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四百六拾六 赤く熟れた唇の誘惑

「あっ、いた」

 向こうで女の声がした。見ると、社務所のそばに傘骨女さんこつじょが立っている。骨だけの手で、いつもの傘を箒に持ち変えている。


「本当だ」

 他にも女妖怪たちが三人。一人は傘骨女の姉である雪女。あとは、水かけ女と狸夫人りふじんのコンビ。皆、一様に箒を手にしながら、ドドドっとこちらに押しかけてきた。


「よくも私の楽しみを奪ったわね」

 傘骨女が目を血走らせて箒を構えた。


「ひえっ」

 モンジ老さんが縮み上がる。


 彼は昔、妖怪友だちの忘れん坊さんと組んでベンチャー企業を興した。手がけたのはAIを搭載したロボット。これは、人間との会話を通じて、その人間を苦しめている過去の厭な思い出を忘れさせるというものであった。これが売れに売れて一財産築いたことがある。ところが、この傘骨女ときたら、人間の心の古傷を癒してやるという、妖怪にしては珍しい趣味を持っていたのである。



「このエロ爺いったら、女に貢ぐ金欲しさに商売を始めたんだからね」

 姉の雪女が追い打ちをかける。


「さあさ、それそれ」

「それでどうなる」

 水かけ女と狸婦人がけしかける


「やっちまいな」

 雪女の一声を合図に、皆で一斉にモンジ老さんに襲いかかった。


 モンジ老さんも箒で必死に防戦しようとするが、多勢に無勢でとても立ち打ちできるものではない。


「だから言わんこっちゃない。ここへ来るには箒が必要だったんじゃ」

 モンジ老さんが恨みがましくおれを見ながら言う。おれも一緒に箒で防戦しろとでも言うのだろうか。


「何ほざいてんだ。少しは反省しな」

 女妖怪たちは、皆で容赦なくモンジ老さんを打ち据える。


「ひゃあ、こいつはたまらんわい」

 モンジ老さんはとうとう降参して、頭を亀のようにむしろでできた着物の中に引っ込めてしまった。続けて手足もスポンスボンと引っ込める。


 すると女妖怪たちは箒を逆さまに持ち替え、今度は固い柄の方で突いたり、叩いたりし始めた。筵の中から断末魔の叫び声が上がる。


 おれはついに見ていられなくなって、止めに入った。


「皆さん、もうその辺で勘弁していただけないですか? 商売とは言え、もともとモンジ老さんは善意で始めたことなんです。女に貢ぐようになったのは、あとからですよ。男って馬鹿だから、ちょっとでも金ができるとそんなことをやっちまうんです。

 でも可哀想に南洋の島まで買ってあげたというのに、その女に捨てられてしまったんですからね。これは相当の心の傷ですよ。そんなことをされたら、せっかくできた心のかさぶたがまた剥げてしまう」


「あんたがそう言うなら、いいよ」

 傘骨女が言う。


「考えてみれば、このお爺さんも哀れだ」

 雪女も言う。


「何、言ってんだい。金のないじじいほど始末の悪いものはないんだから」

 と水かけ女。


「全くさ。こんな奴は袋叩きにして放り出すのが一番さ」

 と狸婦人りふじん


 日頃は仲の悪い御両人なのに、こんな時ばかりは気が合うようだ。


「だって、私たちは」

「ねー」

 傘骨女と雪女が顔を見合わせて、にっこりと笑う。


 傘骨女が歌い出した。


   雨に濡れたら冷たかろ

   めた心は、癒せぬか

   われの思いも通じぬか


   癒せぬならば、やり過ごせ

   お天道様、雲間から

   お久し振りと出るわいな


   ああ、こりゃこりゃ……



 すると、姉の雪女もそれに和す。


   雨に心も洗われる

   雪で心も温まる

   氷で心もかされる


   そのまましばし、お待ちやれ

   お月様が、雲間から

   お久し振りと出るわいな


   ああ、こりゃこりゃ……



「さあ、もう大丈夫だからね、お爺さん」

 雪女が、蓆に優しく手をかけて言った。

「もういい加減、顔をお出し。あんたの傷が癒えるように、私が温かい息を吹きかけてやろう。すぐに気持ちが良くなるからね」


 モンジ老さんは、頭と手足をピョコピョコっ出すと、「ヒャーッ!」と悲鳴を上げながら一目散に逃げて言った。


 何がああ、こりゃこりゃだ。全く……。


 呆れて見ていると、姉妹の妖怪からジロッと睨まれた。しまったと思ったが、もう間に合わない。


「聞き捨てならないね。私を邪険に扱うと承知しないよ。そうだお姉ちゃん、こいつから先に始末しちまおうよ」

 傘骨女が、骨だけの手でおれの肩を掴んで言った。


「そうだね。任しときな」

 雪女もおれの肩に手を置いて、目をじっとみつめてきながら、その白くて美しい顔を近づけてきた。


「いや、ちょっと待って」

 おれは慌てて二人の手を振り放そうとするが、力が強くてとても振り放せるものではない。


 そのうち、真っ赤に熟れたような唇がゆっくりおれの唇に迫ってくる……。

「さあ、目を閉じて。あなたはだんだん気持ちよくなる。ひとーつ、ふたーつ……」


「ヒャーッ!」

 今度は、おれが悲鳴を上げる番だった。


 すると、水かけ女が割って入ってきた。

「もうそれぐらいにしておやりよ。この男は馬鹿だけどね、──って言うか、男は皆んな馬鹿なんだが、──でも、こいつはそんなに悪い奴じゃない。さあ、おいで」


 彼女はそう言うと、おれの手を引いて手水舎てみずやのほうに誘導した。と思ったら、水盤も柄杓ひしゃくもない。


 てっきり手水舎とばかり思い込んでいたのだが、屋根の付いたつるべ井戸だったのである。あのあばら家にあるものと同じものだ。


 井戸はコンクリートでできていて、円筒形の側面には赤い文字で『防火用水』と書かれてあった。何のことだか訳が分からない。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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