四拾参 悪霊退散
「おれが、寅さんとこへ? いや、全く覚えていない」
「本当に?」
ヤンマーは、呆れたような顔で続けた。
「みんなで世話をしてやっているというのに、お前はそんな俺たちに暴言ばかり浴びせてきたんだ。
あんなお化け屋敷におれが騙されて住もうっていうのに、それを見ていて知らん顔しやがってなどと、突然怒り出したり――。しかし、そんなのは序の口だ。
俺たちが苦笑いしていると、ええい、この水飲み百姓め、酒なんぞ飲まずに大人しく水でも飲んでりゃいいんだ。このおれがこんなになるまで、酒を飲ませやがって、ときた。いやあ、口が悪いのを通り越して、出るわ出るわ罵詈雑言が」
気持ちの悪い冷や汗がやたら出てくる……。
すると寅さんが捩じり鉢巻きをきりりと締め直すと、急に四つん這いになって縁側に上がり込んできた。そのまま這って来ると、ぐぐっと顔を近づけてくる。真っ黒な顔が真っ赤になっている。まさに赤鬼だ。
「お前なあ、そのあげくに何したと思う? 俺の愛する母ちゃんに膝枕をして眠り込んだんだぜ。気持ちよさそうにガーガー鼾まで掻いてな。カカアの奴め、満更でもない顔をしていたが……」
「…………」
「その後がまだ大変だったんだから」
ヤンマーが追い打ちをかけてくる。
「突然がばりと起き上がったかと思うと、家に帰ると言い出した。今夜は念のため泊って行けと言うのに、いや、勝手に風呂を使うのがいるから剣呑だ。あんなあばら家でも、火事になって住むところがなくなったら困るって」
寅さんがそれを引き取る。
「それで、誠と二人でお前を左右から抱きかかえて連れて帰ったが、いやあこれがまた、道中の大変だったこと。
風呂がたぎってガラガラと音を立てるのを、雨戸荒らしの悪戯と勘違いしちゃあいけない。火事になっちまう、だと?
あげくの果てに、『きょうこー』って叫んだり――。きょうこうって何だ? お前こそ頭が恐慌を起こしていたんじゃないのか? 反省しろ、反省を」
おれはその場を飛び退り、頭を畳に擦り付けて土下座をした。
「そんなこととは全く知らずに、本当に申し訳ありませんでした。僕はてっきり、あの日神社の境内に放置されたものとばかり……」
二人はまた顔を見合わせた。
「道理で……。そのあと、俺たちに挨拶もなしだったから、太え野郎だって、実は二人して腹を立てていたんだ。うちの母ちゃんなんかカンカンになって怒っているぜ。まあ、いいや。改めてお近づきといこう」
その夜おれの家で、ヤンマーが持ってきた野菜と、寅さんが冷凍保存していたイノシシの肉で大宴会となったが、おれがまたどんな醜態をさらしたかは、ここでは書かないでおこう。
さて、それからしばらく経ったある夜のことだった。
久し振りに小説でも書いてやろうと、おれは文机に向かっていた。
突然、キャーッと言う悲鳴が聞こえてきた。
何だろうと思って振り向くと、バスガールが飛び込んできた。
何と、生まれたままの姿である。全身びしょ濡れだったので、風呂から飛び出してきたと見える。
吃驚仰天していると、おれの背中にしがみ付いて、
「助けて」と言う。
するとそこへ、清さんも飛び込んできた。
白装束姿のうえに、頭には五徳。五徳には、火のついた3本の蝋燭。
これには腰を抜かしそうになった。
両手で何やら印を結んだかと思ったら、
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」と大声で唱える。
バスガールはますます強くしがみついてくる。体の震えが直に伝わってくる。
「ええい、まだ効かぬか」
清さんはそう言うと、今度はこちらに向けて、相撲取りのように大量の塩をバラ撒いた。
「キャッ」
バスガールはたまらずおれから離れて、隣の間に逃げる。
清さんは、さらに追いかけるように塩を撒く。
今度は、般若心経まで唱えだす。
これじゃあ、丑の刻参りなんだか、悪霊退散のオマジナイなんだか分からない。もう滅茶苦茶だ。




