第四話
「お父さん……鴉主兄さんは……間違ってたの?」
「間違ってはいないよ。ただ、他の住人たちも間違ってない。
間違っているのはこの時代だ。私はお前の兄さんを自慢の息子だと思っているよ」
燕姫は、両親の待つシェルター内の私室に戻されていた。
鴉主はシェルターを危険に独断の償いとして、法の名目で下された私刑そのものの暴行を受け、投獄されていた。
結果的に、燕姫に反論させて記録用メモリに録音させるところまで鴉主の計算だったのだと燕姫が気付いたのは今さっきだった。
もしも、インセイヴァーがこの女を追ってこのシェルターを見付けたらどうするか、そう燕姫が反論し、その記録を残したことで鴉主ひとりの責任であることを明言化した。
「……父さんでも、女の人を助けていた?」
「それを私が答えるのは卑怯だよ。私は鴉主を誇りに思う、それ以上は云えない」
話しながら、鴉主・燕姫の父である時村は、ツナギ姿に汗を流し、妻の淹れたダージリンにアシタバを加えたツンとするハーブティーを一口。
時村はシェルターの整備士を先代から引き継いだ技術者だが、今造っているものは、シェルターとは関係ない合金製の筒だった。
「何をしようとしても、その事実は変わらない。鴉主はだからこそ、女の人を救った。
仮に、この研究が成功しても、時間を戻す気は無いよ」
先ほどまで手を付けていた、人間が丸ごと入れそうな筒を見ながら、時村は云う。
冷え切っているような光沢、それでいて時村の血と汗が染み込んでいると分かる荒く束ねられた配線や基盤が、この研究に注ぎ込まれた時間の全てを語る。
「この時代を正せるはずなんだ。タイムマシンが動きさえすれば……」
「――本当に、過去に行けるの?」
「行けますよ、きっとね」
燕姫の母親、時村夫人もニコリと笑い、夫にレンチを投げながら自分は手を止めて何度もしてきた説明を繰り返す。
とても楽しそうな母親の様子に、燕姫はまたか、と椅子を傾けた。
「時を越えるだけなら、光速より速く動けば良い、分かるでしょ?
光より速い速度を出すことは困難でも、光より頑丈なものなら、スペシニウムを含むマルスニウム合金ならば実現可能。
光の硬さを上回れば、速度で劣っても、エーテル的性質を捕まえられる、そうでしょう?」
汗まで輝く母親にぎこちない笑顔を返した燕姫は、助けてと時村に視線を送るが、父親は面白そうに知らんぷり。
「ただ、問題は行先。行く時間と空間座標を光の波に出力する計算式が無かったの。それがこれ!」
母がデバイスを傾ければ、そこには悪魔を召喚する魔法陣のような計算式が記されていた。
姫燕にとっては記号の読み方すらも分からないような羅列だった。
「陰陽師の安倍清明が残したものらしいんだけど、これがシェルターの中の文化資料室に有ったときは運命を感じたわ……でも、もちろん、一番の運命はパパと出逢ったときよ?」
「それ、なんで正しいって分かるの?」
「パパとの出会いが間違いだって云うの!? 燕姫、ついに反抗期!?」
そっちじゃねぇよ、という燕姫のジト目に、母は計算式に頭を戻す。
なんで陰陽師の安倍清明が時間移動なんて知ってるんだよ。
「それは簡単。
二で掛けたら二で割れば戻る、展開したら因数分解すれば戻る。
この式を読み解く掛け算は知っていても、書く割り算がわからなかった、そういうこと」
まだ良くわからない、そんな様子の燕姫に、時村が加わった。作業が終わったらしい。
「私たち科学者には何が正しいかを問い続ける義務がある。
ノーベルがダイナマイトで町を焼いたのか?
エジソンやテスラが世界を温暖化させたのか?
アインシュタインがヒロシマとナガサキを涙で包んだのか?
ワトソンやクリックがインセイヴァーを産み出したのか?
その答えは永遠に出ないのかも知れない。
だが、問い続けなければならない。道は未来へと続かなければならない。だから、人類が前に進むため、この現在を変えるんだ」
父の燃えるような言葉に、母は頷いた。
意味は理解できても燕姫には未来や過去という言葉が大きすぎて判然としていなかった。
「――出来たのね、あなた」
「不全だよ。マルスニウムが足りず二人乗るのが精一杯だし、シェルターの不要パーツをやりくりして不格好、しかも片道だ」
言葉とは裏腹に父には輝くものを感じた。未来を信じる科学者の放つ輝きだった。
「――お父さん、過去を変えると、どうなるの?」
「実験しないとわからないが、推測では、
一・観測者から見て未来が書き換えられる。
二・未来は変わらないが、並行干渉世界が生まれる。
三・未来も過去も消滅する。
四・父さんの本命だが……」
――後に燕姫は後悔することになるが、このときの燕姫は遮って口をはさんだ。はさんで、遮ってしまった。
「いやいやいや、三ヤバすぎない? 実験するの?」
「確率はかなり低いと思うが、まあ、暫くはうちのインテリアだな」
「……て、使いもしない機械作るのに、お父さんもお母さんも徹夜したりしてたの!?」
だってねぇ、と云いつつ、時村夫妻はガシッと肩を組んだ。
『科学者ですから』
――バカップルで学者バカだよ、うちの両親――
そう燕姫がげんなりとしたときだった。
音もなく、気配もなく、天井に現れたのは拳大の鈴虫。
居るわけがない。小さな羽虫でもシェルターに入る際の何層もの防疫を突破できるはずがない。
食料としてなら理解できるが、インセイヴァーに繋がりかねない昆虫が万が一も逃げ出すはずがない。
それは、黙示録か予言書に記されている邪悪な王に似てすらいた。
〔ご機嫌いかがでしょうか、ヒトの皆さん!
