バーサク寸前
「起きろ」
荷馬車の揺れが無い。頬が床に当たって痛いし、腕が動かない。見知らぬ靴が目の前にあって、床に落ちた鎖がチャラチャラと音を立てている。
何があったのか。視界を広げて探索する。
他に誰もいない。ニックたちの貴重品や武器はそのままだ。ウォールの作ったハイレベルな防具や武器に手をつけられていない。幸か不幸か、血の跡や争った形跡がない。一目散に逃げたか、裏切って去ったかのどちらかだ。
腕は背後で縛られ、怒りにあふれ出すはずの魔力を感じない。勇者の紋章の効果が阻害されて、魔法は使えないようだ。苛立ちに蹴り倒してやろうかと思ったが、義足が外されいる。もう一方の足も痛みで感覚が麻痺していた。あまり動かないけれど、まだ繋がっているだけマシか。
「まるで芋虫じゃないか」
四肢と魔力を塞がれて、床を這う。
――クソ。寝ている間に何があったんだ?
何も覚えていないのだ。
完全に意識を奪われていた。
「無様だなぁ~。本当に魔王を倒したのか? 騙し討ちじゃないの?」
――こいつは誰だ?
すでに“詰み”なのか?
ここまで追い込まれた記憶が過去に無い。トップレベルの緊急事態だ。
男が鎖を引くと、首もとまで鎖が浮いて、引っ張られて痛んだ。テイマーを動物扱いするとは、屈辱だ。
男は何本も細い布を持っていた。アブソルティスの紋章が刻まれている。あれで縛られたのだ。紋章を埋め込まれたのとほぼ同じ効果があるのだろう。
男の顔には見覚えがあるが、どこで出会ったか。
「さてと、意識が戻ったようだし……持っているものを出してもらおうか」
「見知らぬ奴には何も渡さない。お前誰だ? 他の四人はどうした!!」
「おや、まだ会いたいかい? 裏切られたのに、不憫だねぇ」
「裏切られた……?」
やはり、あいつらの誰かが手引きした?
男は掌を見せた。アブソルティスの紋章があって、触れられるだけで不愉快だ。
「触るな!」
ハルトの不安な顔に、男は笑った。
「仲間と言いながら、君を置いて逃げていったさ。本当の仲間なら討ち死にするまで戦うべきだろう。あんな甘っちょろい奴らがアブソルティスに勝てるはずはないがな!」
ホッとした。生きているならそれでいい。三人はアブソルティスではなかったのだ。ならばこの男はどうやって?
「高価な防具や武器をクソ弱い勇者に与えるなど捨てるようなものだ。もっと有効的に使えってこそ、道具が活きると思わないか」
「これはあいつらが仲間を助けるために造ったんだぞ!」
「君は騙されやすいな。私には全員の意思が一致していたようには見えなかった」
確かにそれぞれ思うところはあったのだろう。それでもニックの言動は嘘ではなかった。
「このチームは頻繁にダンジョンとフォレストパレスを行き来して不自然だ。それは材料の採取と制作、納品までの時間を得るためであり、繰り返すごとに目立ってしまう。だから協力した。私の荷馬車を専用にすることで、他の勇者たちからの注目を避けることができていたのだ」
「荷馬車――御者か!」
「そうさ、なのにどうだ? 君はあいつらがアブソルティスかもしれないと疑った! 私が隠れ蓑にした存在に、見事に引っかかった!
私が用意した荷馬車の中で作戦会議をするからだ。そんな中、バーサク騒動があるというじゃないか。すぐにライカさまにご報告した。私がボス部屋までの位置と時間を報告したのさ。
君が熱中症で倒れた時は笑えたよ。ニックは街に寄ることを提案した。普通の輸送班なら見習いは捨て置くものだが、私には都合が良かった。積んでいた荷物はすぐに売却して大金にできる。バーサクしたせいで、カタカタ鳥が襲撃し、荷馬車は谷に落ちたことにしておいた! これで足がつかないし、良い金になった。本当に君は役に立つ」
「忌々しい」
「おかげで宿屋ごっこができて楽しかっただろう。旅館組合にベッケンハイムに圧力をかけるよう指示した。馬車を用意するといって、出発までの時間を引き延ばしたのも私だよ。おかげで大量の装備品が出来上がって、これで売り上げを追加できる。大儲けさ!
