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四百七拾壱 あばら家での女談義

 洋間を横切って、さっきの部屋とは反対側の室の襖を開けた。


 もともとこのあばら家は、元豪族であった白河家が建てたものである。


 そこは、一階の応接間やダイニングキッチンなどの真上に当たり、十四畳ほどもある和室が二間続きになっている。


 中に足を踏み入れた瞬間、おれは目を疑った。二つの和室の間を仕切ってあった襖は全て取っ払われており、大勢の得体の知れない人間どもが、宴会をしていたからだった。


 部屋のあちこちで何かの議論をしたり、中には掴み合わんばかりに言い合っている者まである。笑っている者もあれば、泣いている者もある。


 一人でくだを巻いている者もあれば、お膳に突っ伏して寝ている者もあった。


 手前のほうでは男たちが五、六人固まっていて、ちょうど一人が自説を述べている最中だった。


「女にも教育は必用だよ」

 と、その男は言った。


 なるほど、どこかの国の為政者にもぜひ聞かせてあげたいものだ。そう思いながら耳を傾けていると、男は得意そうに続けた。


女三界おんなさんがいに家なしと言うじゃないか。幼きは親に、嫁しては夫に、老いては子に従えと。このうち最も長く女と共に過ごすのが夫だ。だから、我々夫たるものは、みずからの妻に薫陶くんとうを授けてやらねばならない。まあ、平口で言えばしつけだね。」


「そんなまさか。犬じゃないんですからね」

 若い一人が疑義を呈する。少しはまともな人間もいるらしい。


「犬にも劣るさ」

 男はあっさりと言った。

「犬でさえ自分が食わせてもらっているという恩を知っている。ところが近頃の女ときたら亭主の恩も忘れ、専業主婦のくせして、やれ家事の分担だの、ゴミを出してくれだの、赤ん坊の面倒を見てくれだの、キーキー、キーキーうるさいことと言ったら。こういうのは口で言ったって分からないから、ぶっ飛ばしてやるんだ。そうすると一発で静かになる。これこそ躾けというものだよ」


 骨董品がいた! いくらこの家が古いからって、誰がこんな骨董品級の人間を招き寄せたんだ。


「なるほど」

 先程の若い男が感心したように頷く。やはり、まともではなかった……。


「僕んとこは共働きだからね」

 今度は、別の男が言い出した。

「やっぱり家事を分担しろって言われる。だから、稼ぎが違うだろうって言い返してやるんだ。君がパートで稼ぐ分と家事を賃金に換算した分を足したところで、僕のには到底及ばないだろうってね。そもそも僕の給料で生活ができないわけじゃない。自分の小遣い欲しさなんだからな。いったい何に使ってんだか……。

 だから、僕の給与口座は絶対に妻には渡さない。家のローンも子供の教育資金も、僕がしっかりと管理しているのさ。そこまでしておかないと、僕の稼ぎから抜いて、こっそり自分の名義で貯め込まれる恐れがあるじゃないか。そんなことされてたまるもんか。僕が外で七人の敵と戦いながら、苦労して稼いだ金なんだからな。

 挙句の果てに定年退職と同時に、あなたお世話になりましたなんて、いきなり離婚届を目の前に突き出されるんだからね。若い彼氏なんか、ちゃっかりこしらえてさ。でも、しょせんはババアだ。最後は金を搾り取られた末に、ポイと棄てられるのがオチだよ。だからこれも、彼女をそんな目に遭わせないための用心さ。まあ、教育の一環と言ってもいいだろう」


 いやはや、こいつら骨董品を凌駕している。シーラカンス級だ。


「なるほど」

 先程の若い男が、また頷く。 


 すると、さらに別の男が、負けじとばかりに言った。

「結婚当初からちゃんと躾けておかないから不可いけないんだ。その点、うちの女房はよくできている」


「ほお、どんなふうに?」

 残りの男どもが一斉に顔を向ける。


「まず、俺が出勤する前に俺の皮靴をピカピカに磨いて、しかも出口に向けてきちんと揃えておいてくれる。それから、俺が玄関を出る前に俺にチューをしてくれるんだ。──でも、それだけじゃないぞ」


