四百拾七 すずめ、鳳凰に立ち向かう
すると、下で騒ぎ声がした。
「あっ、これは何だ!」
「新築工事ではないぞ」
「何で庭なんか掘り返してるんだ? マンションを建てるんなら、ボーリングするはずだぞ」
「おかしいなあ。欽之助はどうしたんだろう?」
ピー!
今度は駐在さんのようだ。
「直ぐに退去しなさい。さもないと現行犯逮捕しますぞ。ここは本官が調べるから、あなた方は外で待つことです、何、待たない? いや、待ちなさいって。本官が調べるから待つんだよ。待つ時だ。お、おい、待てよ! ねえ、待とうよ──」
秘書たちの注意が一瞬逸れた隙に、おれはまず右腕を振りほどくと、左の奴に強烈な足払いをかけてやった。はずみで、おれも一緒にそいつの上に倒れかかる。
「こいつ!」
二人がかりで、おれをまた押さえつけにかかる。
おれはすかさず起き上がり、畳にドカッと胡座をかいた。両腕を胸の前で組むと、左右の男たちを代わる代わるにらみつけながら、「ジタバタするな」と、逆に言ってやった。
「何だ、みっともない。たった一人の人間を皆で寄ってたかって。おれは逃げも隠れもしない。いったい何が目的なのか言ってみろ! ふん、言えないんだな。言えないところをみると、疚しいことがあるからだろう」
しっかりと中野を見据えたまま、決して目を逸らすまいと思った。しかし、向こうは顔色一つ変えない。
チクショー、何て男なんだ。絶対にただでは済まさないからな。そう思って、奥歯をギリギリと噛み締めた。
仏陀はある日、一人のバラモンにさんざん侮辱される。大勢の人々の前で、一方的に罵詈雑言を浴びせられたのである。
「どうした。何故言い返さないのだ?」
バラモンがさらに挑発するように言うと、仏陀は静かに言った。
「あなたがある時、客人にご馳走をふるまったとする。ところが、その客人はそれを全く口にすることもなく帰ってしまった。さて、その場に残されてしまったご馳走は誰のものだろう?」
「もちろん、それをふるまった私のものだ」
すると仏陀は言った。
「人間の身体から出てくるもので一番汚いものは何だろう? 糞ではないからね。言葉だよ。私も、あなたがたった今ふるまってくれた汚い言葉を受け取ることはしない。そのまま持ち帰りなさい」
しかし、そんな話は頭では分かっていても、なかなか実行できることではない。こんな理不尽な扱いを受けて、平然としておれるものか。目には目を。侮辱には侮辱で返してやる。
向こうが平然としているのがなおも癪に障ったこともあり、おれはさっき思ったことをそのまま口に出してやった。
「そちらから言えないのなら、こちらが代わりに答えてやろう、要するにあんたは金がほしいだけなんだ。おおかたキンケツ─、いや金本結貴にでも聞いたんだろう。その古備前が座敷の床下から出たってね。お生憎様。それは祖父からもらったものでね。まあ、確かにここは旧家だったからお宝は出るかもしれないが、まさかそこまでして金がほしいとは。
あんたは間抜けなことに、たったの5百万円の金で失脚してしまった。落ちぶれること、ここに極まれりだ。口では立派なことを言ってるが、しょせんあんたは、国民のことはそっちのけで、権力闘争に明け暮れるだけの他の政治家と何ら変わらない。いや、それ以下だよ。ただの金目当てのゴロツキの政治屋だったんだ。ハハハ……」
どうだ、参ったか──。
おれは、してやったりの顔で、ニヤリと笑いかけてやった。
ところが、相手はまるで意に介する風も見せない。
「分からないなあ。君はいったい何を言っているんだろう?」
しきりに自分の顎をなでながら、おれの顔をまじまじと見つめてくる。
「ただ、一つだけ分かったことがある。君は私が思っていたほど、へなちょこではないようだな。やはり人間というものは、直に会ってみないとわからないものだ」
「何なら、あんたのかわいい秘書たちを二階の窓から放り出してやりましょうか?」
あまり馬鹿にするんじゃない。おれはここに来てからというもの、なんの因果か知らないが、寅さんやタツユキさんたちに百姓でさんざん鍛えられている。
お蔭で、筋肉だって相当ついた。タツユキさんの耕運機には、袖釣込腰だって実践で手ほどきを受けたんだから。
そう思いながら、次に何と言い返してやろうか考えていたら、向こうが先に口を開いた。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや……。君のような小者に何言われたって、蚊に刺されたほども感じないさ」
「ほお、ご自分のことを鳳凰だとでも?」
「いや、そこまでは言ってない。だが、君のような取るに足りないちっぽけな人間に対して、自分のことをコウノトリや白鳥に譬えるぐらいは許されてもいいのじゃないかな? ところで、君は何か思い違いをしているようだが──」
そう言って、斜め後ろを振り返る。
「そこにある古備前と掛け軸、それに文机だが、君にとって大切なものなんだろう? 座敷に置いたままだと土ぼこりをかぶるから、持って上がらせたんだ。私にもそれぐらいの思いやりはある。しかし、残念だな。これでも私は骨董にはうるさくてね、ある程度目利きもできるんだが、その古備前は駄目だな。おそらく十万円の値打ちもないだろう。それに金本君だって、君と同じように、まさかこの家が京子の所有になっているとは思いも寄らなかっただろうから、そんなことを私に告げるはずがないじゃないか」
意外に思いながら聞いていると、中野は続けた。
「それに、もう一つ。この私でさえ知らなかった。まさか君がここに住んでいるとはね。昨日、この男に教えてもらって、初めて分かったんだ」
そう言って、化野のほうを振り向いた。
すると化野は言った。
「そう言われると、何だか私のせいのように聞こえますがね。しかし、まさか先生のお嬢さんと、このお坊ちゃんがそんな懇ろな関係にあるとは、私などが知るべくもありませんや」
中野は少しいやな顔をすると、こちらに向き直った。
「では、要件を言おう。実は、京子が行方不明になったんだ。もう二週間になる。何、いつものことなんだが、今まではちゃんと旅先から連絡をくれていた。ところが今回はそれもなしでね。ふっつり姿を消して、それっきりなんだ。──君は知らないかね?」
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