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四百参拾八 相性かな?

「馬鹿者! 何故、先にそれを言わない?」

 直ちに一喝される。


 馬鹿者とは有りがたい言葉だ。新聞社にいる時も、主筆にはよくそうやって雷を落とされたものである。


「この私をエサで釣ろうとするとはな。そういう魂胆が気に食わない。君はいつから、そんな品性下劣な人間になったんだね?」


 しかし、そうでもしなければ、電話にさえ出ようとしてくれなかったんだから……という言葉は飲み込んだ。弁解は、川辺一谷が最も嫌うことだったからである。


 彼は怒り半分で続けた。

「まさか、中野さんがそんなことになっているとは知りもしなかった。それならそれで、最初からそう言っていればいいものを……。しかし、中野さんも中野さんだ。この私に一言も相談しないとは」


 矛先が変わっている。黙って聞いていると、

「よし、今夜の予定はキャンセルだ。それで、どこで会えるかい?」

 と言う。


 おれは直ぐに、《ヴィクターズ》の名を告げた。

「青山通りから少し奥まった場所ですが、新聞社からは近いですよ。ただ、しばらく行ってないので、今日開いているかどうかは分かりません。確認してから、改めてお知らせします」


「うむ。早めに頼むよ。それまでに私は、ほかのどうでもいいような仕事を片付けておくから」


「ご無理を聞いていただいて、有り難うございます」


 それから、スマホに登録してあった《ヴィクターズ》の文字をタップすると、直ぐにマスターが出た。

「珍しいじゃないか。まだ店をやってるか心配になったんだろう? 相変わらず細々と続けてるよ。ただし、もう廃業するのも時間の問題だから、来てくれるなら早いほうがいいぞ。

 ──何、今日だって? 分かった。待ってるよ。ジローも喜ぶだろう」


 おれは、登世さんに礼を言うと、急いでこんにゃく様をあとにした。



  ***************



「やあ」

 店内に入ると、 マスターが直ぐに声を掛けてきた。

「何か、のっぴきならないことでもあるのかな? 少し疲れたような顔をしているぞ」


「ええ、まあ……」

 カウンター席に着きながら、口を濁す。


 マスターはそれ以上追及することはせず、

「取りあえずビールでも飲むかい?」

 と聞いてきた。


「あ、いえ。人と待ち合わせしているので、それまでは控えておきます」


「ほお、あんたがここでそんな偉そうな人に会うというのは、初めてだな」


 おれは笑った。

「そうですね。おれにとっては、ここは隠れ家的な場所だったから」


 向こうも笑い返す。

「やれやれ、俺にとっては嬉しいような、嬉しくないような。金本さんは、会社の偉い人をいっぱい連れてきてくれたのにな」


「済みません」

 おれは小さくなって謝った。


 友だちもあまりいないし、賑やかなのも好きじゃないから、仕方がない。


「いいってことよ。俺はあんたのそういうところが好きなんだから」

 せっせとグラスを磨きながら、そう言ってくれた。


 ほどなく川辺一谷が姿を現した。見ると、一人の男を連れている。何とあのファットマンこと、『週刊風聞春秋』の松尾憲治のようである。


 川辺は店内を見回しながらおれの直ぐ横に座ると、

「ほお、こんな洒落た店を君が知っているとはな」

 と言った。


 松尾は特に口を開くこともなく、さらにその横に、もさっとした感じで座る。おれの、のっそりとそう変わりない。


「飲み物は何になさいますか?」

 マスターが川辺に尋ねた。


「そうだなあ、暑いからビールといきたいところだが、久し振りにカクテルを堪能したくなった。あなたに任せることにしよう」

 と答える。


 向こうはそれを聞いて、一瞬、不意を突かれたようなような表情をした。川辺は微笑をたたえたままその相手をゆったりと見返している。マスターの小指の第一関節から先がないことも目には入っているが、全く意に介していないようである。


 マスターは昔、九州でやばい稼業をしていて、名もかなり知れ渡っていたらしい。一方の川辺もリベラルな新聞社で論陣を張ってきたから、保守勢力からはかなりの攻撃にあっており、それなりの修羅場もくぐっている。あの中野十一と丁々発止渡り合うぐらいだから、かなりのものだ。


 年齢も一回りは上だから、さすがのマスターも少し威圧感を感じたのだろうか。かすかに頷くと、今度は松尾に向かって、「そちらは?」と聞いた。


「あ、俺も同じで……」

 とだけ、ぼそっと答えが返る。


 するとマスターは、無言でこちらを見た。満足そうな笑みが浮かんでいる。二人とも合格したのであろう。


「おれは、これで──」

 レジ袋からガサガサと音を立てながら、例の焼酎グラスを出した。マスターからもらったお気に入りのものだ。


 マスターはそれを見てニヤッとした。

「ほお、そいつをわざわざ……。嬉しいね」


「いいちこのロックを──」

 グラスをカウンターに置いて、おれは言った。


 すると、松尾が言う。

「ここで焼酎のロックなんかが飲めるんだ」


「そうだよ。何なら注文を変えるかい?」


「ひょっとして長崎のは……?」


「あるよ。ただし、有名どころと言うよりも、個人的に気に入ったものしか置いてないがね」


「あのう、かぴたんは?」


「それなら、ちょうど昨日仕入れたばかりだ。10年もので35度のやつだが、それでいいかい?」


「それです、それです。いいぐらいなものではありませんよ。そいつをロックで」


「はいよ!」


 すると松尾は、川辺の背中越しにわざわざピースサインをして、にんまりとした。

 

 こいつめ、おれと張り合おうとしているのか? お前はせいぜいコーヒーでもガブガブ飲んでりゃいいんだよ。


 おれは一切、念を制御することなく、相手を見返した。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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