四百五拾壱 女を死なせた代償
困って川辺の顔を見たら、
「うむ。念のために、弁護士が直ぐに駆けつけられるように手配はしているんだが……」
と、呻くように言う。
「申し訳ありません」
おれを間に挟んで、松尾が頭を下げた。それから店内を見回して言った。
「やれやれ、せっかくいい店に出逢えたというのに、逮捕されてしまってはしばらく来れそうにないな。いや、それどころじゃない。消されちまいでもしたら、もう永久に来れなくなるんだから……。そうだ、ジローさん──」
しかし、呼びかけられたほうは何かの曲を弾き続けるだけで、いくら呼びかけてもいっこうに返事をしそうにない。
松尾がばつの悪そうな顔をしていたので、助け舟を出してやった。
「ジローちゃん、さっきから呼んでるんだけど?」
すると彼は、振り向きもせずに答えた。
「僕の名はジロー。お兄ちゃんもそう呼んでいる。だけどお兄ちゃん以外の人は、僕のことをジローちゃんと呼ぶことになっている」
おれと松尾は顔を見合わせて苦笑した。松尾が言い直す。
「ジローちゃん、お願いがあるんだ」
「うん、いいよ。なんだい?」
「レリビーなんて頼めないかな? レッツ・イット・ビー。摂の好きな曲だったんだ。彼女の魂を慰めるために。そして僕のためにも」
「うん、分かった。僕もこれは大好きだよ」
ジローちゃんは直ぐにピアノを弾きながら歌い始めた。
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be……*
「そして、こいつも摂は好きだった」
松尾はそう言うと、かぴたんのグラスを持ち上げた。
「もっとも、彼女は水割りだったけど」
おれはそのグラスに、自分のいいちこのグラスをカチンと合わせた。それから、皆で黙ってジローちゃんの歌に耳を傾けた。
しばらくして松尾が口を開いた。
「レリビーとは違うようだが、おれは絶対にこのままでは済まさない。この落とし前は必ずつけてやる。奴らの悪事を暴き出してやるんだ、命をかけてでも。たとえ死んでも構わない。それこそ離ればなれになってしまった彼女と再会できるってもんだ」
「馬鹿者!」
川辺が珍しく声を荒げた。
「捨て鉢になっては不可い。這ってでも石に齧りついてでも生きなければ。そうやってなんとしてでも、例の謎の組織のことをスクープ記事にするんだ。それでこそ初めて彼女の供養ができるんじゃないのか?」
ジローちゃんが歌う。
There will be an answer
Let it be……
「チクショー、何て曲なんだ」
松尾がグラスの底をカウンターに叩きつけるように置いた。幸いに割れずに済んだが、少し液体が飛び散る。
「申し訳ない」
川辺がマスターに向かって謝罪すると、
「いいんですよ。気持ちはよく分かりますから」
と答えが返ってきた。
松尾はカウンターに突っ伏すと、大きな背中を小刻みに震わせている。必死に怺えているようだったが、とうとう絞り出すように嗚咽し始めた。
もう誰も何も言わなかった。
ジローちゃんの歌がようやく終わった。と、まるでそれを待っていたかのようにおれのスマホが鳴動し始めた。寅さんからだ。開口一番に言う。
「おい、俺だ」
「はい。どうしました?」
「実は例のホテルなんだが」
「はい」
「電話で予約するのもまどろっこしいから、直接やって来たんだよ。美登里と二人でな」
「有難うございます。じゃあ、例の件よろしくお願いします」
「それが、宿泊できなかったんだよ。部屋が全て塞がっているってんでな」
「ああ、そうだったんですか。じゃあまた、改めてお願いします」
焦りと失望感を覚えながら、スマホを切ろうとした。
「ちょっと待ってくれ亅
寅さんが遮る。
「それで諦めていったん建物の外に出たものの、どうにも気が収まらない。いまいましく思いながら外からホテルを見上げたんだよ。ところが、最上階以外は、部屋の明かりがほとんどついていなかった。所々ぽつぽつとついているだけなんだ。怪しくないか? 全部塞がっているというのに」
腕時計をみると、いつの間にか七時を回っている。直ぐにひらめいた。これは、闇カジノを開いていることの表れではないか。関係者以外をシャットアウトしているのだ。
「確かに。──ちょっと待ってください。これ、スピーカーにしてもいいですか?」
「ん、どういうことだ?」
「実はいま、新聞社の人と一緒にいるんです。今の話をもう一度繰り返してもらえますか? 皆さんに聞かせたいものですから」
川辺と松尾の顔を交互に見ながら言った。
「ひょっとしたら、俺の話が新聞に載るのか?」
「その可能性はあります」
「そいつはすごい。──おい、美登里。俺たちのことが新聞に載るかもしれないんだって。で、最初から話せばいいんだな?」
おれは早速、スマホの通話をスピーカーにして、皆に寅さんの話を聞かせた。
最後に寅さんは言った。
「俺は気づかなかったんだが、フロントでやりとりしていた時に、何とかいう弁護士が背後を通り過ぎていったらしいんだ。──おい美登里、なんて言ったかな、あいつの名前は? ──ああ、そうそう、横島善道だ、ヤメ検の。これまで大物の政治家の弁護を引き受けてきて有名だから、俺でも知っている。そいつが人目につかないようにエレベーターホールの方向に、さっと消えたのを美登里が見ていた。
それだけじゃないぞ。今度はホテルを出たあとだ。ど派手なスポーツカーを自分で運転して地下駐車場に入っていく男を見たが、あれは確か大物歌手の沃野高麿だった。間違いない。なあ、欽之助。あそこはもともと、俺たちのような庶民が泊まれるような所ではないのじゃないか?」
そこまで聞いたところで、松尾が立ち上がって川辺に目配せした。
「うむ、直ぐに行ってくるといい」
と川辺も頷く。
「ただし、くれぐれも用心するんだぞ。ここで待っているから、状況を知らせてくれ」
* Written by John Lennon / Paul McCartney
この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。




