四百八拾壱 夜中の電話
その後、英ちゃんと誠にも昨夜の〈ヴィクターズ〉での出来事を伝えた。一度で済ませたかったが、二人の都合が合わなかったので、別々にやるしかなかった。これで同じ話を全部で五回も繰り返したことになる。
しかし誰に何度話したからって、それで事態が好転するわけでもない。あるいは自分で話しているうちに何かいい方策が浮かんだり、誰かの口からそれが提案されるということもなかった。それも当然のことだ。
例の8Kチームは、警察組織におけるエリート中のエリートたちで編成され、万全の態勢を整えたうえで京子の救出に向かうことになっている。それなのに、一介の市民である我々に何ができようか。下手に何かしようものなら、警察の妨げになるばかりか、最悪の場合は彼女の命だって奪われかねない。
せめてこの話は絶対に外に漏らさないよう、皆で固く誓い合うのが関の山だった。
だがそうは言うものの、どうしても後ろめたさのようなものがつきまとうのであった。
おれは言い訳をしているに過ぎないのではないだろうか。無力で何もできない自分自身を正当化するための。或いは自分自身をごまかすための。
中野十一はおれのことを、卑怯者だと言った。自分は安全な所に身を置いたまま、いかにも京子のことを心配しているように見せかけているだけではないか。何かできるわけではないし、その勇気もなければ、結果を引き受ける覚悟もない。だから卑怯者なんだと。
そしてこうも言った。どうせ何もできないんだから、人のすることに難癖などつけずに、警察に任せておけばいいのだと。
だが万が一失敗に終わったら? その時は責任を取るし、その覚悟もしているだと?
簡単に言うなよ。京子は、あんたの実の子ではない。そればかりか、自分の愛に応えてくれなかった女が産んだ子だ。しかもあんたの憎んで余りある、どうしようもない小説家の子供だ。それを掌中の珠のように大事にしてきたなんて嘘っぱちに決まっている。
それどころか、この件を政界で復権するための絶好の機会だととらえているんだろう。8Kチームが突入に成功すれば、闇カジノを摘発できるばかりでなく、都市伝説とされていた〈十一人衆〉の存在を初めて明るみにすることになる。そうなれば、世間の大喝采を浴びること間違いなしだ。
それでオマケのように京子を救出することができれば儲けものではないか。救出できなければできないで仕方がない。それはそれで、国を救った悲劇の英雄としてテレビやマスコミで引っ張りだこだ。
だが、おれはあんたとは違う。おれは決して諦めない。いったんは警察に任せてみてもいいだろう。しかしもしそれで失敗したら、その時はその時で、このおれにもできることがきっとあるはずだ。そういう腹の固め方だっていいではないか。
しかし、京子が死んでしまったらそれ以上何ができるって言うんだ? いや、大丈夫だ。彼女のことはエミーが、あのわらわんわらわが、しっかり守ってくれている。登世さんがそう請け合ってくれた。
そう、大丈夫だ。突入は成功するだろう。そして何よりも、京子はきっと助かる。彼女が助かりさえすれば、いくらあの中野十一でも連絡ぐらいはくれるだろう。
だが実際には、腹なんてそう簡単に固まるものではなかった。結局おれは毎日やきもきしながら、かつ無力な自分を呪いながら、良い知らせを待ち望んでいた。猛暑のさなか、エアコンもないあのあばら家で、かつ改築工事の騒音に悩まされながら。
そうこうしているうちに、暦はいつの間にか9月の半ばになっていた。
ある夜、おれは寝苦しさに耐えかねて何度も寝返りを打っていた。すると枕元のスマホが、けたたましく鳴動しはじめた。着信音は最大限にしている。そいつが突然耳から飛び込み、そのまま稲妻のように心臓を直撃した。
中野からだ。ぱっとスマホを手に取る。その手が激しく震えている。
画面には登録されていない電話番号。誰だろう? いや、誰でもいい。おれだということを相手にしっかりと伝えなければ。
「はい、欽之助です。落目──、落目欽之助です」
ふと、キンケツからよくこう声をかけられてからかわれていたことを思い出した。おい落目。落目、落ち目の欽之助……。
何だバカ野郎と、空いているほうの手で自分の頬を叩く。全く荒井注じゃあるまいし。あいつはタカギチュー商事、もといジンアイ商事の社員で、今はアメリカにいる。いや、アフリカだったか……。
我知らず強く左耳に押し当てているスマホからは何も聞こえてこない。
「もしもし、落目ですが」
やはり返事はない。しかし、電話は切ってないようである。改めて時計を見ると、夜中の十二時を回っている。
このご時世にイタズラ電話なのか? 何だバカ野郎め。
全くあいつときたら、男を好きになったり、女を好きになったり……。ひょっとしておれのことも好きだったのか? だが、おれには京子がいる。おれの最初で最後の恋人だ。お前は自分の初恋の人ともう一度逢えるように、アフリカで頑張るがいい。
「もしもし、落目欽之助ですが、どちら様でしょうか?」
おれは気を落ち着かせるようにしながら、大きな声でもう一度尋ねた。おのれ、これで返事がなかったらすぐにスマホを切って、壁に叩きつけてやる。
すると一瞬の沈黙の後に、息遣いのようなものが聞こえてきた。
この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。




