九拾 湯浴み乙女の深謀遠慮
長谷川平蔵は、剣の腕が立つばかりでなく、人情にも厚いし、女にも持てる。酒の呑み方だって、粋なもんだ。
呑んだ後も、酔って足を取られたりはしないで、バッタバッタと悪人どもを斬り捨てる。
千鳥足でそれをやったんじゃ、酔剣になっちまう。平蔵のイメージ、丸潰れだ。 何たって、平蔵はスーパーヒーローじゃなくっちゃいけない。
しかし、おれたちはそんな怪物ではない。ただの人間なんだ。
キンケツも、会社で何か辛いことでもあるのだろうか。
一流商社のエリートサラリーマンだといくら威張って見ても、その実、石児童のように何か重たいものを背負っているのかもしれない。
おれはお人好しにも、この仇敵のことが少し哀れに思えてくるのだった。
すると、おれの頭の中で、誰かの声が響いてきた。
欽之助……。
湯浴み乙女が、おれを呼んでいる。
脱衣所に行くと、いつもの恰好で待っていた。
「欽之助、やばいよ」
と言う。
「えっ、何が……?」
「だから、あの人……。あんなに呑んで」
「ああ、あいつのことなら心配ない」
「だって、さっきはガマの油で事なきを得たけど、完全に治ったわけじゃないからね。アルコールで、また元に戻る危険性だってあるんだから」
おれが唖然としていると、
「はい、これ」
と、五角形になった紙包みを差し出してきた。
「何だい、これは」
「薬包紙よ。鬱金とゲンノショウコと朝鮮人参と、それに万金丹を擂り潰したものを混ぜた粉薬。急性アルコール中毒を防いでくれるの。本当に良く効くから、絶対に飲ませてあげて。絶対に絶対だよ」
「分かった。有難う」
部屋に戻ると、いい加減にお開きにしようということで、皆でてんやわんやしながら片付けをしていた。
つる坊とキョンシーはそれぞれ用事があって、已む無くキンケツを置いて帰っていく。
おれは、愚図るキンケツに早速薬を飲ませてやり、散々苦労しながら、彼を布団に寝かせてやった。
しばらくしてやっと静かになったと思ったら、京子さん……と寝言を言う。
「京子さんだって?」
寅さんとヤンマーが、同時におれを振り返る。
こいつめ。
おれは怒りに任せて、最初は東側の座敷に寝かせてあったキンケツを、布団ごとズルズル引っ張って、床の間のほうに移した。
「おいおい、そんな乱暴な」
「何だってそんなことを――」
二人とも目を回している。
「いや、こんな奴ですが、一応お客さんだから」
と、俺は誤魔化す。
もう、今夜何があっても知るものか。
「何かあったら、俺に言ってくれ」
皆と一緒に帰りしなに、寅さんが言った。
あまりにもタイミングが良かったから、びっくりして彼の顔を見る。
「その時は、診療所の先生を、俺が首根っこひっ捕まえてでも連れてくるから。そのほうが、救急車なんか呼ぶよりも断然早いからな」
寅さんはそう言うと、縁側を降りた。




