九拾六 影法師との対話
程なくして、影法師が現れる。
「君を待っていたんだ」
と、おれはすかさず言った。
「何か話したいことがあるんだろう? 座敷のほうに行こうじゃないか」
彼に上座を勧めると、素直に従い端座する。おれもその対面で、彼と同じようにきちんと両膝を揃えて座った。
今日こそ、彼としっかりと向き合って、話を聞きださなければ――。
おれはそう肚を決めていたのだった。
「本当なら、君がここの当主だったはずだ。そうだろう?」
と聞くと、黙って頷く。
やはりそうだったのか。
今まであれほど頑なに意思の疎通を拒んでいたのに、今日は若干、それが和らいでいる。
「そうと分かれば、今からあなたのことを、安太郎さんと呼ばせていただきます。いいですね?」
それには応えないまま、しきりに床の間のほうを振り返っている。どうやら、古備前の中身を気にしている様子。
おれは彼の脇を回り、早速、壺の中から人形の腕を出してやった。
「あなたはこれに心当りがあるはずだ。そうでしょう?」
向こうは相変わらず黙ったまま、食い入るようにそれを見つめている。
おれは辛抱強く尋ねた。
「あなたも一緒に聞いていたようだったが、例のわらわんわらわ、あの妖怪の正体は、市松人形だった。この腕は、その人形のものでしょう? 違いますか?」
すると彼は、また以前のようにぷいと横を向いた。
そこでおれは、はっとした。
さっきからおれは、立て続けに問い質すような真似をしている。しかも、一方的に決めつけるような言い方で。
こんなやり方は良くない、と気付いたのだった。
コミュニケーションには、沈黙も必要だ。
こんな時に苦沙弥先生なら、朝日でもすぱすぱ吸いながら悠然としているのだろうが、煙草を喫わない自分はそうはいかない。
手持無沙汰になったおれは、人形の腕を影法師の前に置いてやると、キョロキョロ部屋を見回した。見回したって、毎日起居している自分の部屋だ。何にも変わりようがない。
あっ、そうだ――。キンケツの奴に遠慮して、今朝はまだ雨戸を開けていなかった。
影法師にはいくら陽が当たったって、影法師のままだ。
おれは遠慮なくガラガラと音を立てて、全ての雨戸を開け放した。
庭には、寅さんの軽トラが停まったままだ。昨日の宴会で使った座卓やらは、既に荷台に積まれ、ブルーシートが掛けられてある。
すると、雀が数羽、チュンチュン鳴きながら飛んできて、四つ目垣に止まった。首を傾げながらこちらを見ている。
清さんが、何時も御飯粒を撒いてやっているのだ。
台所から御飯粒を取ってくると、清さんの真似をして盛大に撒いてやった。
たちまち雀どもが群がる。チュンチュン、チュンチュンとうるさいことだ。
デカいのが飛んできたと思ったら、今度は鳩だった。こちらは鳴き声を立てることもなく、静かに御飯粒を啄んでいる。
まあ、こんな田舎だから、近所迷惑になることもあるまい。
寅さんが来たら、捕まって食べられるかもしれないから、ハト君、気を付けろよ、とおれは心の中で祈った。
影法師は、相変わらず腕組みをしたまま、じっと考えている様子。