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四百参拾五 およげ、のっそりひょん

 さて、いよいよ秘書たちに茶を振る舞おうと、登世さんを除く女性たちが階段を下りた時だった。


 おれがそっと上から様子を窺っていると、直ぐに声が聞こえてきた。

「あら、こんな所にいらしたんですか?」

 早苗さんがおれに知らせるために、わざと大きな声を出したようだ。


「ご苦労様です。冷たいものでもお出ししますので、少し休憩なさいませんか? 座敷はこんなふうですから、居間のほうに準備します。もう一人の方にもお伝えください」

 どうやら、一人は階段の直ぐ下でおれを見張っていたらしい。


 すると、意外な返事が返ってくる。

「これはありがたい。実はさっきから喉が乾いてましてね。早速、相棒も連れてきます」


「およろしければ、おビールもございますよ」

 よねさんが、慣れない敬語を使う。


「あっ、いいですね。何しろ暑くて暑くて。いや、ありがとうございます」


 それっきり静かになる。どうやら、本当に呼びにいったらしい。


 おれは誠に向かって、食器棚にこうこう、こういう特徴のグラスがあるから、持って上がるよう小声で頼んだ。


 例の〈ヴィクターズ〉のマスターがくれた有田焼の焼酎グラスだった。全体が黒く、飲み口の所だけ金色の縁取りがしてあって、とても気に入っていた。そいつで飲むと、焼酎に限らず日本酒までもがひときわ美味しく感じられるのだった。


「おい、こちらの思うつぼじゃないか。俺の喧嘩殺法が使えないのが、少し残念だがな」

 タツユキさんが言う。


祝着至極しゅうちゃくしごく

 大吉さんが、満足そうに言う。


「ええ、そうですね」

 適当に相づちを打ちながら、おれはスマホを開いた。誠が上がってくるまでに、川辺一谷に連絡を取ろうとしたのである。


 しかし、待てよと直ぐに思い直した。余りに話がうますぎる。奴らの言動からして、こうも簡単におれに対する監視の目を緩めたりするだろうか。


 そう言えば、さっき秘書の一人は、おれのスマホのロックをいとも易々と解除してしまったではないか。さては、おれを泳がせておいて、傍受でもするつもりか──?


 おれがこれから川辺一谷に接触しようとしていることが、いま感づかれてしまうとまずい。中野十一は、娘が行方不明になったことで、すっかり度を失ってしまっている。少しでも、手掛かりを掴んだら、どう動くか分かったもんじゃない。そうなると、京子の身が危うい。


 もう少し確かなことが判明すれば、伝える必要も生じるかもしれないが、いまはまだ早い。おれはそう腹を決めると、スマホをカバンにしまった。


「お前たちも一緒にやるといい」

 登世さんが、杖で指図をする。


「えっ、ひょっとしてビールをですか?」

 タツユキさんが嬉しそうに言う。


「いや、そんなに沢山は冷やしてないですよ」

 おれは慌てて言った。


「何でもいいんじゃ。酒でも焼酎でもウィスキーでも何でもいいから、一緒にやってこい。さあ、早く」


「合点承知之助!」

「はーい」

 タツユキさんと英ちゃんが、直ぐに階段を下りてゆく。


「あっ、本官も」

 駐在さんも続こうとしたら、即座に止められる。


「お主は勤務中であろうが」


「いや、これはあくまでもこの青年を逃がして、一人の女性を救おうとするがためのこと。私は警察官としての本分に忠実なだけであって、曲がりなりにも──」


「早くゆけ!」


「はっ」

 駐在さんも直ぐに階段から姿を消す。


 すると、入れ替りのように誠が戻ってきた。

「ほら、これでいいのか? いやあ、キッチンも荒らされていて、探すのに結構手間取ったよ」


「ありがとう」


「今がチャンスだぞ。奴らめ、二人そろって居間に向かっていったからな。俺が先に下りて様子を見るから、お前は隙を窺って抜け出すがいい」


「分かった。そうしよう」

 そう言って登世さんを見ると、かすかに頷いている。



 こうしておれは、まんまとあのあばら家を脱出するのに成功した。だが、本当にまんまと成功したのかどうかは分からない。奴らがわざとおれを泳がせているとするなら、泳がされる振りをするだけだ。


 さて、どうしたものか……。おれはしばし、考えあぐねた。スマホが傍受されるなら、公衆電話でも使うしかない。駅なら置いてあるだろうか。いや、こうしちゃあおれない。誰か近所の人にでも借りよう。


「電話がしたいんじゃろう?」

 突然の声に驚いて振り返ると、そこには登世さんがいた。


「通信傍受を心配しているんじゃな。来なされ、いい場所があるから」


 そう言って、畑の間の小道をスタスタ先に歩いてゆく。杖は腰の後ろで真横に持ち、腰を曲げて、がに股でヒョコヒョコ歩いている。速い。油断すると、置いていかれそうである。やはり、不思議な婆さんだ。


 やがて着いた先は、こんにゃく様であった。本当の名称は印鑰いんにゃく神社といって、昔は国司の扱う印鑑と、租庸調などの貢物を保管する院倉の鍵、すなわちにゃくを預かっていたという、由緒のある神社なのである。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件若しくは実在する人物又は団体等とはいっさい関係がありません。

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