私は学名をインサヌス・ガイア・ドゥクス、名をセンジュと云うインセイヴァーです!
皆さまのシェルターは、本日限り、撤去させて頂きます!〕
私室の外、バタバタとした音や悲鳴が広がっていたのを時村親子は感じ取った。
シェルター全体にこのパニックを広げる慇懃な声が広がっている。
〔あなた方は世界最後の我々の管理しない天然の人類、是非とも我々のパーティにご協力下さい〕
怯える燕姫の肩を抱き、時村はよく聞きなさい、と呟いた。
ドゥクス以上のインセイヴァーは、下等動物に対しては故意的に偽証をしない。
醜い人類とは違う、美しき地上の支配者として矜持だった。
〔ご参加頂くのは、点取りゲームです。
ちょうどあなた方のシェルターの出入口は七つ、現存するインセイヴァーの上級種、ドゥクスの数は私を含めて同じです!
それぞれからひとりずつお邪魔しますので、逃役としてご協力お願いしたい〕
時村は即座に、七つの出入り口を詳細に地図として頭の中に描いた。
それは閉鎖している通風口や排水口、地熱発電のための地下に通じる道までも含んだ数だった。
地熱発電の入り口を使うにはマグマに近い温度の地熱の中を侵入できるドゥクスまで居るということになる、が、それより重要なことは、インセイヴァーがそこまでこの施設を調べ上げているということだった。
〔我々ドゥクスは、ヒトに擬態したままお邪魔し、シェルターごと破壊するような不粋な技は使用せず、近距離から殺害させて頂きます〕
殺害という言葉に、燕姫は自分で気付かない内に泣いていた。
ただの言葉、しかしそれは今まで動物たちを捌いてきた燕姫には重すぎる現実感が伴った。
血が抜けて肉になる。あの現象が自分や家族に訪れることが恐怖と呼ばずになんだというのだ。
〔しかし――ゲームとしてはあまりにワンサイド、生き残るルールを説明致します〕
廊下の外、シェルター内のパニックの質が変わった。
静かになる、あるいは泣き叫ぶ者を強引に黙らせた気配。
〔シェルターの中に、このゲーム開催へ多大な尽力をしてくださったヒトの“協力者”が一名、いらっしゃいます。
その方を見付け、“キーワード”を聞き出して下さい。
そのキーワードを受理すれば、その方は我々の牧場で飼育させて頂きます。
つまり、我々はあなた方がキーワードを云う動作を妨害せず、当てずっぽうでも生き残るチャンスが有ります。
諦めず、最後までゲームへご参加ください! ゲームの主役は皆さんです!〕
センジュの言葉が絶望を希釈するためのものなのは明白だった。
完全な絶望に追い込めばヒトが逃げないどころか、自殺したり、無理心中する者が出てゲームが破綻しかねないから。
協力者探しという希望をチラつかさているんだ。
「――タイムマシンを使う」
汗と油にまみれた顔は、端的にそう断言した。
時村は、三次元的な出入口は無いが、四次元的な道は残されていたことを忘れていなかった。
「!? でも、ふたりしか乗れないって!」
「二回使えれば四人飛ばせる。回数が一回でも増えればそれだけ多く飛ばせる! 私と母さんで最終調整をするから、燕姫は鴉主を連れて来てくれ!」
迷う時間はなかった。
燕姫が廊下に出ると多くの人々がある方向に走っており、その中のひとりは燕姫を見付けると半笑い・半狂乱で問い掛けた。
「つ、燕姫! お前と鴉主が連れてきた女、何か云ってなかったか!?」
「? 知らないよ、意識不明だったって云ったでしょ! どうしたの!?」
「その女が協力者に決まっている! 虫ども、意識のない女にキーワード役にしやがったんだ!」
怒号と混乱が広がる廊下を医務室へ走る人々を掻き分けるようにして、燕姫は鴉主が収監されている自習室へ向かった。
時村一家の運命が決まったのも、思えばこのときだったのかもしれなかった。