宿屋になれました!
ハルトは見るもの全てが新しく、祭りは楽しい。
ショーターとタロスは歓楽街に入り浸りで合流できず、今夜も戻らないとニックが嘆いていた。コンテストを見学し、美味しいものを食べたら大満足だ。
早めに宿屋に戻ると、入り口に人だかりができていた。
「盛況ですねぇ」
あの肉団子の反応が良かったようで、街ゆく人々が食べ歩きしているのを見かけたところである。
「いや、ちょっと違うぞ」
テーブルが転がり、マリエルが泣いていた。
酒場がぐちゃぐちゃに壊れていた。転がる銃弾と、テーブルに突き刺さったままの斧。荒くれが多いにしても、喧嘩というよりは襲撃だ。特に酷いのは厨房だ。慌てて火を消し止めたようだが、どうみても魔法で破壊された形跡だ。
ハルトは唇を嚙んだ。
ニックとウォールは殺気に反応した。ハルトが歩くと、周囲の人間が静まり、後退する。カツカツと床を歩く音にも圧力がある。
うつむいていたマリエルが気配に気づき、見上げた。
「ベッケンさんは無事?」
ハルトは怒っていない。けれど気配が凛として恐ろしい。
「奥で母がみています。お客様を守ろうとして、逆らった拍子に足と腰を痛めてしまって……」
ハルトはマリエルの乱れた髪を撫でた。
「誰にやられたの?」
「旅館組合の方々が来て、その後強そうな方々が暴れはじめました」
「旅館組合?」
「この街の七割が加入する新しい組合です。組合費だと言って高額な金額を奪い取っていくものですから、うちは入れなくて……時々潰しに来ています」
「今日に始まったことじゃないんだね」
ハルトはベッケンに挨拶した。ベッケンは笑っているが、それが可哀想に思えてくる。
「大した怪我じゃない。数日休めば、動けるようになるさ」
オバサンの顔は深刻だ。
「祭りの売り上げには期待していたのに。営業できないのは痛いわ」
「怪我が良くなったら、またやり直すさ」
「何寝ぼけたこと言っているのよ、改装費どうやって捻出すればいいのよ。うちのどこにそんな余裕があると思って……」
オバサンが目を潤ませた。
「旅館組合は何を言ってきたのですか?」
オバサンは思いだしたらしく、火がついたように喋りだした。
「加入しないなら、潰すと脅しに来るのよ! あいつら仕入業者に圧力をかけるものだから、質の悪い食材だったり、注文した品が届かなかったりして、迷惑しているわ」
「あのスープになった原因は、材料のせいですか?」
「それもあるけれど、コックが辞めてしまったせいね。組合も悪い噂をばらまいて、うちの売り上げも下がりっぱなしなの」
「ベッケンさん。数日休みを取る間、俺に任せてもらえませんか」
「任せるって……何を?」
「ベッケンハイムの宿屋の心得、三日間貸してください」
ハルトの真剣な瞳にベッケンは隠し持っていた本を差し出す。
「大事にしてくれ」
ハルトは毛皮で覆われた表紙を撫でる。宿屋の心得から指先を通してこれまでの宿の歴史と思い出が流れ込んでくる。
「素敵ですね。この宿にまた泊まりたいと言い残して、旅立つ姿が見えます。微力ながら、俺に手助けさせてください。今お泊りになっているお客様のためにも」
ハルトは小さく呪文を唱えた。
“ハウス”
宿屋の心得が表紙の毛をブルリと震わせた。ハルトの魔力に反応し、本は青白く光りを放つ。
「!? 何だ」
その時、厨房からマリエルの悲鳴が上がった。酒場がざわついている。ベッケンは怒りを露わにした。
「あいつら、また来やがったのか! もう許せねぇ!!」
オバサンの制止を振り切り、ベッケンが扉を開ける。
眩しさに目がくらんだ。
新しい業務用キッチンが銀色に輝いている。カウンター越しの酒場エリアは木製の些末なテーブルとベンチであったのに、テーブルクロスのかけられた上品なダイニングテーブルセットだ。
「何だ? どうなっているんだ」
ベッケンが振り返ると、白衣とコック帽に着替えたハルトが袖めくっていた。
