四百五拾八 十一、〈十一人衆〉の罠にはまる
「これだから小説家志望のニートなんて、話にならないんだ」
中野は吐き捨てんばかりに言った。なにしろ自分が手塩に掛けて世に生み出した法律だ。それをおれが知らないというのが、よほど気に入らなかったのだろう。
とは言え、もともとおれをひどく嫌っているのだから仕方がない。彼の死んだ妻、すなわち京子の母親をひどい目に遭わせたのがろくでもない小説家だったから、かつてその小説家をめざしていたこのおれに対してまで憎しみの刃を向けるというのも、どだい無理からぬことなのである。
「いいかね、耳の穴をかっぽじってよく聞くんだ。ある反社会的な集団が、金や暴力など非合法的な力で国の政策に影響を与えたり、ねじ曲げたりしているとしたときに、それを放置していたらどうなる? いくら世間知らずの君でも想像がつくだろう。国家の存立や国民の安寧な生活が脅かされてしまうのは明らかだ。その危険性が現在において急迫かつ甚大であると見做されたときに、その危険性を排除するというのがこの法律の目的でね。
しかし一方では、そのために警察権力が暴走して基本的人権を阻害するようなことがあってはならない。したがって、そういうことにならないよう、やっていいこと、やってはならないことが厳格に定められているんだ。分かったかね、東大出の小説家もどき──、もとい小説家まだき君?」
おれはカッとなって言い返した。
「それぐらいのことは、法律の名称からほぼ推測できますよ。8Kだかハイヴィジョンだか何だか知らないが、要するに京子──、いやお嬢さんを救出するために、あなたの息のかかった警察庁が動くってことなんでしょう? 元大物国会議員のね。
私が聞きたかったことは、具体的に警察がどう動くのかということですよ。そのことで、お嬢さんの救出以前に彼女の安全がきちんと確保できるのかどうか、そこを私は一番心配しているんです」
「まあ、待ちたまえ」
中野は唇の端に皮肉な笑みをたたえながら言った。こちらのとげとげしい言い方など意にも介さないかのように悠然と構えている。
「ふふふ……。愚図で意気地なしの君でも、一人前に怒ることはできるんだな。頼もしい限りだよ。しかし残念だが、君にできることはもうない。
いいかね、この法律の基に8Kチーム(8KT)というものが警察庁の刑事局に置かれることとなっている。そこに各都道府県警察から選りすぐりの者を集める。警備、公安、刑事、生活安全など各部門のエキスパートたちだよ。そしてチーム全体を統括し、捜査の指揮をとるのは、もちろん刑事局長の深見君だ。〈十一人衆〉ごとき素人集団など、彼らにかかってはひとたまりもあるまい。そうすればこの8K法は一躍、世間で脚光を浴びることになるし、その生みの親である私にとっても政界に復帰するための足掛かりができる。京子を助け出すこともできるし、まさに一石二鳥だな」
「一石二鳥ですって? まるで京子さんのことは二の次のように聞こえますが、ひょっとしてあなたは──」
中野は、それまで浮かべていた皮肉っぽい微笑を一瞬にして消し去り、じっとおれを見つめ返した。
すると川辺が、それ以上は止せとばかりにおれの肩に軽く手を置いた。その両目は、おれを通り越して中野に注がれている。
「中野さん、あんた、ひょっとして──」
おれの言いかけたことを引き取ったように言い始めたが、実際に彼の口から出たことは思ってもみなかったことだった。
「ひょっとしてあんたを陥れたのは、その〈十一人衆〉なのか? 少なくとも、あんたはそう考え、復讐を果たそうとしているのでは?」
「半分は当たっているな」
中野はにやりと笑ってそう答えた。
「例の政治資金規正法違反では、まんまと奴らにしてやられた。証拠はないが、私はそう確信している。何故なら、私をはめたあの二つの会社は、あれから急速に売上げを伸ばしたし、今でも飛躍的に成長しつつある。あまりにも仕掛けが巧妙だったから、矢部のとっつぁんも私も気付かなかったんだ。お陰で政治改革がすっかり遠のいてしまった。私の目指していたことが、〈十一人衆〉にとってはよほど都合の悪いことだったんだろう。これからも私が何かをしようとすれば、必ず妨害があるはずだ。したがって、奴らを叩きのめさずにしては、私の復活はあり得ない。だが、個人的な復讐なんかではないぞ。私は、そんな度量の小さい人間ではない。あくまでも、世のため人のためだ」
ついにおれは我慢できずに言った。
「そんなのはきれいごとですよ。それよりも、あなたはまさか、京子さんのことはそっちのけで、いやそれどころか彼女を犠牲にしてでも、自分が政界に復帰することを目論んでいるんではないでしょうね?」
しかし、次のセリフは飲み込んだ。
──あなたは彼女の本当の父親ではないから、それくらい痛くも痒くもないんでしょう。
中野は黙ってジントニックを飲み干した。それから再び向き直り、目を細めてこちらを見据えた。
おれは怯まずに続けた。
「今回の件は片桐が絡んでいるんですよ。自分を陥れたのが〈十一人衆〉の仕業だとあなたが確信しているように、私もお嬢さんを拉致したのは彼の仕業だと確信しています。何故なら彼のやり口が、あなたの仰る〈十一人衆〉のやり口と全くと言っていいほど一致するからですよ。
奴がまだあなたの忠実な手先だった時に言っていました。あなたに仇をなすような人間に対しては、まずその人間の一番愛しているものに手を掛けるんだと。それも直ぐにではなく、じっくりなぶるように。そして最後の最後に本人に手を下すんだと──。
その片桐が、今あのホテルに京子さんと一緒にいるかもしれない。そこに警察が強行突入でもすれば、彼女がどんな目に遭うか、あなたにも想像がつくんじゃないですか?」
すると中野は、じっとおれから目を逸らすことなく、真面目な調子で言った。
「君は愚図で意気地なしだというばかりでなく、卑怯者だな」
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