宿屋になりたい
同居が始まって数か月が過ぎた。
宿屋の裏庭で、ディスカスは魔法の杖を振る。早朝は陽翔の相手をし、夕方前には一翔に指導をする。短時間だが、とても充実した毎日だ。
一翔が強くなりたいと言い、始めたことである。なのに夕方になると料理の仕込みが気になってソワソワし、また怒られている。
基本的魔術の指導なんてどうでもいいとも言えないので、何とか早く終わらせて厨房に入りたい。
「魔法の詠唱は賛美や集中によって魔力と効果を高めるものだ。基本的には術式の紋様を思い浮かべるだけ。古来からある魔法の術式紋様は理に適った形をしているが、こだわらなくていい。イメージすることが大事だ」
ディスカスは炎の神を讃嘆する。
「ファイアウォール!」
強い風に視界を奪われる。出現したのは炎ではなく氷の壁だった。思わずポカンと口をあけてしまったのを見て、ディスカスは大笑いだ。
「炎の壁を出したら宿や庭が焼けてしまうだろう。口では何とでも言える。大事なのはイメージと戦術だ」
「ずるい!」
「アイスウォールだと素直に言ってしまえば、ファイアアローで破壊されるかもしれないが、炎の壁に炎の矢で対抗しようとは誰も思わない。作戦は巧妙に立てておくものさ」
「炎や氷などの属性魔法は苦手だよ~!」
「では何が得意かね? 雷、水、回復かね?」
「それがよく分からなくて……テイマーだからそういう魔法は必要ないんじゃない?」
「基本ぐらいおさえておいたほうがいい」
「だって戦うための呪文ばかり。重いものを運んだり、空を飛んだりすることのほうがよほど便利だ」
「重い物を運ぶなら筋力があればいい。空を飛ぶならドラゴンに乗れば良いこと。自分の身を守るにはどうする?」
「戦う」
一翔はしぶしぶ認めた。
「そうだ。だから炎や氷で、通常攻撃に属性効果を付与するくらいできないといけない」
「攻撃するなら速さが一番大事だろ?」
「それは魔法で筋力強化できる」
それも一理あるが、一翔は納得できない。
「結局、人の筋力の範囲内の話だろ。重力効果をつければ、誰よりも早く剣を振れるし、空中からも攻撃できるよ。魔法効果が見えないから、属性を悟られない。
相手は効果を身体で感じてから対応するから遅くなる。先に重力で相手の動きを遅くしておけば、なおさら有利だ」
ディスカスは微笑む。
「良い意見だが、重要なことに気付いていない。重力魔法は特殊で誰もが使える魔法ではないし、繊細なコントロールがなくては使えないよ」
ーーそうでもないけどなぁ?
「重力とは星の中心から来るものだからね。周辺のマナを上手に見極めないとできない。君のは理想論だ」
「UP」
一翔の身体がフワリと浮き、頭上高く空中歩行する。
ディスカスは口を開けたまま、何も言えない。
「陽翔もできるよ。俺がやり方を教えたら、陽翔のほうが上手くなっちゃってさぁ~」
そして地面の下を指で示した。重力とマナには密接な関係があることをひとことでは説明できない。
「あの青白い光を参考にすれば、簡単だよ」
ディスカスは意味が分からないようだ。
「血管みたい無数に広がっていて、ここからだと東の山に向かって流れている水脈みたいなヤツ」
「視えるのか!?」
ディスカスは怒ったように大きな声だった。
「なんかすみません」
「いや、いいことだ。ちょっと驚いた。そうか、長い間かかって私が習得したものを……」
ディスカスは苦笑いした。
「この国でそれを視ることができるのは十人いるかいないか。小太郎もできるかどうかだな」
「小太郎も!?」
「ようやく納得したよ。小太郎が私に依頼した理由がそれだ。私は教え方を間違っていた」
「?」
「通常、魔力は魂から泉のように湧き上がってくる。陽翔くんはこのタイプの典型で、人の情熱や希望、望みや願いが魔力を増幅、爆発力とする。
でも君は稀なタイプで、周囲のマナに感応し、それを利用することができる。タイプが違うから教え方も違う」
「そんなに違うの?」
「マナの量は無限大だが、使用者の能力次第。陽翔くんは寝ているかい?」
「うん。魔力操作は疲れるから、今は寝てる」
「君だけに伝えておく。陽翔くんはこの調子でいけば大魔法使いクラスに成長するだろう。けれど君は最低でも魔王だ」
それは迷惑千万。もう笑うしかない。
「才能がなくてよかった。俺の魔法は家電並みだから、虐げられることはないや」
ディスカスは困り顔だ。
「国が恐れ、人々を支配できるほど膨大な力を持ち、一人で世界を支配できる能力を持つ者が魔王。大魔法使いは国にたくさんいるが、魔王クラスは魔法界の頂点に立てる者。それほどの素質があるということで、悪い魔族になれと言っているわけではないよ」
「良かった。悪人は御免だよ。それに単なる可能性だけだろ? 俺は平和が一番だからさ~」
「いずれ魔王と戦うことになるだろう。平和は難しいかもしれん」
「!?」
「魔王になる最低条件は周囲のマナを察知して、利用できること。君はマナの地脈が分かり、重力魔法を使用するだけで条件をクリアしている。魔法を使った時点で、他の魔王の縄張り争いに参入していることになる」
「ええ! じゃあいつ魔王が来てもおかしくないってことだよね。どうにか見逃してくれない? 俺、弱いし!」
「実力の有無ではないよ。そういう存在自体が問題だ」
「だって子供だよ?」
「自分の庭で見知らぬ子供が花壇を荒らしていたら?」
「止めさせる。俺の花壇を荒らすなって怒るだろうな」
「そうだろう。それと同じことだ。領域を荒らされるのを魔王は一番嫌がる。とにかく修行を急ごう。死にたくないだろ?」
思わず頭を抱える。宿屋に住んで、安穏な学校生活を送れるはずだったのに、すでに新たに問題が発生していた。
「どうしてこんなことに……」
「それは君たちの成長過程にある。
普通は魔力を身体の中心に貯め、身体の中にマナコアを作るところから始める。その時、君が陽翔君に身体を譲っていたことが原因だ。
陽翔くんが修行したり、魔力コントロールしていた時、君は何をしていたんだい?」
一翔は恥ずかしくなる。
サボって寝てたなんて言えない……!
