四拾四 とろける欽之助
バスガールはそこいら中を逃げ回ったかと思ったら、またおれの所に戻って、背中にしがみ付いてきた。
「お願い、助けて」
振り向くと、両眼に涙がいっぱい溜まっている。
おれは訳も分からず、清さんに向かって言った。
「清さん、一体どうしたって言うんですか。あなたらしくもない」
向こうは、いつになく怖い形相をしている。
「そいつは、とんでもなく性悪な妖怪です。なにしろ、あの水かけ女の娘なんですから」
もう一度振り向くと、涙を浮かべたままうんうんと頷く。
「許して。でも私、何にも悪いことなんてしていない」
そう言って、ぐいぐい裸の身体でしがみついてきた。
「坊ちゃん、何を鼻の下を伸ばしているんですか。だから、女には気を付けなさいと申し上げているのに」
「いや、鼻の下なんて伸ばしてないですよ」
でも、やっぱりそう見えるのかな……?
「そう見えるのではなく、しっかり伸ばしていらっしゃいます」
きっぱりと言い返される。
しまった。ついうろたえてしまったものだから、また念が……。
「それはまあ置いといて――」
と、ひとまず誤魔化そうにかかる。
「あのお、訳を聞こうじゃないですか。ね、清さん。人を呪わば穴二つと言うじゃないですか」
「その子は、人じゃありません。若い女に化けた妖怪です。それに私は、一度墓を出た人間です。今さら穴二つと言っても、何にも怖くはありません」
また印を結びながら、
「臨・兵・闘・・・・・・」と叫ぶ。
すると、何かが白い煙とともに、ドロンパと現れた。
モンジ老が尻もちをついている。
「ひゃあ、これは叶わんわい」
と、起き上がりながら言う。
「どうしてお前が……」
「ほうれ、また、お前呼ばわりか。お主の性根は変わらんと見えるのお」
「お黙り」
清さんが一喝する。
「坊ちゃんに向かって、何ていう口の利き方をするんだい。ここにお座り」
モンジ老は慌てて正座をする。着物と寝床を兼ねた莚の端を、俯いたまま指でいじっている。少し可哀そうになった。
「あんたもお座り」
清さんは、バスガールにも命令した。
言われたほうは、おれの背中でもじもじしている。
おれはハッとして言った。
「清さん、僕も突然のことで、一体何が何だか訳が分からないんだ。ゆっくり事情を聞かせてほしい。でもこのままじゃあんまりだから、浴室からバスローブを取ってきてくれないですか」
「分かりました。坊ちゃんがそこまで仰るなら」
清さんは、しぶしぶその場を離れた。
「ふん、何が坊ちゃんが仰るなら、だ。ただのエロ小僧の癖に」
モンジ老が憎まれ口を叩く。
「モンジ老さん、そんなこと言うのはやめて」
バスガールはそう言うと、濡れた髪のまま頭を凭せかけてきた。シャンプーか何かのいい匂いが漂ってくる。
こっちこそやめてほしい。おれは失恋したとはいえ、京子に一生純情を捧げるつもりなんだから。
ああ、でも、もう駄目かもしれぬ。
なにしろ、おれはまだ齢二十五の健康な男子である。京子とは愛し合うようになっていたと前に書いたが、それはあくまでも心と心との関係である。
この若い美空のドレミファソで、おれはまだ女の身体を知らないのだから。それが今、妖怪とは言え、裸の女の子に抱き憑かれている。これじゃあ、酔っていなくたって叫びたくなる。きょうこー!
パニックだ。心も身体も恐慌を起こしかけている。




