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五拾 引き裂かれた婚礼衣装

「いい縁談だよ。お前と三つしか変わらないが、これが実に堅実で落ち着いた人でね。俸禄は少ないかもしれないが、真面目で遊び事もするでなし。この人となら、ちゃんとやっていけるから」

 初枝はそう言うと、(きよ)さんの返事も待たずに、どんどん縁談を進めようとする。


 彼女は思い切って頼んでみた。

小母(おば)さん、私はもう十分です。これまで本当によくしていただきました。でも、私は結婚などしたくありません。

 どうか、このままこの(うち)に置いてください。女中でも何でも構いませんから」


「何、言ってんだい」

 初枝は、烈火のごとく怒り出した。


「私が今まで、どんな思いでお前を育ててきたか。それもこれも、お前のお母さんとの約束があったからじゃないか。

 それに、女中でも何でも構いませんだって? 私は今までそんな風にお前のことを思ったこともないし、お前のお母さんのことだって、そんな風に扱ったことは一度もない。それを何だね? 私への当てつけかい?」


「ごめんなさい。私、何もそんなつもりじゃ――」


「分かったんならいいんだよ。私はね、何もお前が憎くてこんなことを言うんじゃない。お前が可愛いからこそさ。お前のお母さんになったつもりで、これまで育ててきたんだからね。だから、何もかも私の言うとおりにしていりゃ、間違いないんだよ」


 清さんには、もうそれ以上なす(すべ)がなかった。



 こうして、縁談はとんとん拍子に進んだ。

 嫁入り道具など婚礼の支度は、安太郎の両親が万事抜かりなく整えてくれた。


 ある日、初枝から座敷に呼ばれる。

 入ってみると、衣桁(いこう)に立派な着物が掛けられている。空色の地におしどりの(もん)である。


「お前の嫁入り衣裳だよ。ちょっと袖を通してみてごらん」

 機嫌良さそうにそう言うので、言われたとおりに片方の袖だけ通して羽織ってみる。確かに上等な着物である。


「加賀友禅だよ。矢張り似合うもんだねえ」

 しみじみとそう言う。


 そこへ、着物に袴姿の安太郎が、本を小脇に抱えて帰ってきた。着物を羽織った清さんを見て、一瞬眩しそうな表情を浮かべる。

「ああ、安太郎――。お前もちょっと見てごらん。清の婚礼衣装だよ。本当によく似合っているだろう?」


 すると安太郎は、いきなり本を畳に叩きつけた。

「何だ、こんなもの」

 清さんの羽織っていた加賀友禅を、乱暴に剥ぎ取る。はずみで、清さんは畳に倒れてしまう。


「国が今、どんどん悪くなっていく一方だっていうのに、何をこんなもので浮かれているんだ」

 と言うと、袖の所から引き裂いた。


「あっ、何をするんだい。それは、清のお母さんの形見なんだよ」

 安太郎はハッとしたような顔をすると、しばらく茫然としていたが、やがてその場を立ち去った。


 初枝は、畳に投げ捨てられた着物を、膝から崩れ落ちるようにしながら手に取った。

「清や、堪忍しておくれ。安太郎は近頃変わってしまった。なにやら、変な思想にかぶれてしまったみたいでね。これは、私がちゃんと繕っておくからね」

 そう言いながら、肩を震わせている。


 清さんはたまらず、

「小母さん、いいんです。私は何も気にしていませんから」

 と、その背中をさすってあげた。


 初枝が、泣き顔のまま振り向く。

「私はこの日が来るのを、どんなに楽しみにしていたか――。

 お前のお母さんはね、お父さんと死に別れて(うち)に来るまで間、暫くは家財道具や着物を売って(しの)いでいたらしい。でも、これだけは取っておいた。娘に残してあげたい一心でね。それを私が託されていたんだ」

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