四拾弐 夏祭りの真実
「だから、先生も気を付けなければいけませんよ。そうそう、人間の女にもね」
清さんがそう言うと、赤虎と青虎はニヤニヤ笑っている。
彼女のその言葉で、突然おれは思い出した。子供の頃、同じような話を爺ちゃんに聞いたことがある。
「だから、女には気を付けなくちゃいけないよ」
ひとしきり聞かせてくれたあと、お決まりの台詞で終わるのだった。
扇風機が首を振って、床の間の掛け軸がカタカタと音を立てる。
「それにしてもこのお人は、いつまで気楽に遊んでいらっしゃるんですかねえ。お孫さんが大変な時だというのに」
清さんが、掛け軸を見てそう独り言を言うのを、二人とも不思議そうに見つめていた。
「それじゃあ、私は夕餉の支度がありますから。どうぞお二人ともゆっくりなさってください」
清さんはそう言うと、奥に引っ込む。
寅さんは、すっかり毒気を抜かれたような顔をしている。
「不思議なお婆さんだなあ、あの人は。お前の親戚か何かなのか?」
ヤンマーと同じことを聞いてきた。
「いや、そうじゃないんですが、何か事情があるみたいで……」
おれは適当に誤魔化す。
「ふーん……。まあいいや。ところで、あの掛け軸はいったい何なんだ。汚い染みばかりで、あとは真っ白け。いや、真っ茶色で何もないじゃないか。何を有難がって、あんなものをぶら下げているんだ」
痛い所を突いてくる。
まさか、爺ちゃんが牛の背に乗って、どこかに遊びに行ったまま帰ってこない、などとも言えない。
「あれは、まあ、無用の用ってやつですよ」
「何だって?」
「言ってみれば、あの空っぽの井戸も、何の役に立たないように見えて、実は何かの役に立っているかもしれないってことです」
「へえー。さすがは未来のノーベル文学賞。言うことが違うね、大先生は。意味はさっぱり分からないが」
「先生はやめてください。さっきもヤンマーに言ったばかりです。欽之助という立派な名前があると」
「何、ヤンマー? 欽之助? 芥川賞作家を呼び捨てなんぞできるものか」
「だから、お願いです。僕は先生でもないし、無論、芥川賞作家なんぞでもありませんから。だから呼び捨てにして結構です」
「ふん、お前がそこまで言うならそれでもいいが。じゃあ、欽之助。さっきの無用の用ってやつではないが、本当にあんな井戸の跡が何かの役に立つかもしれないっていうのか? 清さんに言わせれば、水かけ女なんぞという質の悪い妖怪が出るというのに」
「ははは、まさか――」
おれはまた誤魔化すしかなかった。
「清さんって、結構澄まして変な冗談を言うんですよ。寅さん、酒癖が悪いから、酔った挙句に変な夢でもみたんでしょう」
「おれが酒癖が悪いって? お前には叶わないぜ。なあ、誠」
言われたほうは、うんうんと頷いている。
「僕が酒癖が悪いんですか?」
おれがぽかんとしていると、二人は顔を見合わせている。
「お前、本当に知らないのか」
寅さんは目を丸くしている。
「なあ、欽之助」
と、今度はヤンマーがおれの肩に手を置いて言う。
「あの夏祭りの日のことだよ。覚えてないのか?
お前、散々酔っぱらって、へべれけになって、その上訳分かんないことも口走っていたから、一人暮らしの家に、このまま帰してはいけないだろうということになったんだ。
それで、とりあえず寅さんとこに連れて行って、みんなで介抱した」