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四百四拾八 酔えない男

「確かにな」

 気分を害したふうでもなく、たんたんと言う。

「こっちだって実は半信半疑なんだ。そもそもこの話は、又聞きの又聞きでね、ウラが全然取れていない。だから本当のところ、スクープと言うにはまだ早過ぎるんだ。問題はこれからさ。ホテルに出入りしている人間から聞き取るのは難しそうだし、あとは潜入調査でもするしかない」

 

「又聞きと言うと、例のクラブの女から聞いたということだな?」


「そうさ」

 松尾は、急に目をそらして答える。もうこの話には触れたくなさそうであった。


 おれはそれでも追及をやめなかった。

「するとその女は、ホテルの社長から?」


「決まっているじゃないか」

 声が尖っている。

「ボンクラだから、その女との寝物語に何でもペラペラ話すらしいんだよ。身の程知らずにも、例の組織のメンバーになりたいなんてこともほざいていたそうだ」


「待てよ……、カジノを将来的に公認させようという謎の組織とボンクラ社長との間を取り持ったのは、片桐なのか?」


「やれやれ、やっとそのことに気付いたのか。君もよくよく鈍い男だなあ。

 いいか? そのボンクラ社長は、ある日ホテルの総支配人に頼まれた。中野十一の秘書だという男と会ってくれとね。どういう縁だか分からないが、前からの知り合いだという。例の内紛劇があって間もない頃で、彼としてもその時に自分の側についてくれた総支配人の頼みを無下に断ることはできいない。それに高名な政治家に近づくチャンスとみて、会うことにした。もちろん、それが片桐だよ。


 片桐は挨拶もそこそこに、開口一番で例の話をもちかけてきたという。社長はいくらボンクラとは言っても、創業者の一族ではあるし、それなりの教育も受けている。当然、片桐の話を額面通りには受け取らなかった。


 すると片桐が言ったらしい。先にやった者勝ちになるが、それでもいいのかと。つまり、先行して取り組んだほうが、先にノウハウも取得できるし、自分に有利な仕組みも構築できる。当然、カジノを運営するための機材や設備も必要になる。ヤクザなら、そういったネットワークを持っているかもしれないが、一般人は簡単にはいかない。したがって、そういったものを納入するためのルートも開発しておかなければならない。


 さらには、信頼できる顧客も確保しておかなければならないし、逆に信頼されるための体制も整備しておく必要がある。さっきも言ったように、イカサマを防止するためのシステムもそうだし、もし顧客との間で何らかのトラブルが発生したときにはヤクザではなく、警察を用心棒に代わりにするなど、堅固な基盤を構築しておく必要がある。


 ところで、こういった仕組みがいったんできあがってしまうと、あとから参入しようとしても簡単にできるものではないし、行政もそれを許さないであろう。あまり乗り気にならなけれは、無理をすることはない。ほかに有望な所はいくらでもある。それでもいいですね?


 片桐はそう言って、念を押してきた。説得というよりも、半分脅しだな。社長は社長で、内紛劇でそのポストに就いただけに、何とかホテルの窮状を挽回したい。そういう欲もあって、とうとう踏ん切りをつけたらしいんだ」

 

 おれが黙って考え込んでいると、マスターがカウンターの上にグラスを差し出してきた。大ぶりの丸みのあるグラスに、白いふわふわしたものが溢れんばかりになっている。


「さっきの礼だ。飲んでくれ」

 とマスターは言う。


 さっきの礼というのは、ジローちゃんの一件なんだろう。そう受け取って、「有り難うございます」と頭を下げた。


 早速口をつけてみた。甘くてクリーミーなうえに、酸味もあってしっかりと引き締まった味わいである。カクテルは、あの時金本が去ったあとにここでギムレットを出されて以来、全く飲んでいない。カクテルもたまにはいいものだと思った。


「ラモス・ジンフィズだよ。久し振りに挑戦してみたが、やはり重労働だったよ」

 マスターはそう言うと、笑いながら腕を振ってみせた。


「美味しいです。これからは、焼酎ばかりでなく、カクテルにも少しずつ挑戦してみようかな」


「そう言ってもらえると、作った甲斐があるってもんだ。焼酎を置いているのは個人的に好きだということもあるが、それを注文してくれるお客さんがあると、その分、カクテルを作ることに集中できるんでね。特にジンフィズと、マティーニには、こだわりがある。ところが、たまにそういうものを注文されると、こちらも逆に構えちまう。こう見えて、肝っ玉が小さいんだな」

 マスターはそう言うと、ニヤッと笑った。


「でも、分かるような気がします」

 唇の端を少し拭ってから、おれも笑った。笑いながらも、内心では少し焦りを覚えていた。


 まだだ。肝心なことを、まだ松尾の口から一つも聞いていないのだから。


 するとその松尾が、「マスター」と声を掛ける。

「マスターの話を聞いたあとで申し訳ないんですが、かぴたんをロックでお代わりを頼んでいいですか?」


「構わないよ。誰が何を注文しようと、本人の自由だ。しかし、あんたは同じものばかり、もう三杯は飲んでいる。いくらなんでも、35度のロックを立て続けに三杯というのは、ちょっとやり過ぎじゃないのか? 余計なお節介は好まないが、少し軽いものにしたらどうかな?」


「大丈夫ですよ、迷惑をかけるようなことは、決してありませんから。俺は酔わない体質なんです。それに、特に今夜は酔えるような気分じゃないんで」


 マスターはその理由を特に聞くこともなく、かすかに頷いた。


 すると、それまで黙っていた川辺が遠慮がちに口を開いた。

「えーと……、そのマティーニとやらを頼めるかな? 私も素人で名前は良く聞くものの、飲んだことはなくてね」


 マスターは答えた。

「喜んで──。まさに好都合ってもんですよ」

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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