七拾七 キンケツ、胸を張る
キンケツは、金縁眼鏡のフレームをちょっとつまむと、
「ジンアイ商事の金本と申します。よろしく」
と、二人を見下ろすように言った。
寅さんは、ヤンマーの脇腹を小突きながら、
「アイジン商事って、お前知ってるか?」
と聞く。
聞かれたほうは、当然首を振っている。
キンケツは、コホンと咳をすると、
「アイジンではなく、ジンアイです。埃の塵埃ではなく、人を慈しみ愛するの仁愛です」
と、わざわざ漢字の説明まで付け加える。
「ほこりの塵埃って字、お前書けるか?」
また首を振る。
「でも、挨拶って字は書ける」
「ほお」
「ム矢巛タって書くんだ」
「なるほど。俺は、範疇のチューって字が書けるぞ」
「へえ」
「士のフエ、一吋って書きゃあいいんだ。どうだ、参ったか」
「参った」
すると、キョンシーが割り込んできた。
「じゃあ、憂鬱の鬱って字の覚え方、知ってます?」
「いや、そいつだけは……。字を見ただけで憂鬱になっちまう」
「こう覚えるんです」
キョンシーが、得意になって言う。
「林缶ワ、アメリカンコーヒーを――」
「エヘン、エヘン」
キンケツが、再度咳払いをすると言った。
「お二人は、ジンアイ商事を御存じないんですか? 天下の高木チュー商事よりも大きいんですがね」
今度は、二人揃って首を振っている。
キンケツは、なお向きになる。
「かの有名な金田翁が、1905年、元号で言うと明治38年に創業した会社なんですよ。『吾輩は猫である』が、『ホトトギス』に掲載されたのと同じ年なんですがね。それほど歴史のある会社なんです」
「知らないなあ。その年に日露戦争に勝ったというのは知っていても、高木チュー商事ってのは知らない」
と、寅さん。
「だから、高木チュー商事ではなくて、ジンアイ商事ですってば。社訓でも有名なんですがね。三角術って言って、創業者の金田翁がモットーにしていたことをそのまま社訓にしたものなんですが、御存じないですか?」
「いや、知らない、知らない」
「義理をかく、人情をかく、恥をかくというものです」
「なるほど、そりゃ儲かるはずだ」
とヤンマー。
「田舎じゃ、そんなこたあできねえや」
寅さんが言う。
「俺の三角術は、尻をかく、鼾をかく、仕舞いには嬶に叱られてべそをかく、この三つだ。ついでに屁をこくってのはどうだ?」
「アンタ、いい加減にしなさいよ」
気が付くと、美登里さんが怖い顔をしている。
「おっと、こいつァいけねえや」
寅さんが首をすくめる。
「そう言やあ、腹が減ったなあ。さあさあ、先生方。ここを元に戻しちまいましょう。さもないと、いつまでも昼飯にありつけませんぜ」