宿屋の心得
「入るぞ」
ハルトの部屋に入ると、花の香りが華やかだ。テーブルには見舞いの品がいくつも並んでいるが未開封で、土産の菓子や冷えた食事が置かれっぱなしになっている。
それこそハルトらしくない。美味しいものが大好きで、食事を粗末にしないのが信条だ。それが布団を頭からかぶって避難。まるで子供みたいだ。
アキトはベッド脇に椅子を置いて座った。長期戦覚悟である。
「身体は大丈夫なのか?」
無言。返事無し。ムカっとくるが、こちらは大人の対応だ。
「何故布団をかぶっている。合わせる顔がないくらいに反省しているのか?」
やはり返事無し。ただし頭を振って否定された。反省はしていないわけだ。では、ここは変化球で攻めてみよう。
「メシ、食わないのか? おお! これは美味そうな菓子だな。ひとつ開けてみよう」
アキトが食べ始めると、途端にハルトの腹が鳴る。身体は正直だが、誘いに乗らない。
「そうだ、土産を持ってきた。お望みの約束の品だよ。未使用品の“宿屋の心得”」
ガバッ!
言うよりも、差し出すよりも早く、ハルトの手が土産を掴んだ。
「ありがとうございます!!」
手と声だけだ。それでもけっこう元気そうではないか。
しかし手を掴んだまま、硬直している。奪いもしなければ、手放しもしないからアキトは不思議だ。
ものすごく欲しがっていた。宿屋の心得を与えたら、すぐにでも宿屋になるつもりだろう。だから渡すのを躊躇っていたほど。
なのにハルトの手は迷い、宿帳から離れて布団の中に戻った。
「もう貰いました。所有権は絶対に譲りませんが、アキトが持っていてください。自分で持っていると我慢できません。すぐに宿屋になると言ってウザくなりますよ」
「まだ宿屋にならないということか。いいだろう。しかし何故布団の中なのだ? 顔ぐらい見せろ」
「誘惑が多すぎて、辛いんです。味付けはイマイチだし、シーツ交換には来ないし、部屋とか廊下とか汚れが気になって、掃除したくなるんです。ベッケンさんたちは忙しそうでしょう。布団の中にいたら、そういうの見ないで済みます」
アキトは額の血管が切れそうだ。
――それが遠方から見舞いに来た者に対しての態度か!
「ならば私と一緒に今すぐ前線に戻れ!」
遊びではないのだ。父親に脅され、わざわざスケジュールを開け、遠方からやってきた。事件に決着をつけて、好みの土産まで持ってきている。泣いて頭を下げて感謝しろと言いたい。
「宿屋の心得を持っている限り、逃亡はしません。戦地にはいずれ戻ります」
それきりだ。
時折、布団がもぞもぞと動くだけで、何を考えているのかさっぱり分からない。
宿屋になることは諦めていないが、こんな調子では安心できない。
「何をグズグズしている!」
アキトは強制的に布団をはぎ取った。
「いずれとは何だ。今からでるぞ。こうしている間にも死傷者がでているんだ」
ハルトは仕方なく起き上がった。ショーターがくれた松葉杖がこんなにも役立つとは思わなかった。
「ウォールが作った義足はどうした」
「壊されました。だから一度エルダールに戻ります」
「そうか。ではとびっきり良い物を作ってもらおう。天才魔工技師と呼ばれる少年がいてな、性格は悪いが腕はとても良いらしいんだ」
ハルトは浮かない顔で、布団を引っ張り上げて敷き直す。
「ちょっと疲れているんで、やっぱり回復してからにします」
「?」
アキトが茫然としている間に、ベッドの上にこんもりと山ができあがった。
そう、あれだ。すごろくをしていて、一番危険なやつ。
“振り出しに戻る”だ!