「陽翔くんが体の中心にマナコアを作っていると、身体に凄く負担がかかる。君は無意識に身体の維持に専念し、自分の魔力は邪魔になるから体外へ放出していたはずだ」
「覚えてないなぁ」
「やたらと空を飛んでいる夢を見ただろう」
一翔は頷いた。
「本物の空だよ。君は魔力共に意識まで解き放っていた。だから朦朧とする。私も小太郎に何度叩き起こされたことか」
ーー完全に居眠りバレてた!
「鳥になったようで気持ちよかっただろう。どこまで飛べたんだい? 二キロ先まで飛べればいいが、最初は難しいだろうね」
「だよね~!」
俺は愛想笑いだ。まさか隣国に行っているキャラバン隊の様子を見て来たとも言えない。
「具体的にはどういう修行をすればいい? 他の魔王に感づかれたらアウトなんだろ?」
「安心したまえ。私の領域からでなければ安全だ。私の強さは魔王たちも知っているから急に襲ってくることはないよ」
俺はホッとした。
「領域ってどれくらいの広いの?」
「この宿さ。ちょうど一軒分だな!」
一生を宿で暮らせと!?
それでは学校や買い物にも行けない!
「外に出る時は陽翔くんが身体を使うことだ。大人しくしている限り見つからないだろう。君が強くなった分だけ、外にでられるよ」
俺はキラキラと目を輝かせた。
「しばらくは宿屋からでられないな」
「そうだろうな」
ディスカスは不思議だ。一翔は落ち込んでいないどころか、希望に溢れている。
「宿屋でたくさん働ける!!」
ディスカスは目を丸くした。
「そりゃ……嬉しいが。君はまだ5歳だろう」
「任せてくれ。誰よりも経験がある!」
その言葉が本当だと知ったのは、数時間後のことだ。
シーツ交換や配膳、後片付けはダントツに慣れている。どこをとっても教えるところもなければ、非の打ち所もない。
陽翔に交代しても、万全だ。顧客対応も良いうえに、帳簿を眺めて経営戦略まで提案した。その時ばかりはディスカスも可愛さを通り越し、えげつないと愚痴を漏らした。
「そんなことないよ? 5歳児が愛想笑いして配膳しただけでみんな大喜びしてる」
※ ※ ※
休憩時間にミルクたっぷりのコーヒーを入れ、ディスカスを労わるタイミングまで心得ている。
「勇者って、コーヒー好きが多いよね。小太郎はブラック濃いめで無糖だったなぁ」
「無理してないかい?」
「ホームシックも何もないよ。今の家はココで、俺たちは宿屋の子供だから」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「身体が宿屋に馴染んでた。キャラバンで旅をするより疲れないし、お客様の笑顔をみると、疲れが吹っ飛ぶよ」
「小太郎が聞いたら泣くぞ。内緒にしておこう」
ディスカスは上機嫌だ。
「小太郎はたまに帰ってくるぐらいでいいよ。ディスカスと違って、基本的に雑なんだよな。冒険も楽しいけど……殺戮は好きじゃない。
ーーなぁディスカス。俺たち、ずっとこのままここに居ていい? この宿屋を継ぎたいな」
「本当か!」
「本当の本当。宿屋になりたい」
ディスカスの嬉しそうな顔ったら!
ちょっと感動しすぎて泣いていたみたいだが、その後厳しい顔をした。
「いいや! うちの宿屋を継ぐのは苦難の道だぞ。ただの宿屋ならいいが、うちは最強の宿屋なんだ。世界一難しい仕事だ」
「ええ? ディスカスのシーツ交換と料理、結構普通だよ」
「それが何だ。良い宿屋はお客様のあらゆる要望にしっかり応えるものだ。魔王が泊まりきても、笑顔で対応できる余裕がなければ最強の宿屋とは言えん!」
「魔王なんて泊められないよ」
「それは実力が無いからだ。それでは最強の宿屋は継げないな?」
「やだ。絶対に継ぐ!」
「ならば答えはひとつ。たくさん運動して、勉強しておくことだ」




