四百四拾四 まがまがしきまがたま
「誰が藁だと?」
すかさず川辺から聞き返された。
「バカめ」
さっきの仕返しのように松尾から言われる。
「す、済みません。つい、うっかり──。と、とにかく何とか助けを請いたい一心で、そ、その──」
おれは汗だくになって、川辺の嫌いな弁解をしようとする。そうしながら、頭の片隅で待てよと思った。
藁、わら………。そう言えば、あの桐塑市松の人形はどうしたろう? わらわんわらわ──、京子がエミーと名付けたあの人形は……?
「ともかく君はいい所を突いているよ」
川辺のその声にはっとわれにかえった。松尾は川辺を見て頷いている。
川辺も頷き返すと、藁のことはもうどうでもいいようにあとを続けた。
「確かに我々は、彼に関する情報をいろいろ握っている。彼個人だけでなく、彼に接触する諸々の人間たちについてもだ。それらの中にはまだ世の中に出せないものもあるし、出すつもりもないものだってある。
政界というものは、それこそ狐と狸の化かし合いでね。しかし、それぐらいならまだ可愛いものだ。まさに伏魔殿だよ。たとえ味方同士でも、どこで足元を掬われるか分かったもんじゃないし、最悪の場合、寝首をかかれることだってある。だからこそ、情報が大事なんだ。敵対する政治家や派閥、もしくは政党の動向、又は何を目的とし、どう動こうとしているのか。それも、より正確で、より詳しいやつを。
そしてそれは当然、我々ブンヤも同様だ。スクープはともかく、少しでもいい記事を書いて他紙を出し抜くためにね。だからあらゆるルートを使って情報を集める。しかし、そうやって集めた情報というものは、君もよく知っているように、玉石混淆だ。中には、価値のあるものなど一つもなくて、ただのクズの集まりだったり、ガセネタだらけだったりする。しかし、分からないものでね、玉に見えたものが、実はただの石ころだったり、その逆に、ただの石ころに見えたものが、実は玉だったりする。
では、その玉だけでいい記事になるかと言うと、決してそうはならない。そこで我々は、ただの石ころも含めていくつかを拾い集め直し、さらに並べ替えてみる。そうすると、何かしら、より確からしいものが見えてくる。だが、それではただの物語に過ぎない。国民が我々に求めているのは、真実なんだよ。ただ単に事実を羅列しただけのものではないし、かといって恣意的に一部の事実だけを組み合わて作り上げた虚構でもない。
では、どうすればいいか。当事者の懐に飛び込むのが一番だ。向こうさんだって、こっちの情報が喉から手が出るほどほしい。そこで我々は、玉と石ころをつなぎ合わせた首飾りを何種類も用意して出向くわけだ。相手の情報と交換するために。しかし、あくまでも等価交換だ。向こうが我々を利用するためにガセネタをちらつかせてきたら、こっちだって模造品で済ます。そこは、お互い腹の探り合いでね。
まあ、そういう取引相手の中で、最も筋が良かったのが、中野十一だったわけだ。お互いにとって有益な情報をやり取りできたばかりでなく、こちらがそれをもとにブラッシュアップした記事が紙面に載ることで、向こうさんは大いに利益を得てきたわけだ。私にとってもまさに剣の刃渡りでね。お互いそうやって、踏み越えてはならないギリギリの所で利用しあって、ここまでのし上がってきたわけだ」
おれはそこまでの話を聞いて、一つ大いに疑問に思ったことがあった。それをそのままぶつけてみた。
「中野がもしそんな人だったとするなら、いや確かにそうなんでしょう。しかし、それほどの人が、どうしてあんな失態をやらかしたんでしょうか? それに、主筆もですよ。事前にそんな情報は入らなかったんですか? あの人も自分で言ってましたが、罠にはまったんですよ。敵対する勢力の仕業に決まっている。しかし、あれほどの人が何故──」
「例のヤミ献金問題のことだな。私もそれは思ったさ。実際に動いたのは秘書の矢部だが、彼も歳は食っているが、まだぼけちゃあいないし、相当な切れ者だ。二人が二人揃って、あんな奸計にそうやすやすと引っ掛かるとは、とても思えなくてね。ところが私の調べた限りでは、中野の政敵でそんなことをやらかした奴は、どうしても浮かび上がってこない。そのうちほとぼりが冷めた頃に、中野に直接当たってみようと考えていた矢先に、君から電話があったというわけなんだ」
ジローちゃんはさっきの歌がよほど気に入っていると見えて、もう二巡目に入っていた。
I pick up a stone that I cast to the sky
Hoping for some kind of sign ……*
やはり、政治的な謀略と京子の件は関係なさそうである。可能性の一つはつぶれた。だとすれば、やはり奴の仕業なのか……。
川辺は振り返ってしばらくジローちゃんの歌を聞いていたが、やがて顔を元に戻すと、ネバダにちょっと口をつけてから言った。
「片桐という秘書が、中野さんを恨んでいると言ったな。もしやと思って松尾を連れてきて良かったよ。今度は彼の話を聞いてみるといいだろう」
そもそも彼には、中野と浅からぬ因縁がある。まだ駆け出しの頃、中野を取材するために喫茶店で待ち伏せをしていたのだが、なかなか会えず、そこでふらふらになるまで三日間もコーヒーを飲み続けたということがあった。
このことに中野側が気付き、彼を事務所まで招き入れたうえに、取材に応じてやったのだった。この時の取材を元に彼が『週刊風聞春秋』に書いた記事のタイトルが、「ヤーベを従えた妖怪」だったのである。
ヤーベというのは、中野を長年支えてきた第一秘書の矢部唯一をなぞらえたものだった。
それ以来、松尾は中野に興味を持ち、彼を取り巻く人間たちのことも個人的に調べていたのだが、秘書の中で、その役割どころか素性さえ分からない人間が、ただ一人だけいた。それが、片桐勇司だったのである。
* Lonestar/Norah Jones
この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。