「何だ、なんだ」

 皆、羨ましそうな顔で次を急かす。


「門口まで俺の鞄を持ってついてきてくれるんだ。それから俺に鞄を手渡すと、俺の姿が見えなくなるまで手を振りながら俺を見送ってくれるんだ。──まだあるぞ」


 すっかり「俺が俺が」の「俺様」状態である。ナルシストここに極まれりだ。


「へえ、それから?」

 よくこんな男の与太話に付き合えるものである。


「帰宅したからって、俺は直ぐに靴を脱いで上がったりはしない。上り框(あがりがまち)に腰掛けてそこで待つんだ。おーい、今帰ったぞってね」


「何故?」


「一日中、皮靴を履いてんだぞ。足が蒸れむれのジュクジュクだ。それじゃあ、水虫になっちまう。だから、足を洗わないでは上がらないのさ」


「ふーん、それで?」


「おーい、今帰ったぞって俺が言うだろう? すると奥のほうから女房の奴が、はーいお帰りなさーいとエプロンで手を拭きながらいったん出てくる」


「それから?」


「俺は相変わらず上り框に腰掛けたままだ。すると、また奥に引っ込んだ女房が、今度は浴室から手桶に水を汲んだのを持って、いそいそと出てくる。そして三和土たたきに下りると、俺の前にひざまずくようにしながら、俺の革靴を片足ずつ脱がしてくれるんだ。それから自分の膝の上に俺の片足を載せると、次は靴下を脱がせてくれる。それから、手桶の水で雑巾を絞って、俺の足を拭いてくれるんだ。指と指の間も丁寧にな。──どうだ、参ったか?」


「へへえー」

 皆で平伏している。


 すると、その男は言った。

「なんちゃって。ホントは母ちゃんの尻に敷かれっぱなしなんだ」


 今度は皆でずっこける。

「なーんだ」

「そうだよーん」


「実は僕もなんだ」

 二番目の男が言った。

「さっきはああ言ったけど、ホントは妻が全部財布の紐を握っている。一度、給与振込の通帳を渡したら二度と手放そうとしないんだ。でも僕はそれでいいと思っている。僕は意志が弱いから、ギャンブルで使い込んでしまうかもしれない。へたをしたら、女に入れ込んでしまうかもしれないしね。その点、妻は締まり屋で、かつ計画的だから安心だ。仮に離婚されるようなことがあっても、身の破滅までには至らないと考えているんだ」


「なるほど」

「皆んな同じだな」

 そう言って互いに頷き合っている。

 

 やれやれ、そうやって、互いに傷を舐めあっているがいい……。


 おれはすっかり阿呆らしくなって、ほかの人間どもの行状を改めて観察することにした。


 すると、一人がマイクを手に、あなたのリードで島田も揺れる……、とか何とか歌いはじめた。それに合わせるように、本当に文金高島田でほっぺを真っ赤に塗った男が踊りだす。


 それだけではなかった。芸者ワルツに合わせて二人で社交ダンスをする者もあれば、一人で裸踊りをする者もある。盆踊りか何だか分からないが、一人で身体をくねくね動かしながら踊っている者まである。


 それが終わると、今度は賑やかな曲に変わって、バブリーダンスが始まった。これが、みーんな男である。


 おれはつい堪忍袋の緒を切らして、大声で言ってやった。

「なんだ、敬老会か結婚式の余興でもあるまいし。他人ひとうちで勝手に乱痴気騒ぎするのもいい加減にしろ!」


 すると、パチパチ、パチと拍手をする音が聞こえた。バブリーダンスの連中は、その音を合図に踊りをやめ、それぞれ自分の席に帰ってゆく。


 見ると、部屋の一番奥で、一人の男が柱に寄りかかり、立膝で座っていた。わざとらしく大きな身振りで手を叩いている。長い髪を後ろに撫でつけ、ツヤのある黒い和服の上に、女物の赤い着物をマントのように羽織っていた。


 片桐だった。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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