八 落目欽之助、自らと対峙する
あれは、まだ初夏のことだった。
おれは例の乱れ髪のせいで小説が書けず、座敷に寝転がっていた。
開け放した縁側のほうから爽やかな風が吹き込んできて、床の間の掛け軸をカタカタと揺らす。老子が牛の背で悠然としている画の下には、汚い古備前が端座していた。
老子は、死んだ爺ちゃんに何だか似てきたような気がしたが、まあ、気の所為だろう。
部屋の隅には、寺子屋で使われていたという文机。その上にノートパソコン。部屋の中はこれだけだ。
あとは空っぽ。
何にもないのが一番いい。今のおれの心の中のように。
京子のことも、小説のことも、もうどうでもいいや……。
そんなことをぼんやりと考えながら、うとうとしかけた時だった。
縁側の向こうから人の話し声がする。
物好きにもほどがあるってもんだ……。きっと変わりもんなんだよ……。
しかし、今度の奴はいつまで持つかな……。根性なさそうに見えるから、一月も居られまい……。
薄目を開けて見ると、近所の農家の人たちだろう、崩れかけた土塀の所に、三四人固まって大声で話をしている。
どうやら、何事かを知っているらしい。今頃になってそんなことを言うんなら、何で最初から教えてくれなかったんだ。化野が帰った後に、いくらでも機会があったはずだろうに。
あんまり忌々しいので、むくっと起き上がって、目玉をぎょろりと剥いてやった。
すると、ある者は鍬を担いだまま、ある者は軽トラに乗り、何事もなかったかのようにその場から消えてしまった。
これだから田舎者は――。そう苦々しく思いながらも、一方では、同じく田舎者の故郷の人たちをおれは懐かしんでいるのだった。
それから二三日も経っただろうか。
閉所恐怖症のおれは、いつものように雨戸という雨戸、障子と言う障子をすべて開け放して座敷に寝転がっていた。
すると、庭のほうで物音がする。
またあいつらか――。
一つ意見をしてやろうと思って起き上がると、なんと、このおれ自身が縁側の向こうに立っている。
無遠慮に家の中を覗き込んでいるので、コラっと怒鳴ったら、ふっといなくなった。
こいつはいけないと思った。
相も変わらず、影法師が家の中をうろつき回る。
毎晩畳の下から両手が伸びてくる。払いのけても払いのけても伸びてくる。
ニンニクを塗り付けてやればやったで、今度は女の顔が転がってきて、悩まし気にこちらを見る。
ヤブヘビだ。これ以上手の打ちようがない。
睡眠不足の所為で「小説家になろう」への投稿が止まって、もう何日が過ぎただろうか。