「俺の厨房セット一式を宿屋の心得でリンクさせました。ベッケンハウスの荒っぽさがないですが、これで臨時営業しましょう。ベッケンさん目当てでいらっしゃるお客さまはたくさんいらっしゃるでしょうから、店番と、お料理の味はご指導お願いします。まずは朝の仕込みと明日の祭りに出す肉団子、特急で作りましょう」
ハルトは満面の微笑みでニックを見た。
「手伝ってくれますよね? 仲間でしょう?」
ニックはため息を漏らした。
「何をすればいい?」
「旅館組合と一緒に来ていた乱暴者たちをボコボコにしてください。本当は、俺がじきじきに手を下したいところです。けれどちょっと殴っただけで、死んでしまうかもしれないので、お任せします。まだ旅館組合に未加入の宿屋を調べてみると良いでしょう。この地域で集金しているはずですから、すぐにわかると思います」
※ ※ ※
爽やかな朝を迎えた。朝日が美しいと思うのは充実した時を過ごしているからだろう。無事にお客を見送ることができた喜びは計り知れない。
あっという間に数日が過ぎた。
肉団子は好評で、長い列ができるようになった。ベッケンは寝る間もなく、椅子に座りながら、テイクアウトの手伝いをする。ハルトが風呂掃除や部屋の掃除も劇的に早く綺麗に仕上げるので、オバサンはマリエルの婿になってくれと口うるさいくらいだ。
料理は繊細な味のほうが得意だが、見た目はワイルドにアレンジして、ベッケン風とした。特に大きな問題は発生せず、楽しそうに街へ去っていく客の背中にマリエルはほっとしている。
「大変でしたけれど、ハルトさんのおかげで無事にお客様をお見送りすることができました。ありがとうございます」
「俺のほうが感謝しています。もう宿屋で働けるのが嬉しくて! さぁ部屋の掃除をしましょう。シーツ交換、得意なんですよ」
マリエルは悲しそうだ。
「ハルトさん、気付いてます? 約束の三日、過ぎてしまったんですよ?」
ハルトは青ざめた。四日目の朝か!
「お祭りも終わってしまいましたし、これ以上勇者さまたちをお引止めすることはできません。体調も良くなったことですし、宿泊のご予定も今朝までとなっています」
あまりに楽しくて、気付かなかった。
いつかこうなるとは分かっていたけれど、考えたくなくて先延ばしにしてるうちにすっかり忘れた。
ハルトはコック帽を脱ぎ、部屋へ戻った。
ニックは荷物を纏めている。
「何で教えてくれなかったんですか?」
「最初からその予定だったろう? おかげでウォールの仕事が進んだ。早いところエルダールに戻って作った武器や防具を届けないといけないんだ。輸送班は百キロ先に進んでいる。さすがに追いつけないと困る」
「そうですよね」
「そういえばキャラバン隊の親父さん、来なかったな」
「会いたかったですけど、この足の言い訳が思いつかなくて、これで良かったのかもしれません」
嫌だ。現実に引き戻される。
宿屋をしていたことが、まるで夢であったかのように過去になっていく。
ベッケンらに別れの挨拶をする。
厨房やテーブルはプレゼントした。代金なんて要らない。それよりもたくさんの経験と思い出をもらえたから、感謝の気持ちだ。
「ニックさんたちが暴力集団を壊滅させてくれたから、旅館組合も今後は変わっていくだろう。君たちには助けれた。本当にありがとう。また泊まりにきてくれよな! もっといい宿にして待ってるぜ」
ハルトは笑顔を作るのに精一杯で、返事ができない。どうにか手を振って荷馬車に乗り込んだ。
マリエルはずっとハルトを見送った。
「大丈夫かなぁ……」
ハルトは荷馬車に揺られると猛烈に眠くなった。
――まずい。今は寝ちゃダメだ
ライカなら、今がチャンスだと襲ってくるに違いない。また悪い夢などみたら、二度と目覚めることができない気がする。
ハルトは自分の腕を握りしめながら、耐えた。
大急ぎで輸送班に追いつこうとしているので、揺れが激しい。ともすれば舌を噛みそうで、会話もままならない。
この三人のうち、誰が……。
思っているうちに意識が切れた。
やっぱり眠いのだ。三日も完徹してしまったので。




