初めてのお客様
俺は“宿屋の心得”を取り出し、じっくり眺めた。まだ新品で、ほとんど何も書かれていないからノートみたいだ。題名さえも空白になっている。
でも中表紙は書いた。愛おしそうに、指で文字を辿る。
一緒に 仲良く 楽しい旅を!
これが俺の目標だ。この下の欄には店の屋号が入る予定だが、まだ書くことができない。
理由は次のページにある。
====================
職 業 :宿屋 LV:1(野外)
獲得スキル:野宿 LV:1 形態:素泊り
兼業スキル 虫よけ: 75
栽 培: 35
収 穫: 55
====================
屋根のある宿屋になる日はまだ先。備品もたったの三つ。小さな焚火・ハンモック・水筒だけ。
「厳しいなぁ」
経験値を積むには、宿屋の仕事をするのが一番だ。いつまでもベルに客になってもらうだけではダメだ。
気合を入れ、立ち上がる。
客はいないけれど、美しい満月を相手に練習しておこう!
俺は宿屋だ。
まずは基本、元気な挨拶と笑顔だ。
『旅の宿屋へようこそ 一晩5GILですがお泊りになりますか?』
宿屋の主として、新しい人生を!
『旅の宿屋へようこそ 一晩5GILですがお泊りになりますか!?』
新しい出会いを!
『旅の宿屋……』
新しい出会いは、ぜんぜん無かった。
「馬主連合のケチクソが……」
馬車に乗れれば、簡単に隣の村まで行けるのに。
この草原は一般的に、馬車で通過する平和な平原。だから何日も野宿して苦労しているのはひとりと一匹だけ。
「うう。前途多難」
俺は力尽きて膝を折り、がっくりと肩を落とした。
※ ※ ※
ヒュウウと風が草原に吹き抜ける。すると、草の間から長い耳がピンと立ち、暗闇にも白く愛らしい顔が出た。
「あ、ツノウサギ♪」
思わずモンスターに微笑みかける。
額にツノがあり、夜でも赤く光る眼は魔物の特徴だ。もちろん肉食で、長い耳で獲物を見つける。跳躍に長けて動きも早いから、時に人間も襲う。あの尖った前歯と爪はかなり強力だ。
――狩りに来たのかな?
満月になると魔力が満ちるせいでモンスターは狂暴になりやすい。十中八九、美味い餌だと思われているに違いない。
重心をかけた右足からスプリングの軋む音がした。
「あ」
焦った。脚は酷使できない。壊れてしまうかもしれないと不安がよぎる。助けを求めるように横目でベルを見た。けれど寝ているか、寝たフリだ。
ツノウサギが近づく。
すると蔓草で編んだベストを着ていた。知能がある証拠で、動物的な魔物ではない。理性があって大人しい様子からして、この子はお洒落で、ちょっと文化的だ。
「こんばんは。月が綺麗ですね。声がしたので……何かお困りですか?」
ツノウサギは流暢な言葉で優しく話しかけてきた。
俺は耳を疑った。
「はい! お泊りですね!」
「お隣?」
「素敵な夜をご提供させていただきます」
ベルの猫耳がピクついている。ウサギ程度に宿が何たるものか理解できるはずがない。なのにお困り・お泊り・お隣だ。こんなすれ違いが誤解を生む。
ベルは眠い瞳で一瞥し、鼻息を漏らした。いつものことだ。
優しく敵意も無い声にツノウサギは惹かれ、寄ってきた。どうやら視線を通わせ、心が通じ合ったようだ。
ベルはゆっくりと頭を上げ、ガラスのような美しい瞳で見据える。
「! あわわ……」
ツノウサギは怯えて背中を見せた。
※ ※ ※
ウサギが逃げる! 俺はめちゃくちゃ早口で言った。
『旅の宿屋へようこそ 一晩5GILですがお泊りになりますか?』
「宿屋?」
ツノウサギは二度見した。人間と会話したのは久しぶりだ。いつも害獣として軽蔑され、狩りの対象にされてしまうのに?
