表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/514

九拾五 いい気なもんだ

 向こうは、平気な顔でズズッと味噌汁を啜ると、

「はー」

 と声を上げる。

「味噌汁が胃袋に沁み込む時の、この感触が堪らない」

 そう言って、またズズッとやる。


「呑み過ぎた日の翌朝は、また格別だろう」

「ああ、たしかに」

 ネギと豆腐を口に放り込むと、またズズーッ。


「おい、落目」

「何だ」

「お前は、ほかに何にも取り柄がないが、味噌汁を作るのだけは昔から上手だったな」


 ほうら、始まったぞと思いながら、

「つべこべ言わずに、早く食っちまえよ」

 と、おれは言った。


「おい、落目。おかずはないのか?」

「おっと、そうだった」

 おれは、とりあえず梅干しと海苔を出してやった。


「これだ、これだ。こんな貧しいものばかり、昔から食わせやがって」

 そう言いながら梅干しを頬張ると、種だけぷっと吐き出す。

 それから、御飯を海苔に挟んで口に放り込むと、ムシャムシャやっている。


 世界で一番素晴らしいピクルスは、梅干しである。

 おれは常々、島国根性丸出しで、そう公言している。


「日本人に生まれたことを感謝するんだな」

 おれはそう言いながら、粘りが十分に出るまで納豆を掻き混ぜると、生卵を割り入れた。そいつに醤油をぶっ掛け、再び搔き混ぜると、最後に揉み海苔と小ネギを乗せた。

 これだって、手順が大事なんだから。


 世界で一番素晴らしい発酵食品は、納豆である。

 おれは常々、島国根性丸出しで、そう公言している。

 

 キンケツに出してやると、

「これだ、これだ。ホントに君って進歩がないんだな」

 と言いながら、箸で御飯の真ん中に穴を開け、器用にそれを流し込んだ。


 そいつを、また箸で無闇に口の中に掻き込む。そうやって御飯を掻き込んでは、味噌汁をズズッと呑む。味噌汁を呑んでは、御飯を掻き込む。

 夕べあんだけ吐いておきながら、こいつの胃袋は一体どうなっているんだろう。


「おい、落目、落ち目」

 さっきからやたらそれを繰り返す。しつこい奴め。

 そう思ってイライラしていたら、

「僕たち、同じ釜の飯を食った戦友みたいなものだな」

 などとほざく。


 同じ釜の飯を食った戦友だって? 呑み会の後、ハイジンやキョンシーと一緒に勝手にくっついてきただけじゃないか。

 

「おい、落目」

「ハイハイ」

「学生時代に君が住んでいた、あの池之端仲町のアパート。この家とまではいかないが、汚くてボロだった。まだ建っているだろうか。懐かしいなあ」


「あれは関東大震災で全壊した。やっとのことで再建したら、今度は東京大空襲で全焼してしまった。だから、今はもうない」


 おれの冗談が詰まらぬと思ったのか、キンケツはしばらく黙ったまま、御飯と味噌汁を交互に口に流し込んでいる。


 やがてぽつりと言った。

「落ち目の人間を再建することはできるだろうか」


「ほっとけ」

 と、おれは言った。

「早く食っちまって、会社でもどこでも行ってくれ。おれはこの後、やりたいことがあるんだから」


「おい、き、きん……いや、落目」

「聞いてるのか?」

「あ、いや、僕たち友達になって何年になるのかな、と思って……」


 やれやれ、またかよ。おれはお前のことを友達だなんて、露ほども思ったことはないからな。

「大学の文芸サークルで知り合ってからという意味なら、7年になるだろう」

 と、おれは答えた。


「そうか。もうそんなになるんだな」

 キンケツは、しばらく感慨深そうにしていたが、そのあと、御飯と味噌汁をそれぞれ3杯ずつ平らげて、帰っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