九拾五 いい気なもんだ
向こうは、平気な顔でズズッと味噌汁を啜ると、
「はー」
と声を上げる。
「味噌汁が胃袋に沁み込む時の、この感触が堪らない」
そう言って、またズズッとやる。
「呑み過ぎた日の翌朝は、また格別だろう」
「ああ、たしかに」
ネギと豆腐を口に放り込むと、またズズーッ。
「おい、落目」
「何だ」
「お前は、ほかに何にも取り柄がないが、味噌汁を作るのだけは昔から上手だったな」
ほうら、始まったぞと思いながら、
「つべこべ言わずに、早く食っちまえよ」
と、おれは言った。
「おい、落目。おかずはないのか?」
「おっと、そうだった」
おれは、とりあえず梅干しと海苔を出してやった。
「これだ、これだ。こんな貧しいものばかり、昔から食わせやがって」
そう言いながら梅干しを頬張ると、種だけぷっと吐き出す。
それから、御飯を海苔に挟んで口に放り込むと、ムシャムシャやっている。
世界で一番素晴らしいピクルスは、梅干しである。
おれは常々、島国根性丸出しで、そう公言している。
「日本人に生まれたことを感謝するんだな」
おれはそう言いながら、粘りが十分に出るまで納豆を掻き混ぜると、生卵を割り入れた。そいつに醤油をぶっ掛け、再び搔き混ぜると、最後に揉み海苔と小ネギを乗せた。
これだって、手順が大事なんだから。
世界で一番素晴らしい発酵食品は、納豆である。
おれは常々、島国根性丸出しで、そう公言している。
キンケツに出してやると、
「これだ、これだ。ホントに君って進歩がないんだな」
と言いながら、箸で御飯の真ん中に穴を開け、器用にそれを流し込んだ。
そいつを、また箸で無闇に口の中に掻き込む。そうやって御飯を掻き込んでは、味噌汁をズズッと呑む。味噌汁を呑んでは、御飯を掻き込む。
夕べあんだけ吐いておきながら、こいつの胃袋は一体どうなっているんだろう。
「おい、落目、落ち目」
さっきからやたらそれを繰り返す。しつこい奴め。
そう思ってイライラしていたら、
「僕たち、同じ釜の飯を食った戦友みたいなものだな」
などとほざく。
同じ釜の飯を食った戦友だって? 呑み会の後、ハイジンやキョンシーと一緒に勝手にくっついてきただけじゃないか。
「おい、落目」
「ハイハイ」
「学生時代に君が住んでいた、あの池之端仲町のアパート。この家とまではいかないが、汚くてボロだった。まだ建っているだろうか。懐かしいなあ」
「あれは関東大震災で全壊した。やっとのことで再建したら、今度は東京大空襲で全焼してしまった。だから、今はもうない」
おれの冗談が詰まらぬと思ったのか、キンケツはしばらく黙ったまま、御飯と味噌汁を交互に口に流し込んでいる。
やがてぽつりと言った。
「落ち目の人間を再建することはできるだろうか」
「ほっとけ」
と、おれは言った。
「早く食っちまって、会社でもどこでも行ってくれ。おれはこの後、やりたいことがあるんだから」
「おい、き、きん……いや、落目」
「聞いてるのか?」
「あ、いや、僕たち友達になって何年になるのかな、と思って……」
やれやれ、またかよ。おれはお前のことを友達だなんて、露ほども思ったことはないからな。
「大学の文芸サークルで知り合ってからという意味なら、7年になるだろう」
と、おれは答えた。
「そうか。もうそんなになるんだな」
キンケツは、しばらく感慨深そうにしていたが、そのあと、御飯と味噌汁をそれぞれ3杯ずつ平らげて、帰っていった。