「ワ……ワタチは魔族でしゅよ? ころしゃないでしゅか? 売り飛ばしてウシャギ鍋にちないでしゅか?」
ツノウサギはガタガタ震えている。
「とんでもございません。お客様をおもてなしするのが俺の仕事なのです」
「お…! おきゃくしゃま!! 人間が……まじょくを??」
「お客様になってくださるなら、魔王レンでも大歓迎です」
「はう! あの方のことを軽々ちく口になしゃって……命がいくつあっても足りましぇんよ!? ご存知ないのでしゅか?」
魔王の話ばかりすると、魔力の検索モードに引っかかって襲われるという噂がある。
「宿の中なら安心です。彼もいますし、大丈夫ですよ」
たとえ魔王戦になろうとも、宿屋の領域だけは命をかけて守る。それがディスカスから教わったことだ。それこそ宿屋として意地の見せ所である。ベルがいればテイマーとしての全力も出すことも可能だ。
ツノウサギは少しも理解できずに、ベルだけを見た。
「魔王しゃまより強いように見えましぇんが……しゅごい魔力量でしゅね」
「ベルはうちのガードマン兼、長期滞在のお客様です。護ってくれる紳士ですよ」
「はう! 紳士。それはしゅごい。あんちんです」
ツノウサギが寒さに震えていたので、とりあえず焚火で温まるように誘う。話を聞くうちに心地よくなり、彼は饒舌になった。名前はダンテ。会話が上手で智慧がある。この平原一帯に棲むツノウサギの管理を任されており、夜は見回りに忙しいという。
「最近、仲間が攫われてしまうことが多く、巡回の途中だったのでしゅ。帰り道で叫び声を聞いたので、また誰かがおしょわれたのかと」
「みなさん可愛いですからね~。何か手掛かりはありますか?」
ダンテが刺繍の入ったスカーフを渡した。
「ベル」
ベルは猫科らしく足音も立てずに近づき、犬並みの嗅覚で唸った。
「この魔香。同じですね」
ダンテが驚く。
「お話ができるとは! ベルしゃまは魔族だったのでしゅか!」
「違います」
ベルは拗ねた顔で視線を避けた。魔族と呼ばれることも、獣でいることも、そしてこの気持ちを飼い主に悟られることも嫌なのだ。
「でもご存知ということは、ベルしゃまも狙われたのでしょう?」
ダンテの問いに、俺は苦笑した。
「妖しい匂いを突き止めて、追いかけた方ですよ。ですが相手が悪かった。ボイマール馬主連合にも魔手が伸びていたようです。罪をなすりつけられてしまいました」
前の街で騒ぎを起こした奴らも同じスカーフをしていたし、この魔香には鎮静剤に似た作用がある。動物や弱い魔物ならば従順になり、捕えることもできるはずだ。それを馬主連合は容認している。
「しょれは災難でちたね」
「この国の人間は、ヒト以外の種族を認めておりません。ベルは俺の誇りで、とても素晴らしいのですが、ジータ国民は酷い扱いをします。お仲間のツノウサギさんたちも同じ者たちの手に掛かったようです」
「おそらくカルベルでしょう。貿易港ですから輸出には最適です」
ベルの忠言にダンテが不安な顔をする。
「ユシュツとは?」
俺は笑えない説明をしなければならなかった。
「外国に売られてしまうということです」
「外国!?」
ダンテは言葉を失った。減少した魔族は自然の摂理に従って絶滅する。仲間の減少は死活問題だ。けれどダンテ自身は平原の管理を任され、この地を離れることができない。
「まずはお仲間の無事を確認しないと」
うっかり魔力を使おうとする俺に対して、ベルが冷ややかな視線を浴びせる。
「魔力ナシでどうやるのか問題ですね」
俺は焦れた。実力は魔王級なのだから魔法を使うまでもなく簡単だ。カルベルまで意識を解放して、ツノウサギがどの場所に、何匹いるかなど一秒も必要無い。けれどそれを魔力ナシで行えと?
「う~~~~ん。ごめんなさい。まず隣村に行って、脚の修理が終わり次第になるので、間に合うかどうか……」
ダンテは興奮して立ち上がった。
「たしゅけてくれるのでしゅか!! 間にあえば、助けてくれるのでしゅよね!」
基本的に魔族の間でも、種族が違えば助け合いは無いというのに奇跡だ。
「はい。その時は、一緒に旅をしましょう!」




