四百五拾参 pick up a stone
取り乱してどうする。頭を冷やして、最善の策を考えなければ。
とにかく彼女の居所を突き止めるのが先決だ。ホテルにいることは、ほぼ間違いないだろう。だが、ホテルの中のどこにいるのか。
片桐にエスコートされながら、しかもエレガントな服装でカジノ場に姿を現したということは、少なくとも物置きのようなひどい場所に放り込まれているということは考えにくい。
では、どこなのか? どうやってその場所を突き止めればいいのか?
松尾の話では、ホテルのガバナンスは徹底されているということだから、従業員の口から聞き出すのは難しいだろう。
このうえは探偵を雇って、潜入調査でもしてもらうしかないか。しかし、誰にも見つからないように各部屋を調べてまわるというのは、いくらプロの探偵でも不可能だ。
それなら、ホテルの従業員になりすましてもらうか。例えば客室係なら彼女の消息が分かるかもしれないし、うまくいけばそのまま救い出すこともできるかもしれない。
いや、やはりそれも不可能だ。闇カジノをやるぐらいだから、従業員の動きも厳重にチェックしているはずである。
それでは従業員を直接籠絡するというのはどうだろう。京子を救い出すためなら、多少の荒技も辞さないつもりだ。金で釣れないなら、何か弱みを握って脅すとか……。
ちゃんちゃらおかしい。お臍で茶を沸かすような話だ。そもそも、大勢いる従業員の中で京子の居場所を知っている人間を、どうやって見分けたらいいのだ。それに、その人間に弱みがあるかどうかも分からないし、仮にあったからってそれを調べ出すような暇はない。
いっそのこと本家本元の片桐に当たってみるか。奴こそ、手荒な真似をするのに遠慮は要らない。いくらあのホテルを根城にしていようと、どこかに出掛けることだってあるはずだ。その時を狙いすまして、今度はこちらが奴を拉致監禁して締め上げてやるんだ。だが、どうやって拉致するか。後頭部を拳銃で殴って気絶させる? 或いはクロロホルムでも嗅がせる? それともスタンガンを使う?
お笑い草だ。テレビや映画じゃあるまいし。第一、あいつは妖怪だ。竜尾身だ。そんなヤワなやり方が通用するはずがない。
いったいどうすれば!
松尾のようにグラスの底をカウンターに叩きつけたくなった。
「クソッ!」
思わず声が漏れてしまったので、川辺とマスターが、同時におれを見た。
「済みません」
と謝る。
「どうにもやりきれなくて──。さっきから僕は、できない理由ばかり探しているんです。意気地なしなんですよ。何もせずに言い訳ばかり考えている」
「何もしてないわけではないぞ」
川辺が言った。
「こうして私を呼び出したし、君の知り合いにも頼んで、ホテルに様子を見にいってもらったんだろう?」
「でもそれだけです。あとはこうして手をこまねいている」
「焦ってはいかんよ」
川辺がおれの背中をポンポンと叩く。
「いちどきにことをなそうとしても、どだい無理な話だ。特に今回のように相手の状況がよく見えていない中ではね。それに、君はただ手をこまねいてじっとしていたわけではない。一石を投じたんだ。松尾も言ってたじゃないか。そのことによって波紋が生じた。小さな石だったにもかかわらず、大きな波紋がね」
「波紋──」
おれはぼんやりとその言葉を繰り返した。
「そうだよ、大きな波紋だ。まだ収穫には至らないが、その波紋によってそれまで見えなかった水底の一端が見えるようになったではないか。
さて問題は、次の一手だな。濁った水の中に怪しい魚たちがうようよ隠れている。中には怪物まで潜んでいるようじゃないか。では、そいつをどうやっておびき出し、撃退すればいいのか──」
確かにそうだ。おれは何もしないわけではなかった。問題は彼の言うとおり、次の一手だ。それが思いつかないから、つい絶望的な気持ちになってしまうのだ。
やはり文学なんて駄目だ。売れもしない小説なんか書いていたって駄目だ。なんの役にも立たない。
そう思って、あらためておのれの無能さ、無力さに打ちひしがれてしまうのだった。
「君はまさか、何もかも自分でやろうなんて思ってないだろうね?」
今度はそう尋ねられた。
「えっ?」
「相手はホテルという大きな組織なんだぞ。しかもその背後には得体の知れない組織が控えているうえに、警察権力の一部と結びついているという。そんなものを相手に一人で立ち向かったりできるものか?
いいかい? 君一人ではできないことがあるし、君にしかできないこともある。ともかくも君は動いた。そのことで事態も動く。それを見極めながら、さらにまた次の一手を打つしかないではないか」
この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。




