだ。だからクソカスでいいだろ。何度も挑戦してきてウザかったぞ」
「仲間になったら一番弱くてなぁ。ジェットも君も天才だから、平凡は辛かった。チームでは一番実力がなくてミソッカス。ディスカスと呼んでくれたのはいつのことだったか」
「魔塔に行くのに、俺が頭下げた時だ」
「そうそう、魔塔。あれは楽しかった。魔法が不得意な君にとっては地獄だったろうが、魔法使いの力の見せ所だった」
「いろいろあったな。宿屋になると言った時は驚いた」
「楽しかった。特にこの数か月、私はとても満たされていた。一生家族は持てないと思っていたのに、彼が宿を継いでくれると言った時、どれほど嬉しかったことか」
「あいつは元々宿屋の息子だからな。志半ばで未練もあっただろうよ」
ディスカスは笑う。
「運命だなぁ。出会いも別れも……」
ディスカスは苦痛に耐えながらも笑みを絶やさない。
「――あぁ時間だ。早いなぁ。じゃあ約束の時だ。耳がきこえるうちに、呼んでくれるかい?」
小太郎は喉を詰まらせた。
「――ディリ、ディリクテル。死ぬな」
「ルじゃない。そんな終わりでいいのか?」
「ディリクテスローカスルマーレ。最高の魔術師だ。死ぬまで忘れない」
「また不正解だ。死んでも忘れないの間違いだな」
「ディスカスでいいじゃねぇか。畜生、恰好悪いところで終わらせたくねぇぞ」
ディスカスは笑った。
「一秒でも長く生かしたいのは分かるが、無理だぞ。そういうネタで本当に終わったら後悔するぞ?」
「――だってよぉ」
「ふふ。君の泣きそうな顔はいつだって笑える」
ディスカスは眠るように静かだ。まだ早い。大事なことを伝えていない。
「ディリクティス!」
しばらくして返事があった。
「おや、ちゃんと言えたじゃないか」
「フェイクかよ。忘れるはずないだろ」
「たまたま言えたくせに強気なことを。墓にはディスカスでいいぞ。墓参に来るたびに墓を探されちまうからな。
――あぁ。楽しかったよ、お前との旅は。これから私はあっちでエリザベスとうまくやるんだから、お前は来るなよ」
「俺の女だぞ、まぁ宜しく言っといてくれ」
返事は無かった。皮肉っぽい笑顔のままだ。
眠り落ちるさまはあまりに深く、二度と覚めることはない。
「早すぎるだろ……ボロカスになりやがって」
その瞬間が迫ってきている。
「クソカスの根性はどうした」
蒸発するように魂が肉体から離れていくのがみえた。
「ミソッカスでも生き残れよ。大魔法使いだろ、根性で甦れよディスカス!!」
幽体になったばかりのディスカスは困ったように笑っている。
小太郎は何時間もその場所で動かなかった。どこまでも静かに見送り、無事に天に召されるまで見届けようとした。
あまりの静かさに、じわじわと怪しい気配が獲物を狙うように湧き出した。
魂の抜けた肉体に憑依しようとは死者への冒涜だ。
「――失せろ。亡者ども!!」
小太郎が激昂すると、再び静けさが戻る。
「ディスカスよぉ……ありがとな、息子守ってくれて」
足音もなく男は突然現れ、むせび泣く背中を慰めた。
「おかげで良い宿屋になれたよ」
いかに熟練の戦士であってもこれは驚くし、見られていたかと思うと腹も立つ。
「――またお前は。いつも気配もなく現れやがって。心臓止まるっての!」
背の高い男はまだ若い割に自信に満ちて堂々と歩いている。
「彼との絆は途切れさせない」
小太郎の前を通り過ぎ、目を瞑ってディスカスの亡骸に触れた。
――迎えにきたよ。
ディスカスの身体に呼び寄せられるように、わずかなオーラが近くにいる魂を誘う。それを見た小太郎は目を細める。
――行こう、ディスカス。
炎のような光が復活し、小太郎の前で一周すると、男の胸に吸収されていった。小太郎は男を信用しているが疑問は残る。
男は集中し、ブツブツと誰かと会話している。
「オッケー。いいよ、そう、そのまま……」
男の胸の中央が激しく光を放つ。ディスカスの胸にあてた右手と激しくリンクして鼓動のように光る。小太郎は眩しさにしばらく直視できずにいた。
「小太郎。見て」
男の声に振り返ると光が収まっていた。ディスカスの亡骸は消え去り、代わりに男は赤ん坊を抱いていた。小太郎は久しぶりに心の底から震えた。
「宿屋の息子にはちょうど良いかな」
すぐに男と赤ん坊は霧のように姿が薄くなる。
「でも力使い果たしちゃった。ご対面まで、二十五年待ってくれ」
「はぁ!? 畜生、俺いくつになってるか分かってんのか。ジジイだぞ」
「それは仕方ないよ。抱っこできるのを楽しみにしてて。ジイジって呼ばせてあげる」
小太郎はドッと涙が溢れた。深く頭を下げた。
「よろしく頼む」
――ディリクティス・ルーカス・ロマーレ。新しき人生に幸多かれ!




