五百壱 丁々発止の論戦もなく、国会議事堂むなしくしてあばら家と成り果てぬる
こちらも真正面に座り、相手を見据えて言い返した。
「ほほお。それなら君は、自分のことを利口だとでも?」
「あっしがですか?」
意外な質問に、化野零児は一瞬キョトンとしたような顔をした。それから頭をのけぞらせて笑った。
「ハハハ……。これは一本取られましたな。私ですかい? 私はと言えば、まあ半分馬鹿でしょうな。なぜかというと、あんたのような馬鹿にかかずらっているからですわ。私はこれでも忙しい身体を抱えているものでね。
どれ、今度は私のほうから質問しますよ。あんたは日本で今、所有者の分からない土地がどれだけあるかご存知で?」
「何だ、突然?」
「いきなりそらで面積を言えといわれても、お困りでしょうから、少し難易度を下げて差し上げましょう。
では、三択です。面積は、次のどれと同じぐらいか? 一、巌流島。二、尖閣諸島。三、沖縄本島。この三択だ。さあ、答えたまえ」
「人をはめるのもいい加減にするんだな。答えは、九州より広い、だ。君のやり方は、政治屋やテレビの討論番組に出る人間たちに似ている。先に自分が調べておいたことを突然質問しておいて、相手が答えられないと見るや、完膚なきまでに叩きのめす」
「あんたも、その政治屋の端くれでしょう?」
「その遣り口も同じだな。相手を散々挑発しておいて、怒りで思考不能にさせ、議論を自分の優位に進めるんだ。もうその手は食わないさ」
「ハハハ。あんたも食えない人だ」
「いつもそうやって、人を食ってばかりいるんだろう?」
「仕事柄ね」
化野はそう言うと、どういうわけか、そこでじっと先生の顔を見つめた。
何気なく見返すと、続けた。
「ふん、まあいいや。で、普通ならそれらの土地は行政や不動産業者、或いは法律家の仕事だ。たとえそれが、どんなに困難であろうともね。だが、この件はそうはいかない。文字どおり普通の人間にはお手上げです。だからこそ私のような者の力が必要になるんですよ。分かりますか?」
語尾に力を入れてそう言うと、化野はまた眼鏡を外した。いったんそれをテーブルの上に置きかけたが、途中でそれをやめる。
ポケットから、やおらしわくちゃのハンカチを取り出し、眼鏡を拭き始めた。脚を組んだまま、目を細めて確認しながら入念に拭いている。
「私の目玉と違ってよほど曇りやすいんだろうな、その眼鏡は」
先生はさっきの敵討ちをすると、さらに追い打ちをかける。
「そんな汚いハンカチで拭いたんじゃ、余計に曇ってしまうぞ。ここには眼鏡クリーナーもあるから、よかったら貸してあげようか」
「遠慮しますわ」
眼鏡をかけ直して言う。
「ものがよく見えすぎるあまりに、どうでもいいことに焦点が移ってしまうことだってあるんじゃないですか。現に今の世なんてテレビ、新聞どころか、XだのSNSだので情報が氾濫しすぎていて、すっかり本質を見失っているじゃありませんか。
例えて言うならば、子供がモンシロチョウを両手ではっしと挟んで捕まえたつもりが、ひらひらと頭の上を飛んでいくのを、鼻水を垂らしながら間抜け面で見送っているようなものでさあ。
さあさあ、戯れ言はそれぐらいにして、本題に戻りましょう。とにかく現状のままでは、お嬢さんの身の安全は保証できないし、何よりもあの家自体がお嬢さんを受け入れないでしょうな。あなたがそれでいいなら、私は構いませんがね」
「あの家が娘を受け入れない……」
いよいよ訳が分からず、ぼんやりと繰り返す。あらためて尋ねた。
「どういうことなんだ。ひょっとしてあの家自身が君に仕事を依頼したとでもいうのか? ただの木と紙でできたものだというのに……。いや、紙だって元々は木からできた物だから、家なんてただの木の集まりではないか」
「家と言うよりは、屋敷と言い換えたほうがいいでしょうな。正確には、土地と家が合わさった物ですわ。だからと言って侮っちゃあいけませんぜ。
土地には産土神がいなさるし、樹木には木霊が宿っている。家はその樹木で造られていますからね。
あの屋敷は、そこに代々住んでいた人間たちのそれぞれの人生、悲喜こもごもをずっと見続けているうちに、自らの意識が芽生えたんですな。言わば、ものごころがついたってわけです。
ところが、ある時からピタリと誰も住む者がなくなった。正確には七十年です。その長い年月を経るうちに、屋敷自体が意識のみならず、自分の意思を持ち初めたってわけですな」
先生はそれを受けて言った。
「つまり、そこに本来住むべき正しき人が絶えて久しくなったばかりか、望んでもいない輩が跳梁跋扈するのを、あの屋敷が憂えているというわけなんだな。
ハハハ。こいつは可笑しい。まるで今の国会議事堂みたいではないか」




