八拾 アカオトシ登場
「蝦蟇はね、鏡に映った己の姿を見て、たらーりたらりと脂汗を流すらしいの。それを柳の枝で煮詰めたのが、これってわけ」
鏡に映った己の姿を見て、だと……?
「ふふふ。誰かさんみたい。あんたは、自分自身が一番怖いって言ってたもんね。でも私、裸になった欽之助の汗が、一度見てみたいな」
「えっ?」
たらーりたらりと、本当に脂汗が出そうになる。
「この前は、海に連れていってくれて有難う」
湯浴み乙女は、またおれの唇にキスをすると、ふっと消えてしまった。
何故かその日に限って、無性に危険な予感が、おれにはしてくるのだった。
おれは、彼女に教えられたとおり、キンケツの背中に冷水をぶっ掛けたあと、清潔なタオルで拭いてやり、ガマの油を塗ってやった。
すると不思議にも、爛れて水ぶくれができていた皮膚があっという間に治って、わずかな赤みが残るだけとなった。
キンケツの話によると、入浴している最中にこんな目に遭ったらしい。
頭を洗っていると、不意に背後から声がした。
「だいぶ溜まってますぜ。ちょっと流しやしょうか」
少し驚いた。
「あんたは、もしかして三助かい?」
「いや、そんな者じゃないんですがね。よござんしたら、あなたのお背中を流して差し上げますよ」
「そりゃ、有難い。折角だから、一つ頼むよ。然し、落目の奴め。働いてもいない癖に、親の遺産のお蔭で大した御身分だよ。女中だけでなく、下男まで雇っているとはなあ」
「こいつあ、あっしが特別にこしらえた糸瓜タワシでしてね」
男は、キンケツの背中をゴシゴシ擦りながら言った。
「然し、旦那もこう溜まってるんじゃあ、さぞかしマネーのほうも貯まっていなさるんじゃねえですかい?」
「そうだなあ。落目みたいに、いつまでもケツの青いことばかり言ってたんじゃ駄目だね。やはり世俗の垢に塗れなきゃ、金は貯まらないさ。でも、僕なんか、まだまだこれからだよ。将来は麻布かどっかに豪邸でも立てて、あんたみたいな下男だろうが女中だろうが、大勢雇って見せるさ」
「是非、そうなさいまし」
「然し、あんたみたいな日本人はパスだ。大した働きもない癖に、賃金だけは無駄に高いからね。やはり、外国から安い労働力を受け入れるに限るよ。それも派遣でね」
「そんなことしか言えないから、こんなに垢塗れになるんでさあ。こいつあ、糸瓜じゃ歯が立たねえ。軽石でやっちまおう」
そう言われて、猛烈にゴシゴシやられてしまったという。
それを聞いて、おれは思い出した。
アカオトシだ――。
昔、爺ちゃんから聞いたことがある。地方によっては、『虚仮落とし』とも呼ばれているらしい。
しかし、そいつが水かけ女の亭主であり、かつ湯浴み乙女の父親だとは思ってもみなかった。
キンケツは、皆が座に着いたあとも、アカオトシの話で大騒ぎしているので、おれは遮るように言った。
「お前さあ、宝探しで張り切り過ぎたものだから、風呂でうたた寝をして夢でも見たんじゃないのか?」
「いや、だって君、さっき薬を付けてくれたじゃないか。あれは実に良く効いた。僕にも少し分けてくれないか」