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四百七拾八 欽之助、信仰心が芽生えるか 

 しかし、中野十一からは、おれの出る幕はもうないと言われている。警察が準備万端整えて対応するだろうし、その警察にさえできないことがどうしておれにできようか。


 黙って考え込んでいたら、

「さて、婿殿」

 と急に相好を崩して言う。

「私は腹が減った。ラーメンを作ってくださらぬか」


 見ると、酒を飲み干してしまったばかりでなく、御飯もおかずも全て平らげてしまっている。


「霊力を使うと無茶苦茶カロリーを消費するんでな。それに、シメにはラーメンが一番じゃ。婿殿も一緒にいかがかな?」


 いやいや、そんなに食べておいて、まだ足りないと言うんですか?


 とは、言わなかった。年寄りにそんなことを言うのは絶対に禁物である。


 さすがに自分の分は遠慮しようと思ったが、そう言われると無性に食べたくなった。直ぐに台所に立ってラーメンを作った。登世さんと向かい合わせになって、そいつをズルズルとすすった。


「暑い時に、キンキンに冷えた部屋で熱燗をキュッとやる。ああ、何という至福。そして、シメにはラーメンじゃ。それも暑い時に、クーラーの効いた部屋で食べるラーメン。うーん、最高の贅沢じゃな」

 食べ終わると、登世さんがいかにも嬉しそうに言う。


「同感です」

 おれは後片付けをしながら、相づちを打つ。


「さて、婿殿はまだすることがあるんじゃろう? 私は昼寝をすることにしようかの。心ゆくまで飲んで食べて、あとは涼しい部屋で昼寝をする。これまた最高の極楽じゃ。私はつくづく果報者じゃて」


 こうしてようやく登世さん宅を引き上げたおれは、直ぐその足でこんにゃく様に向かったのだった。


 例によってまだ張り巡らされているロープの間をかいくぐり、中に足を踏み入れた。かろうじて水盤だけ残された手水舎てみずやで一応手を清める。そこから拝殿までの距離は、わずか五メートルほどしかない。


 鈴を鳴らしながら、ふと思い出した。ここに祀られているのは大国主命だ。五穀豊穣、縁結び等の神様である一方、祟り神としても知られている。自分が祀られている宮をもっと立派にせよということが言いたくて、時の天皇の息子に祟り口がきけないようにしたという。我儘なものだ。


 だがそんなことよりも、京子のことが気にかかる。人に何を話しかけられても、ただへらへらと笑っているだけだというのだから。『こんにゃく様再建委員会』は、あれ以来頓挫したままで、建物や鳥居などの修復も放置されたままだ。元々登世さん以外は、本気ではなかったのかもしれない。だから大国主命が怒って、京子をそんな目に遭わせているのだろうか。


 しかし、彼女が言い伝えどおり旺陽女おうひめだというのなら矛盾が生じる。なぜなら、彼女こそがこの宮を再興し、地域を繁栄に導くと予言されているのだから。だとすれば、ある存在が彼女を守っているというのは、大国主命のことなのか? だが、登世さんによれば、京子を守っているものは彼女と同じように清らかで弱い存在だという。大国主命を清らかな存在というのは馴染なじまないような気がするし、ましてや弱い存在であるわけがない。


 待てよ。エミーがいるではないか? 桐塑とうそ市松の人形。元わらわんわらわ……。


 人形は、人の形をしているがゆえに、人の身代わりとなる。ハレの日に飾られるかと思えば、人の代わりに埋められもする。ままごとなどの玩具にされるかと思えば、呪いの道具にも使われる。藁人形がそのいい例だ。でられているかと思えば疎まれ、抱かれているかと思えば投げ捨てられ……。


 わらわんわらわも、過去にそんな目に遭った。エミーとして生まれ変わりはしたが、その時の辛い記憶はまだ心の奥底には残っているのかもしれない。京子を守っているのは、そのエミーなのか?


 ともあれ、おれがこの印鑰いんにゃく神社にやってきたのは、彼女の無事を祈願するためだった。もとより、おれにはそんな信仰心などはない。信仰心というより、そんな超越的な力、存在そのものを信用していないのだ。


 していない……。していないが来てしまった。まさに、藁をもすがる思いだったのだ。しかし、またそんな言い方をすると、大国主命が烈火のごとく怒るかもしれない。この私を、藁や鰯の頭と同じ扱いにするのかと。くわばら、くわばら。


 そこでおれは、財布から一万円札を取り出した。おれはよく京子に連れられて、あちこちの神社にお参りしたものだが、いまだかつて千円より高い金を賽銭箱に入れたことがない。だが、今日は特別だ。なにしろ彼女の命がかかっているのだから。それどころか、彼女が助かりさえするのなら、全財産を投げうっても構わない。しかし、実際にそうしたとしても、望みが叶えられるという保証は全くないのだ。


 一万円なら捨て金になってもいいが、全財産だとそういうわけにはいかない。親が残してくれたわずかなお金である。その金で一生遊んで暮らせるわけではないのだ。そのうちおれも、外で働かねばなるまい。高等遊民のような生活をしたいとは思ったが、あくまでもそれは理想であって現実は厳しい。


 京子が無事に救出されたら、おれはここを去る。その時はお礼に十万円ぐらいは寄付してもいい。寅さんをはじめ、ここの人たちにはさんざんお世話になったのだから。


 そう思って、一万円札を賽銭箱に入れた。だが、そうしたあとで急に心配になった。何せ半分ネズミに食われてしまったようなボロボロの賽銭箱だ。鍵なんてついてないどころか、丸ごと持っていかれそうである。


 実際に試してみたら、簡単に持ち上がった。待てよ、これじゃあおれが賽銭ドロボーと間違えられてしまう。慌てて下ろすと、キョロキョロ辺りを見回した。ますます挙動不審だ。


 そう言えば、テレビでやっていたな。賽銭ドロボーの瞬間を捕まえたレポーターが、当人を難詰していた。とうとう最後は、テレビカメラの前で、その人はお巡りさんにしょっぴかれてしまった。バラエティならともかく、こういうのをわざわざテレビの全国ニュースでやるか? 日本は平和だから、よほどニュースのネタに事欠いたんだろう。


 しかし、賽銭を盗むぐらいなんだから、相当生活に困っているんじゃないだろうか。むしろそういう人たちの生活ぶりに焦点を当てて、日本社会の問題点をえぐり出すようなしっかりとした報道をしてほしいものだ。


 もちろん、ドロボーは悪いことだ。賽銭を入れた人だって、苦しい生活の中、なけなしの金を使って神様にお願いをしているのだから。純粋な気持ちで祈っている人もいるだろうし、中には切実なお願いをしている人だっているだろう。だから、それを盗むなんて、その人たちの気持ちを踏みにじるようなものだ。それなら、初めから賽銭ドロボーなんてできないように、しっかり対策しておくことはできないものだろうか。むやみに罪人を作るべきではない。


 銀の燭台を盗んだ、あのジャン・バルジャンだって、神父さんは赦したではないか。あれだって、元は信者の献金で買ったものだろう。崇仏論争には破れたが、自然を尊崇する日本古来の精神は生き残った。耶蘇教なんかに負けては不可いけない。


 ここは一つ、登世とよさんに意見をしておかねば。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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