四百弐拾八 ムコ殿、ついに立つ
「さーて、そうと決まったら、欽之助もこれ以上つべこべ抜かさないことだ」
「そうだよ。俺たちに指示をくれ。婿殿」
「そうよ。私たちにできることがあったら、何でもするから。婿殿」
「婿殿!」
「ムコ殿!」
皆で、口々に言う。中にはニヤニヤ笑っている者まで居る。全くひどい奴らだ。しかし、京子を救いたいという皆の気持ちに偽りはない。有り難いことだ。
爺ちゃんが、あやかしの力を借りてはいけないと言っていたのは、こういうことだったのであろう。
それにくらべると、何だ、あいつらめ……。
おれは妖怪どもにだんだん腹が立ってきた。この家で散々飲み食いしておきながら、いざという時には何も役に立たない。中野とその秘書たちがあんな狼藉を働いていたというのに、恐れをなして引っ込んだままなんだからな。
だが考えてみると、彼らが本当に恐れをなしたのは中野本人ではなく、彼に取り憑いているトカゲたちの怨念に対してなんだろう。
爺ちゃんは、『ごかいせい』という妖怪のことも言っていたっけ。こいつは赤紫色の長いコートを着ていて、大きな襟を立てた中から、同じく赤紫色の長い顔を覗かせている。やっと下のほうにだけ緑色のズボンの裾が見える。
『ごかいせい』の『ごかい』は、「殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒」の5つの戒めのことである。
こいつにたまたま出会うと、いきなり「したいか?」と尋ねてくる。
そこで迂闊に、うんと返事をしては不可い。「何がしたいか?」とたたみかけてくる。
その時に、絶対に五戒に反するような答えをしては不可い。例えば、エッチをしたいだの、酒を飲みたいだの……。
うっかりそんな答えをしたとたん、強烈な臭気を発してくる。その毒気に当たって、死ぬこともあるらしい。爺ちゃんによると、妖怪のくせに仏様の使いだとも言われているらしい。大きな襟は仏炎苞と言って、仏様の怒りの炎を表しているとのことであった。
家にやってきたのは、そいつではなくて、一つ少ない『よんかいせい』であった。何が少ないかと言うと、「飲酒」であった。
何のことはない。自分が飲みたかっただけだ。そんな手前勝手な話があるものか。十戒を九戒に負けてくれなんて言ったら、モーゼは何て言うだろうか?
そう言えば、仏教にも十戒があって、その中には「捉金銀宝戒」なるものがあるらしい。
どういうものかと言うと、お金には触れても不可い、所有しても不可いということらしい。いやそんなの無理、ムリ、むり!
お金も愛もエッチも貪っては不可い。だからと言って、ただ一方的に与えるだけ、我慢するだけというのも良くない。
国会議員で、毎月もらう歳費が百万円じゃ少ないと、文句を言う人が居るらしい。こんにゃく一丁ぐらいじゃ、ぷにゅぷにゅして立てることもできないって? じゃあ、二丁あればいいのか?
確かに政治には金がかかる。選挙にも金がかかる。だったら、それを変えるために粉骨砕身すればいいのに。そもそも金のために政治家になったんではないだろう?
市井の民は糸こんにゃくの数本ぐらいしか貰ってないんだぞ。レンガ、いやレンガは固いから、座布団に負けておく。正座して反省しなさいよ、反省を。
そこで一句。
蒟蒻が立たぬと文句弱き者
爺ちゃんが死ぬ間際にわざわざ枕元に俺を呼んで『ごかいせい』の話をしたのは、節制も禁欲も時には必要だが、中庸が肝心だってことを言いたかったからなんだろう。
『ごかいせい』も『よんかいせい』も、本来はこんにゃくの花の精だった。ところが、百万円の束のことをコンニャクだの、花のことを「死体花」だのと人間に呼ばれたりするものだから、頭にきて妖怪になったという説もある。大して怖くないのも道理である。
それに比べて、『竜尾身』の元は人間だ。人間ほど怖いものはない。下手をすれば、地球だって滅ぼしかねないんだから。こいつは、厄介だ。さて、どうしたものか……?
「おい」
「……」
「おいってば」
「あ、はい」
「お前、いま意識が飛んでなかったか?」
と、寅さん。
「いえ、決してそんなことは……」
「でも、確かに俺は見たぞ」
今度はタツユキさんだ。
「な、何をですか?」
恐るおそる聞く。
「エクトプラズムだよ。お前は白目を剥いて、口をポカン開けていた。そのうち、鼻の穴から霧とも煙ともつかないものが出てきて、天井の辺りを浮遊し始めたんだよ」
「やだなあ、変な冗談を言わないでくださいよ。皆さんが本気にしたらどうするんですか?」
やれやれ、エクトプラズムなんて死語といってもいいのじゃないか? これだから昭和のおいさんは困るんだよ……。
「まあ、それは確かに冗談なんだけどさ、お前は時々本当にそんなふうにぼーっとしている時があるからな」
「熟慮してたんです!」
おれは、力を込めて言った。
この作品はフィクションであり、実在する人物、団体等とはいっさい関係がありません。




