四 道草のあとの名案が明暗の分かれ道
昔は立派な屋敷だった面影をかろうじて留めてはいたが、漆喰の壁は所々剥がれ落ち、柱の一部も腐れかけていた。
しかも二階建てときているから、相撲取りの白鵬じゃなくったって、白蟻が何匹か地面でちょっと四股を踏んだだけで、たちまち瓦解してしまうだろう。
敷地は三百坪ほどあろうか、庭には菜園などもあった形跡があるが、今は草ぼうぼうである。
大きな立ち木などもなく、周りからは中が丸見えの状態だから、まさかこんな所に闖入してこようとするような酔狂な泥棒もあるまい。
かえって日当たりがよく、広々として見晴らしがよいから、閉所恐怖症のおれとしては好都合だ。
そこで門の前にたたずみながら、こう考えた。
おれはこれから、このあばら家で世捨て人のような生活する。それから、小説をバリバリ書く。しかし、文芸誌に応募するのはしばらく控えてみよう。
何でも、ネット上には「小説家になろう」というサイトがあるというではないか。代わりにここに投稿するのだ。いわゆる職業作家になんか、なれなくったっていい。かろうじて東京のはずれに踏みとどまったものの、どうせ出版社からお呼びがかかるはずもあるまい。
親の残してくれた財産が少しはある。贅沢さえしなければ、自分一人ぐらい何とか食ってはいけるだろう。
これからおれは、「高等遊民」になるのだ。
そう考え、「これは名案だ」と、こゝろの中で快哉を叫んでいた。
どうして早く思いつかなかったのだろう。やれやれとんだ道草を食ったものだ。
ここまで考えを漂流させていると、突然おれの背後で、
「中を御覧になりますか」という声がした。
いや、驚いたのなんの。気配も何もあったもんじゃない。
黒縁の眼鏡をかけ、くたびれたグレーの背広を着た男が、ふらっとそこに立っていた。
「失礼しました。私は化野零児と申します」
そう言って名刺を差し出してくる。
名刺には、名前のほかに看板と同じ会社名、住所、電話番号が印刷してある。
「いやあ、あなたは運がいい。実は当社の設立百周年記念ということで、この家は出血大サービスの価格でお貸しすることにしたんですよ」
男の顔は地面に向けられていて、決しておれのほうを見てはいないのだが、どういうわけだか全身隈なくこちらの様子を探っているような感じがしてならなかった。すこぶる気持ちの悪い奴だ。
近所の農家の人たちであろうか、いつの間にか三、四人集まっている。土塀の上からこちらの様子をうかがいながら、ヒソヒソ話をしている。
なんだか、やな予感がした。この時、この予感をもう少し尊重していれば、いまのおれの不幸はなかったのだが――。しかし、今さら悔やんでも始まらぬ。