六拾六 思いがけない電話
それではと、お祓いまで行い、屋敷を取り壊そうとしたが、解体業者の職人が大怪我をしたり、重機が壊れたりで一向に進まない。それならばと、解体業者を替えていくら試してみても、結果は同じことであった。
こうして、この屋敷だけが誰にも相続されないまま、これまで放置されてきたのであった。
「さあ、これでいいですかい? 私はこれでも忙しい身でして、ほかにも似たような物件をたくさん抱えているんでさあ。そろそろお引き取り願えますかね?」
ここらが潮時であろうと思った。まだまだ分からないことが沢山あるが、一定の成果はあった。
こうしておれは、化野不動産を後にする。
おれは少し手詰まり感を覚えていた。
思いつくことはあと一つ。
今までずっと、先延ばしにしてきたことである。
しかし、いざそうしようとすると、いつも気後れするのだった。
果たして力仕事の苦手なおれが、一人でやれることだろうか。
あの広い八畳間の畳を全部剥がし、更に荒床も同じように剥がし、床下の土をスコップで掘り上げるなんて――。
考えただけでぞっとした。
それにいつやればいいのか。
まさか、真昼間からそんなことをやれる訳がない。近所の人はどう思うだろう。それに、赤虎と青虎にまた何と言われることか。
だからって、雨戸を締め切って、電灯の明かりでやる? それとも夜に?
どう考えたって、正気の沙汰じゃない。
そんなことで、おれが逡巡しているうちに、月日は過ぎていき、季節は秋になっていた。
「ねえ、抱いて」
「よしてくれ」
相変わらずそんなことを繰り返していたある日、思いがけなく大学時代の友から電話があった。
実は世捨て人になることを決心した時に、携帯電話を別の会社のものに乗り換えるとともに番号も変更し、京子は勿論、友人たちの誰にも教えていなかった。
然し、彼らの番号だけは未練がましくも移していたのであった。
電話の主は、樫木正雄であった。
「ボッチャン、ひどいじゃないか」
と、昔のあだ名で呼ばれる。
「今まで何の連絡もくれないなんて。一体、どうしてるんだ? みんな心配してたんだぞ」
いつも自分のつるつる頭を撫でながら、句作に励もうとしている彼の様子を、おれは懐かしく思い出していた。
実は彼は、学生時代から俳人として名を成しつつあった。卒業後は就職をすることなく、俳句雑誌『カササギ』を創刊し、成功を収めていた。
『カササギ』には、もう一人の朋友である中浜喜与志も参加していた。
しかも驚いたことに、朝丘はこの9月から『朝陽俳壇』の選者の一人になったというのである。朝陽新聞社の発行する新聞紙上に掲載されているものだ。しかも、朝陽新聞社はおれが2年間新聞記者として働いたところであった。
退職したとは言っても、それで直ちに縁が切れるのではなく、その後も社会保険や年金などのことで、総務とは連絡を取り合う必要があった。それで已む無く、連絡先を届けていたのであった。