「それはダメだろ! どうしたんだ! 宿屋にもなろうとしない。戦いにも行く気がない? いったい何がしたいんだ!?」
「見ればわかるでしょう。何もしたくないんです。疲れちゃった時は寝るのが一番でしょう?」
アキトは焦れた。
「そんな寝不足な顔で言われても困る」
「俺なんかは、寝て大人しくしていたほうが、世の中のためなんですよ」
「――?」
「そうすれば街が危険に脅かされることもないし、誰かが死ぬこともないでしょう。宿屋はお客様を守り、安心していただくのが仕事です。それが宿屋の心得として、一番大事なんです。
――なのに、危険に晒すようなことをして……俺が動くと迷惑をかけてしまいます。俺は今まで、自分がやりたいから宿屋になると宣言してきました。でも、そもそも俺が宿屋をやっていい存在かと問われたような気がして」
「動かなければ、救える命が消えていくだけだ。迷惑などよくも言えたものだな。ノースデルタまで逃げて宿屋になりかけた男が言う言葉か」
「……」
「まさかライカと出会ったくらいで、怖気づいたんじゃないだろうな?」
これで反応が無いのはどうしたものか。勢いよく否定してほしいのに、よほど図星とみえる。
「足を失い、今度は命まで取られそうになった。実力があるから、そこまで追い詰められたことは無かった。だから今頃になって、私たちが死と隣り合わせにいることに気付いたのではないのか」
ハルトは噛みつくように睨んだ。
「そんな余裕あるわけないだろう。魔王だぞ!? これまで何度も死ぬかもしれないと思った。みんなには、そういう想いをさせたくなかった」
アキトの怒りが静まっていく。
「知っている。おかげでいつも死傷者が少なくて済んでいた。君はいつもバーサク騒動の直前に現れて、さっさと魔王を倒してすぐに去る。戦場で死者を見ることが辛かったんだろう」
やはり十七歳の勇者見習いだ。目の前で味方が死ぬ。そういうことに慣れていない。守るべき者を失うと、全身から力が抜けていく。それが自分のせいで死んだなら、なおさら辛いだろう。
アキトの憐憫な表情に、ハルトはもう一度布団にもぐった。
「俺、強くなろうと思います。心も身体も強くなるには魔王と戦うのが一番だと思うので、これからも見習いでいます。
戦いもそうですけど、知識とか経験を詰んで、次こそ俺がライカをやっつけてやります。宿屋になるのはそれからです」
「ライカに負けたんだな」
「負けてません! 自滅したんです。自分で魔力ゼロにしてしまったから。それでも抵抗して、いいところまでもっていけたのに、親父は……」
「親父?」
ハルトは思いだしたようにアキトに訴える。
「たったの一撃でライカを退けたんです。俺が最強なのに! あり得ないでしょう!? まぐれかと思って、あのあと二百回、親父と戦ったんです。まぁ足ナシ魔法ナシですけど!」
「二百回?」
それは大変な数だが、おおよそが拳や剣を交わすところまで持ち込めず、勝てたのが十回だそうだ。そこが納得いかないという。
「その十回って、絶対オマケじゃないですか。要らないですよ、そんなおまけくれるぐらいなら、指導のひとつもしてくれたらいいのに! 人のことさんざんバカにして――俺、もう自信ないです……!」
ハルトは唇を噛みしめ、大泣きした。屈辱に染まった顔を見て、アキトは笑い出した。
「何がおかしいんですか! 殴りますよ?」
「父親とはそういうものだ。先に生まれて、経験した分だけ強い。経験値の差を埋めるのは、かなり大変だぞ」
アキトは立ち上がり、去っていく。
「用事は済んだ。とにかく私の保護下にいろ。できる限りの自由は与えてやる。ただし無責任は許さん。弱い勇者を守ろうとしたニックの意思と魂を受け継げ。
それと、あまり人前で泣くな。男だろう。最強なのに、情けない顔を見せて恥ずかしくないのか」
ハルトは顔を真っ赤にして枕を投げた。
だから布団をかぶって隠れていたのに、アキトが先に暴いたんじゃないか!




