第六話
「――本当に助かりましたよ。
ゲームを本当に盛り上げてくれました」
兄妹は動かなかった。動けなかった。
妹は盾になるように兄の前に立ち、兄はその妹の恐れに似た勇気を支えるべく肩に手を置いた。
「……なんの用だセンジュ、俺も妹もキーワードを知っている。構っている時間はないはずだ」
喋りながら、鴉主は指で燕姫の背中に“ほうそう”と書いた。
どちらかが隙を突いて放送室に走り、シェルター内にキーワードを知らせる。その意思確認だった。
「それはそうなんですが、少々困っていまして。鴉主さんの知恵をお借りできないかと」
「……云ってみろ」
「現在、私のポイントは二四一人で二位、一位には二ポイント足りません。
実はこのゲームでドゥクス内の序列を決めるという約束もあり、困っています。殺されてくれませんか?」
「私も鴉主兄さんも、殺されてやる気はないっ!」
激情を返す燕姫に対し、鴉主は冷静にセンジュの言葉を、残酷な事実を、理解していた。
「……待て。二位のお前が二四一人、だと……?」
このシェルターの住人は五五五人。一位は二位より多く殺しているはずで、更に三位以下も殺害している。ならば。引き算は。
「はい。生き残っているのは四人。リストに寄れば、あなた方、時村さんのご家族だけですね」
燕姫の力が抜けかけた。
先ほど廊下ですれちがった顔見知りの人々――老人や自分より年下の子も何人も居た――その絶命通知に。
だが、肩に乗っている鴉主の手から伝わる温もりが燕姫の中で勇気に変換され、膝折れを寸前で食い止めた。
「……もちろん、あなた方ふたりは牧場内でも良く働いてくださるでしょうし、優遇致します」
云いながらセンジュはスーツのポケットから首輪を投げた。綱線入りの簡素なデザインだ。
「キーワードを云って、それを付けて牧場行きが決定です。
――が、よろしければ、ご自宅の場所を教えて下さいませんか?
あなた方のご両親を殺せば、私も同率二位になれるもので」
燕姫は既に震えていなかった。その目は兄の優しさと両親の輝きを備えていた。
「インサヌス・ガイア・ドゥクス、だっけか。首輪を付けてから戻って父さんたちにキーワードを伝えるのは、なし?」
「やはり、家畜の里帰りを認めるのは不自然かと」
燕姫は唾を飲んだ。
覚悟を決め、カッコいい自分であるために燕姫は振り返り兄を見た。
迷いはない、決意が浮かんでいた。
「兄さん、やっぱり鴉主兄さんは間違ってなかったよ」
「……なに?」
「あのとき、倒れてた女の人を助けて良かったんだよ――私たち、人間だもん」
センジュはあの女もインセイヴァーだったことを告げて嘲笑したが、兄妹には届いていない。
人間にしか、伝わらないことがある。
「兄さん――大好きだよ、生きてね」
「! 燕姫っ! ダメだ!」
踵を返してセンジュに背を向け、燕姫は走り出していた。
逃走ではない、真っ直ぐ自宅のある方角だった。
その加速は、リンチのダメージの残る鴉主では追い付けない速度だった。
首輪を付ければ両親の下へ到達できず、自分が行かねば、両親は絶対にタイムマシンを使わない。
使わなければ、いつかドゥクスの誰かに殺される。
体力でセンジュを振り切り両親の待つ家に帰る、燕姫が両親の命を救える確率は、この択以外に無かった。
「おや? 首輪も付けず、キーワードも云わず……?
――ありがとう燕姫さん、私のポイントになって下さるのですね?
そして……そちらにご両親が」
センジュの目が細く歪む。誘導通りに燕姫が動き、ゲーム逆転の可能性が発生した悦びに――だが次の瞬間、目は閉ざされた。
インセイヴァー同士のゲームに集中し、眼前の人間・鴉主が見えていなかった。
「??? あ?」
センジュは左目が猛烈な熱と痛みから開かなくなっていることに気が付き、残る右目を鴉主に向けた。
鴉主の両手が燃えていた。
比喩や気炎の類いでなく、物理的に光熱を放つ炎を纏い、その炎を飛ばし、センジュの目を焼いていた。
“ジンキ”。人類に最後に残された武器であり、血液型に大きく影響される超能力のようなもの。
その存在、その熱量、センジュには覚えが有った。
数百年前、センジュが人類を虐殺して家畜化するときに立ち向かった男たちが使っていたものだ。
「ああ……教えてなかったよなぁ、センジュよぉ……血炎流、双々斧……」
「それは外武功っ!? しかもそれはヴェンネルの……」
「……走れ、生きろ、燕姫ェ……」
センジュの驚愕に返事するように、鴉主は盛大に吐血した。吐くというより、炸裂するように。
心臓のムカデが孵り、鴉主の全身を駆け巡っているのが頸動脈を断続的に通る固まりで見てとれた。
「――私への反意で孵りましたね。
それは簡単には死にませんよ、血管を傷付けず、酸素も僅かずつは通すようになっていますから。
血栓が全身にでき、悶えるような痛痒さでも絶命するまで意識を失うことは……」
鴉主は既に喋れない。
喉には熱血がたぎり、呼吸すらままならないのだから。
それでも、その目は妹を想い、父を想い、母を想い、太陽も霞ませるほどの輝きを宿していた。
倒れて悶えるどころか、その足は大きく一歩を刻み、両手の炎は一層力強さを増した。
「……歩ける、はずが、ない!
牧場の人間で実験した! 統計も取ったんだ! なんだ、オーラコンバット?
いや関係ない、内武功が使えるならムカデたちの動きが鈍るはずだ!」
鴉主の炎が瞬き、ゆらめいた。
「なんだそれは! なんだというのだ! 油断さえしなければ、そんな炎は受けない!
キサマには私は殺せない! 無意味だ! なのになぜ、そんな目をする!?」
鴉主の左耳からムカデが這い出た。脳まで達している証拠だった。
「もうキーワードも云えない! 犬死だ! それが……」
センジュは、そこで気が付いた。
十数秒前から鴉主は微動だにせず、ただオーラコンバットなる技術で手を燃やしているだけ。
自分が“死体相手”に狼狽して喚き散らしていたと認識し、存在を失念していた燕姫の背中がかなり遠くになっていることを思い出した。
センジュは、虫そのものの咆哮を上げ死体の首を跳ね、胴体を体内に這うムカデたちごと八つ裂きにした。