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四百七拾七 登世さんの霊視 

 おれは一瞬躊躇したが、川辺一谷らに会って有益な情報を得られたのはこの人のおかげであることを思い起こし、昨夜の一件を詳しく話して聞かせたのだった。


 登世とよさんは最後まで黙って聞いていたが、話が終ると額に手を当て、少し苦しそうにしている。


「大丈夫ですか?」

 慌てて尋ねると、

「心配ありませぬ。しかし、飲んでいなかったら、果たしてどうなっていたことか……」

 と独り言のように呟く。


 薬のことかなと思いながら彼女を見守っていると、

「うっ、これはやはりまずい。婿殿、お願いじゃ。これを──」

 と、先程の徳利を差し出してきた。

「もう一本、レンジで燗をしてくだされ。五百ワットで六十秒。酒はほれ、一升瓶をシンクのそばに置いてますから」

 そう言うと、ますます苦しそうな息をしはじめる。顔面蒼白だ。


「だ、大丈夫ですか?」

 おれは飛び上がるようにして、彼女のすぐそばに近寄った。


「ですから燗を──」

 そう言ったきり、ハーハー喘いでいる。


 おれはすっかり怯えながら言った。

「いや、だって具合が悪そうなのに、酒なんて冗談じゃない。病院に行かなきゃ。あれでしたら、救急車呼びましょうか」


「黙らっしゃい!」

 いきなり一喝される。

「あなたの話を聞いていて、恐ろしいほどの妖気が伝わってきたのじゃ。酒はそれを浄めるためのものじゃよ。このままでは、この身がもたぬでな」

 そう言うと、さっと猪口の残りを飲み干した。


 呆れて見ていたら、「早く!」とかす。なおももどかしそうに徳利の口を手のひらに何度も押しつけたかと思うと、わずかばかりの液体をズズッとすすった。


「まだまだ足りぬわ。うっ、早く!」


 おれはすっかり気圧けおされるように徳利を受け取ると、慌てて台所に向かった。言われたとおりに、レンジで六十秒にセットした。登世さんの顔は、ついさっきまで赤くてかてかとしていたのに、今は真っ青になり、息まで切らしているので、本当に大丈夫なのか気が気でなかった。六十秒がとてつもなく長く感じられた。


 ようやく終了のメロディーが鳴る。

「登世さん、できましたよ!」

 勇んで持っていくと、

「マドラーを」

 と言う。


「えっ?」


「シンクのそばに置いてあるから、それを取ってくだされ」


 確かに、シンクのそばにマドラーがある。渡すと、それで徳利の中をゆっくり掻き混ぜながら言う。

「こうしないと、温度にむらがあるでな」

 猪口に注いで一口飲むと、それで落ち着いたのか、フーと息を吐いた。


 それからおれを見て言う。

「私には見えました。これは誠に由々しき事態ですぞ」


 ついさっきまで、世間の普通の母親のようにしていたのに、いきなり神がかりになってきた。


「何が見えましたか?」

 思わず尋ねる。


「真っ赤に燃え盛る炎じゃ。これが幾つもいくつも見えまする」

 自分のほうこそ真っ赤な顔して言う。


 おれは明け方に見た夢を思い出した。

「ひょっとして火事のことをっしゃっているんでしょうか?」


「大火事じゃわい。それも、人間のごうの深さが原因じゃ。自らの炎で我と我が身をさいなんでおる。厄介なのは、それに何の苦しみを感じることもなく、他の者まで焼き尽くそうとするみやからじゃ。こいつは始末に負えぬ。誠に禍々(まがまが)しき奴らじゃ」


「その中に、まさか京子がいるとでも……?」

 心配になって尋ねた。


「馬鹿者、何を言わっしゃる! 旺陽女おうひめ様がそんなわけがない。あの方ほど清らかなお方は、世に二人と御座おわさぬというに、おのれ、よくもよくも……」


「ご、ごめんなさい。僕が言いたかったのは、前者のことなんです。彼女までもが自らの業火に苦しんでいるのかと」

 余りの剣幕に縮み上がりながら弁解した。


「それでもじゃ。あのお方に業火なんぞあるものか。婿殿でなかったら、コンニャクのかどで頭をぶち割ってやるところじゃったわい」

 なおも憤懣やるかたないように、わなわなと身体をふるわせている。


 おれは慌てて、猪口に酒を注ぎ足してやりながら言った。

「そ、そうなんですよ。僕だって、彼女のような人がそんな境涯に陥ってるなんて、思ってもいませんから。ただ、つい心配のあまり……。これも全て、僕の心の弱さのなせるわざだと」


「ふん。とりあえず陽女ひめ様は大丈夫じゃ。あのような中にあっても、ある存在があの方をしっかりお守りしているでな」


 おれはすかさず聞いた。

「ある存在? 教えてください。ある存在って、何ですか? 何が彼女を守っているんでしょうか」


「それは私にも分からんよ。ただ、少なくとも今の私に言えることは、その存在も陽女様と同じく、清らかで弱い存在だということじゃ」


「清らかで弱いですって? そんなものに彼女を守れるような力があるんですか?」


「では、お主ならどうなんじゃ?」


「えっ?」

 まともに聞き返されて、すぐには言葉が出なかった。


「お主は清らかな人間ではあるまい。しかも心の弱い人間じゃ。いま自分でそう言ったな?」

 とうとう、お主に格下げになったと見える。


「はい。確かに僕は、清らかな人間でもないし、心の弱い人間でもあります」


「それだけではなかろう」


「えっ?」


「愚かでもある」


「……」

 バッサリと斬り捨てられる。


「大愚なり。大馬鹿者なり」


「いや、そんなに追い打ちをかけなくても……。よく分かりました。こんな僕に、彼女を助けるような力はないとっしゃりたいのですね?」


「さにあらず」


「……」


「心が弱くてよこしまなうえに、悪知恵ばかり働かせるような人間ばかりこの世にはびこってみよ。地球はたちどころに滅びてしまうわ」


「はあ」

 おれは何となく浮かない気持ちで聞いてみた。

「どうでしょう。警察に彼女を助けることができますか?」


「さあ、どうかのお。警察にも手に負えるものと負えないものがある。地獄の業火だけは、いかな火付盗賊改方でもかなうまい」


 その言葉に驚き、思わず見返すと、登世さんは言った。

「その8Kチームとやらは、火付盗賊改方と同じような権能を与えられているのじゃろう? しかし、どうかのお。私には真っ赤に燃え盛るものしか見えぬわ。ここは一つ、あなたの出番しかあるまい」

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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