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四百七拾六 京子と響子

 ところが、寅さんちに行ったところ玄関先に現れたのは、いつもの格好をした登世とよさんであった。今日は美登里さんと二人で久し振りに東京の町でゆっくり遊んで帰るらしい。


「ふん、この年寄を一人ぼっちでほっぽらかしておいて」

 登世さんが機嫌の悪そうな顔で言う。

「まあ、二人が仲良くしているのはいいことだが」

 そう言って今度は顔をほころばせる。


 じゃあまた来ますと言って辞去しようとしたら、待ちなされと引き止められた。何だかイヤな予感がする。いったん奥に引っ込んだかと思ったら、ボールを持って出てきた。


 そのままスタスタと玄関を出ると、何も言わずに、小さな土蔵のような所にはいっていった。そのままぼーっと突っ立っていたら、おいでなされと言う。入口から覗いたら、茶色のかめのようなものが三つほどあって、そのうちの一つに向かって腰をかがめている。


「こっちはぬか漬けで、そっちの二つは梅干しじゃ。一つは、今年漬けたばかりのものでね」

 そう言いながら、中をしきりに掻き混ぜている。

「これは常滑焼とこなめやきと言ってな、久松きゅうまつ製なんじゃ。しかし廃業してしまったから、今ではもう簡単には手にはいらない。日本はどうしてこのようにいいものがすたれてゆくんじゃろうなあ」


「はあ……」

 おれがなおもぼんやりしていると、ほれと、さっきのボールを手渡された。ぽんぽんとまだ糠の付いたままのものを放り込まれる。キュウリとナスのようだ。


「それを持って、先に台所でお待ちなされ」

 登世さんはそう言うと、土蔵の脇にあった水道で手を洗っている。おれはどうしてこういつも他人ひとに命令されてばかりなんだろう。そう不満に思いながらも、言われたとおり玄関をくぐっていった。


 シンクの近くにボールを置くと、大人しくテーブルに座って待つことにした。前もってエアコンのスイッチを入れてくれていたようだが、まだ十分には冷えていない。しかし、おれのあばら家よりは増しである。


 登世さんはすぐに戻ってきて、手際よく包丁とまな板を使っている。


 「ほれ」とまた言って、お茶とぬか漬けを同時に出してくれた。いい香りだ。


「玉露じゃよ。婿殿だから特別扱いだ。寅の馬鹿には出すもんか」


 ほーら来た。婿殿だと?

 おれは構えながら茶を手に取ると、そっと一口飲んだ。香ばしい。


「お茶は熱いのに限る。しかし80度にしてあるから、そんなに用心しなくてもよい。私は、夏でも酒は熱燗しか飲まないからね。よねさんもそうさ。良かったらちょっとやるかい?」

 うちわであおいでくれながら言う。


「いえいえ、昼間は遠慮します」


 すると、たまたまハエが飛んできてテーブルに止まった。登世さんはそいつをうちわで叩き潰そうとしたが、難なく逃げられてしまった。それを見送りながら、ふんと軽く鼻を鳴らすと、さあ、漬物も食べてごらんと促してきた。


 言われたとおりに箸でつまんで口に入れ、一口噛んでみた。

「あ……」

 としか声が出ない。


「だろう?」

 と、登世さん。


 ポリポリ噛んだあと、

「ヨーグルトのような香りがします」

 とおれは言った。


「だろう? 美登里ちゃんと私が丹精込めて漬けたものだからね。この時期は直ぐに浸かるのはいいけど、ちょっと油断しただけで糠床が駄目になっちまう。彼女がよくやってくれるから助かるよ。寅なんかには勿体ない、本当にいい嫁だよ」

 しんみりと言う。いつもの怖い登世さんらしくない。


「そうですね。あっいえ、寅さんには勿体ないということではなくて──」


「いいんだよ、分かっている。嫁と言うと語弊があるようだから言うんじゃないけど、私は本当に自分の娘のように思っているんだ。決して死んだ娘の代わりというわけではない。でも、寅には悪いことをした。昨日きのうあの子に言われてハッとしたよ。こんにゃく様は、霊力のある女の子しか宮司を継げないからね。だから私は、娘の響子に相当期待をかけていたんだ。それが死んじまったものだから、その反動で寅にはきつく当たってしまった」


 これはいよいよ剣呑だぞ。そろそろ引き上げ時だ。


 おれは残りの漬物を急いでポリポリと食べてしまうと、お茶も一息で飲み干した。

「えっと──」

 そう言って腰を浮かそうとしたら、すかさず言われた。

「お代わりならあるよ。ちょっとお待ち。すぐに用意するから」

 さっと席を立つ。


「あっ──」


「まだ昼には早いけど、何なら御飯も食べるかい?」

 こちらに背中を向けたまま言う。


「あ……。いいですか? じゃあ、遠慮なく御馳走になります」


 やれやれ、おれのこういう優柔不断さが、いつも面倒なことに巻き込まれてしまう原因となるのだ。しかし、朝御飯も食べてなかったので、そう言われて急にきっ腹を感じたのも事実だった。


「あんたのそういうところを、寅も美登里ちゃんも気に入っているんだ」

 そう言いながら、キッチンでてきぱきと動いている。


「そう言われると嬉しいです」


 登世さんは、ちょっとだけ振り返って笑顔を向けた。それからまた手を動かしながら、話を続ける。

「京子さんが現れた時は、本当に驚いたよ。確かに名前も似ているし、どことなくあの子の面影もあった。最初は響子の生まれ変わりではないかと思ったぐらいだ。でも、すぐに気づいたんだよ。言い伝えのとおり、旺陽女おうひめ様が降臨されたのだと。この話は決して私の作り事なんかじゃないからね」


 来た来た。さあ、どうやって乗りきったものか?


 間もなく出されたのは、生卵、納豆。味付け海苔、梅干し、味噌汁。それに豚の生姜焼き。朝御飯バージョンと昼御飯バージョンの両方だ。


「さあ、お上がり。私もご相伴に預かるからね」

 見ると、いつの間にやら燗をした徳利と猪口がある。


「婿殿もどうかね?」

 と言うので、

「いえ、僕はまだすることがありそうなので」

 と丁重に断わった。


「そうかね、それは残念だ」

 そう言って、ぐいと猪口を傾ける。

「息子夫婦には秘密にしておいてくれるかい? 特に美登里ちゃんがうるさいんだよ」


「分かりました。僕も遠慮なく御飯をいただきますから」

 そう答えて、本当にもぐもぐと食べた。


 登世さんもしばらく黙って、飲んでは食べ、食べては飲んでいる。この分では、あと百年ぐらいは平気で生きていけそうである。


 そう思いながら彼女をちらちら見ていたら、向こうもふとこちらに眼差しを向けて口を開いた。

「ところで──」

 両の頬はてかてかと真っ赤に光っているうえに、いつもの厳しい目付きに戻っている。

「その後の首尾はどうなんじゃ? なにしろ印鑰いんにゃく神社とこの地域の命運は、婿殿の手腕一つにかかっているでな」


 これは大変な課題を押し付けられたものだ。さあ、どうする、欽之助?

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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