七拾四 市松人形の怪
しかし、そうなればそうなったで、おれの能力なんて何一つ役に立たない。
そもそも、こんなのが能力とさえ言えるのだろうか。
児井文好はおれのことを、あやかしが見えるだけではなく、彼らの心を感じ取る能力も備わっていると言っていた。
湯浴み乙女は、彼らの辛さや悲しみを、このおれが、ちゃんと理解できると言った。
何てことはない。ただそれだけのことだ。
過去に、影法師の説得を試みたこともある。
いいかい? 君がそんなに頑なに口を閉ざしたままじゃ、何かしてあげたくたって、手の打ちようがない。
そもそも、この家に僕を呼んだのは、君じゃないのか?
それとも、乱れ髪なのか?
或いは、この家自体が君たちの窮状を見るに見かねて、僕を呼んだとでもいうのだろうか?
でも、そんなことはもうどうでもいいんだ。
これも何かの巡り合わせなんだろう。
僕にできることがあったら、教えてくれ。
おれがそう迫ると、影法師はぷいと顔を背け、居なくなってしまった。
この日もそうだった。
人形の手を一心に見つめていたので、
「何か心当たりがあるんじゃないのか」
と聞くと、いつものように、すっと二階の自分の部屋に消えてしまったのだった。
おれは人形の手を子細に調べてみた。
どれぐらい古いものかは分からないが、見た目は余り傷んでいないようである。床下で日光に当たらなかったせいかもしれない。
どうやら桐塑市松のようである。
両親がまだ古物商を盛んにやっていた時分に、家にも数体置かれていた。
ある日、家の敷地で近所の友達と遊んでいたら、いつの間にか豆腐小僧が勝手に加わっていた。豆腐小僧はいつものことではあったが、その日はもう一人、新顔が居た。赤い着物を着たおかっぱ頭の少女――。
おれが彼らと話をしているのを、友達は不思議な顔をして見ていた。変な奴だと思われていたに違いない。
その後、何かの用事で座敷に行ったら、全く同じ格好をした女の子の人形が、脚を前に投げ出した姿勢で置かれていた。おれと目が合うと、虚ろな目をしたまま、小さな赤い唇でにっこりと笑いかけてきたのだった。
桐塑人形については、爺ちゃんから教えてもらったことがある。
桐塑とは、桐のおがくずを糊で固め、更に胡粉を何度も塗り重ねて人形の素材にするもので、丈夫で加工しやすいらしい。
こうして作った市松人形の中には、誉人形と言って、太平洋戦争中に、特攻隊員が出撃する時に持っていったものもあるらしい。人形には母親の着物を着せたという。まだ十代の若者だからであろうが、中には妻や恋人のものだったりしたような例もあるのだろうか。
しかし、仮にこれが桐塑人形とした時に、何故、両手の部分だけが、床下なんかにあるのだろう。
そしてもう一つ、大きな問題があった。
それは、天井から落ちてくる乱れ髪の顔が、人形のものなどではなく、どう見ても人間のものだということであった。
影法師については、当分諦めるしかない。
ならば、清さんにも人形の手を見せておこう、とおれは思ったのだった。