問題はいくら金があっても、ライカさまの機嫌を損ねては命が無いこと」
ハルトの睨みに御者は首輪を引く。
「立場を分かってないな? 質問にも答えてやった。トキワタリを出せ!」
「持ってない」
鎖を引かれ、荷馬車から落ちた。そのままドロドロになって大地を引きずられる。
「私はずっと見ていたぞ。ボス部屋で戦っている時、見たこともない魔法を使っていた」
特別なことをした覚えは無い。いつものように戦っただけだ。単にこの男が魔法に無知なだけではないのか。
「言いたくないなら、そいつらと同じ運命にしてもいいんだぞ」
壊れた荷馬車の車輪。その隣に人影があった。ニックを庇うようにしてウォールが背を向けて倒れていた。ショーターやタロスは少し離れた場所で戦い、そして散ってしまった。
「――ああ」
ハルトは憤る。怒りの奔流にのまれ、ドクドクと血が巡る。自制して考えても、冷静に考えても、論理的に考えても許せない!
我を失いそうだ。
けれど、ここで当たり散らしたら、倒れている彼らは微塵も残らない。わずかに息があることだけを願って、爆発するのを堪える。
御者は焦りと危険を感じた。急いで魔法陣を描き、空にアブソルティスの紋章が浮かぶ。
「ライカさま。ここで~す。バーサクを捕えましたよ~!」
空の模様が転移魔法陣に紋様を変わっていく。御者は笑う。
「どうだ!」
ライカが来る。
しかしもっと重大なことがある。
逃げたわけではなかった。俺を抱えて逃げるだけの余裕が無かったのだ。彼らは全力を尽くした。ならば俺はどうする?
怒るな。そして、いつものようにだ。
深く息を吸う。巡る酸素と力を感じる。
紋章に身体を支配されたのは過去の話だ。もっと冷静になれ。たかが布きれに支配されるな。そして一気に力を込める!
ブチ、ブチブチッ!!
「UP」
腕の拘束は解けた。魔法が使えるから、太陽の陰に隠れるほど高く飛ぶ。
「うおお!」
飛躍の頂点に達した時、剣を掴み、真横に振り切った。
縦幅は上下十メートル、横は百八十度以上。地平線の彼方まで、青白い剣戟は稲妻を伴って激しく大地を削った。御者の男は逃げきることができずに、塵のように粉々にくだけていく。
人の命は儚い。
だからこそ大切な人々を守りたいのに、どうしてこうなってしまうのか。
そのまま地上に激突するところだが、ハルトは微笑んだ。
「カタ、カタカタッ」
嘴を震わせた大鳥が掬うように持ち上げたのだ。
大きな鬣を撫で、ハルトは頬ずりする。ちょっと硬めだけど、羽毛だから気持ちいい。
「ハーディー! ありがとう」
ハルトは空を見上げた。転移魔法の魔法陣は完成している。発動までわずかだ。下ではウォールやニックらが倒れている。
手袋を捨て、拳を握りしめる。
――聞こえるか! 見えるか! シェヘラザール!
右手が反応した。勇者の紋章が薄桃色に光り見知らぬ力で温まる。
「頼む! 届いてくれ」
俺の魔力ならいくらでも使っていい。シェラなら俺の身体を使っていいから。
どうか、彼らに聖女の加護を!
ハルトは祈りを捧げるように目を瞑った。
平原の風が、清らかな魔力の風となる。シェラの純粋な思いと力が指先を伝って流れていく。
その時、感じた。
右にシェラ、左には陽翔がいて、二人が俺を支えてくれている。身体はひとつでも、俺たちは三人で戦っている。
“兄さん、もういいよ”
ゆっくり目を開くと、ショーターたちがどこかへ走っていく。
――よかった。逃げられたんだ。
“もう大丈夫だよね?”
俺は頷いた。陽翔も疲れてしまったことだろう。しばらく休ませてあげたい。
「あとは俺に任せろ」
ハルトは平原に座り、ハーディーに指示を出した。
「危ないからしばらく空から見ているんだよ」
右足の義足は捨てられている。左足は負傷して歩けそうにない。けれど両手が残っているし、魔法も使える。だから諦めない。
さぁ、と決着をつけよう。




