五百 夢判断
悪夢はその後も続いたが、先生の腑に落ちないことが二つあった。
一つは、男と女の妖怪が同時に現れることはないということ。
それからもう一つは、着物の妖怪と生首の妖怪が、それぞれ別物であるらしいということであった。それが証拠に、着物の妖怪のほうは、自分の襟から女の生首が現れることをひどく嫌がり、それをもぎ取ろうとさえするのである。
もう一つ気づいたことは、彼らに先生を取り殺そうとするような害意が微塵も感じられないということであった。
だとしても、一ヶ月近くも毎晩こんな悪夢にうなされていては、いかに頑健で豪胆な先生でも堪ったものではない。
ところが化野は、先生に起きていることは夢でもなく、現実のことでもない。しかし、真実のことだと言う。
何を言っているのか、さっぱり要領を得ない。突然現れたこの胡散臭い男をもちろん信用する訳ではないが、この際だから、試みに聞いてみることにした。
「すると君は、彼らの正体を知っているんだな?」
ところが、向こうは平気で首を振る。
「そんなことまで知るわけがありませんや」
「何だと? おい、貴様──人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
つい気色ばんで、もう一度ひっ捕まえようとするが、向こうはうまい具合にすり抜ける。
微妙な間合いをはかるようにしながら、今度は先生の執務机に尻を落ち着けた。
机の縁に両手をつき、脚をブラブラさせながら言う。
「ハハ……。とうとう貴様ときたか。だが、あんたは期せずしていいことを言った。そうだよ、確かに私はあんたを馬鹿にしている。いやさ本当に馬鹿なんだから、仕方ねえや。
それでも、一つだけ私にも分かることを教えてやりましょう。その着物の妖怪は、付喪神の一種ですわ。人間が愛用している物に魂が宿ったものでしてね、おそらく元の場所に、もしくはそのものが本来いるべき場所に帰りたがっているんでしょうな」
「それでは、女の生首は?」
相手の言うことを、つい本気にして聞いてしまった。
「あんたも気づいているとおり、着物の妖怪とは別物です」
「じゃあ、何者なんだ?」
「さあてね」
それっきり答えは返ってこない。
「……影法師は?」
「いっこうに存じません」
「何も知らないも同然ではないか。よくそんなことで大きな口を叩けたものだ」
それでも先生は、辛抱強く別の質問をしてみた。
「もう一つ、お情けで聞いてやろう。彼らの目的は何かね?」
「さあ、それもどうだか……。だが、これだけは言える。彼らは死んだ人間ですよ。死んだ人間だからって、特別な力を持っているわけじゃない。元は人間だから、単なる馬鹿なんでさあ。自分が何者で何をしたいのかさえ分からずに、ただ彷徨っているだけなんですな。それなのに、どうしてあっしごときが彼らの正体を知っていると考えるんで?」
ぐうの音も出ずにいると、向こうは続けた。
「死んだ人間が馬鹿なら、生きている人間も馬鹿だ。何も分からず、ただ右往左往しているだけでね。だからこそ、私みたいなものが必要になるんでさあ」
先生は奥歯をギリギリさせながら言った。
「あの屋敷は、全て私の娘に相続させようとしている。娘は当然、君の言う生きているほうの人間だが、やはり馬鹿だと言うのか?」
「そうさなあ。うーん、やはり馬鹿と言えば、馬鹿でしょうなあ。──おっと、勘弁してくださいよ」
さっと机から飛び退いて言う。
おのれ、憎たらしい奴。
ガルル………という声までは立てなかったが、今にも咆哮しそうになった。
「ハハ……。まあ、そんなに怒らずにもうちょっと話をお聞きなさい。お嬢さんはその……、馬鹿は馬鹿でも大愚というか、並の馬鹿ではありませんな」
「何?」
「つまり、あんたのような小人物とは違って、大物だということですよ。お嬢さんこそ、あの家を継ぐにふさわしい唯一の後継者と言えますな」
「何だ。それなら、何の問題もないじゃないか。いや待てよ、娘に災厄が降りかかるかもしれないというのは、彼らのせいなのか? だが、君は彼らに害意はないと言ったではないか。──そうか、害意はなくとも、自分で自分のことがどうにもならないとも言ってたな」
「ふん、まんざら馬鹿でもないと見える」
先生は、相手の憎まれ口には構わず、もう少し自分の考えに没頭した。
あの家と彼らにどんな因縁があるのかどうかは知らないが、彼らは何らかの原因であの家に囚われている。そして、私が相続問題を解決するために乗り出したことを知った彼らは、私の夢に彷徨い出てくるだけでは飽き足らず、娘の夢にまで……。
その結果、彼女を睡眠不足にする程度では済まないと……。このままでは、意図せず危害を加えてしまう可能性もあるというのか……。生首の顔が、京子に似ているということも気になるし……。
ふと顔を上げて、化野に向かって言った。
「すると君は、不動産仲介業者としてではなく、霊能力者としてここへやってきたのかね? 誰かに頼まれて除霊とでも言うのか、彼らを囚われの身から解き放ってやろうと?」
「やはり、馬鹿だった」
吐き捨てるように答える。それからまたソファに戻り、脚を組んで座った。