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四百参拾六 流れに枕して沈む

 周囲には、まだものものしくロープなどが張り巡らされ、立入禁止の看板も掲げられたままである。


 鳥居のやや右奥に立っていた百年杉は、あの日落雷で真っ二つに割け、一方は石造りの鳥居を粉々にしたうえ、跳ね返って手水舎てみずやの屋根まで破壊してしまった。


 またもう一方の片割れは、拝殿を直撃した。屋根は相変わらずブルーシートに覆われ、柱にはつっかえ棒などで応急処置が施されたままであった。


 あれから社務所で、『こんにゃく様再建委員会』が何度か開かれはしたが、皆で酒を飲むばかりで、復旧の目処めどは全く立っていなかった。金がないのだから仕方がない。



「さあ、こちらで手と口を浄めなされ」

 登世さんが、水盤に備え付けられた水道から柄杓に水を汲んで待っていた。


 おれが初めてここに来た頃は、水盤には落葉やら汚い泥水などが一杯溜まっていた。何やら得体の知れないものが棲息していそうで、気味悪く思ったものだ。ところが、今ではすっかり掃除が行き届いている。


 すると、それに気づいたのか、登世さんがおれの手に水を掛けてくれながら言った。


「地域は荒廃していく一方だから、若者は都会に出ていくしかない。氏子も減っていくばかり。そんなわけで、私もすっかり宮司としての意欲をなくしておりましたんじゃ。

 そんな時に、思いがけなく旺陽女おうひめ様がお姿を現されましてなあ。私には、まさに後光が指して見えましたぞ。

 その時、直ぐに確信したのでございます。ああ、言い伝えは本当だったんだと。それからは、俄然また意欲が湧いて参りましてな、今ではこうやって毎日手入れをしております」


「そうだったんですね」

 登世さんからきれいな手拭いを受け取りながら、一言だけそう答えた。京子も寅さんも、彼女に話を合わせただけだったということについては、あえて触れなかった。


 手水舎は、すっかり屋根がなくなり、柱と水盤だけになっている。柱には釘を打ち付け、ハンガー掛けにしていたが、そこに手拭いを戻しながら、彼女は言った。

「通信傍受されたくないんじゃろう? 拝殿を使いなされ。傍受されないよう、周りに私が結界を張っておきますから」


 まさかとは思ったが、このお婆さんが言うと、本当のように思える。


「さあ、早くお行きなされ。時間がありませんぞ」

 そう促されたおれは、一か八かそれに従うことにした。


 確かにあまり時間はない。できれば今日中に川辺一谷に会ったうえで、何らかの手掛かりが得られればと、おれは思っていたのだった。


「有り難うございます。それではお願いします」

 登世さんに頭を下げて、おれは直ちに拝殿に向かった。


 中もやはり凄まじいことになっていた。天井板や梁は崩れ落ち、倒れた柱と斜めに交差していた。それをあちこちつっかえ棒をしたり、太い木材で補強したりしている。


 賽銭箱の横から上がり、梁や柱の間をくぐって拝殿の中に入った。鞄からスマホを取り出し、朝陽新聞社に電話した。主筆の川辺一谷に繋いでもらうよう頼んだところ、しばらくして秘書らしき女性から返事があった。


「ただいま川辺は面談中でして、電話には出られないとのことです。それから、これだけは伝えるよう仰せつかっております。

 あの……ごめんなさい。言われたとおりに申し上げますね。どこの馬の骨とも分からぬ人間の相手をするようなことはできない。したがって、二度と電話はしてくれるなと。──それでは、確かにお伝えしましたよ」


 おれの聞いたことのない声である。おそらく新しく雇った社員なんだろう。そのまま切ろうとしたので、慌てて言った。


「それでは、これだけはお伝え願えますか? 川辺さんにとっては、重要な情報ではないかと思われますので」


「申し訳ございません。わたくしが叱られますので──」


不可いけません。お願いですからぜひ聞いていただけますか? 実は、川辺翠流さんという人のことなんです。はい? ──ええ、そうなんです。たまたま主筆と苗字が同じだけなのかもしれませんが。朝陽新聞は、さきの大戦中に新聞統制で潰されてしまいましてね。その方は朝陽新聞の復刊に尽力をされた方なんです。

 あだ名をカササギ、いや、ごめんなさい、かわせみの間違いでした。あるいは、流れに枕すると書いて、枕流と皆から呼ばれていた人なんですがね。実は僕は、その人のことについて少し書かれている資料を持っているんです。もしかしたら、川辺さんに必要なものじゃないかと思いまして──」


「ごめんなさい。お役に立てるかどうかは分かりません」

  電話は、それで切れてしまった。


 川辺一谷の反応は、予想していたとおりだった。彼はおれに目を掛けてくれていたし、退職する時も必死で慰留してくれた人だった。今さら何の用事だと思われても仕方がない。


 しかし、おれにしては頑張ったほうだろう。おれは薄暗い拝殿の中で、彼の電話を辛抱強く待つことにした。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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