四百七 またもや、チョーヤッカイ
中野がそこまで話しをした時である。例の妖怪、チョーヤッカイはそれまで記者席の間を、着物の裾をズルズル引きずりながらウロウロしていたが、それも飽きてしまったのか、彼のすぐそばまで近づいてきた。座ったまま話をしている彼からマイクを奪おうとするが、背が小さくて届かない。しかし、中野はもちろん、その場の誰にも見えていないようである。
中野は話を続けた。
「こう思う人もいるだろうね。会社が儲からなければ社員に給料を払えないし、日本も豊かになれないだろうと。しかし、その会社というのは、輸出関連産業などがメインであって、肝心な日本人を食わせたり富ませたりするほうの産業が軽視されていないだろうか?
例えば、今の農林水産業の惨状といったら? 食料の自給率は40パーセントに満たないどころか、年々下がっていく一方ではないか。自給率を上げるというのは掛け声ばかりで、本気じゃないからそんなことになるんだ。心の奥底では、日本は経済大国だから、金に任せて外国から輸入すればいいとでも思ってるんだろう。しかし、異常気象でどんなことがあるか分からないじゃないか。オマケに戦争でもおっ始まった日には、小麦・大豆・トウモロコシなんて、すぐに輸入が途絶えちまうぞ。それなのに農業に携わる人たちは高齢化し、地方も農村もさびれていく一方だ。このままでは、コメだって自給できなくなるかもしれない。
そんなことは放っといて、やれ車だ、やれ新幹線だ、やれ電子関連部品だなどと、世界中で売って歩くことばかりにかまけている。もちろん、それらの産業が栄えれば、関連産業も栄えるし、下請けも潤うだろう。技術立国日本として、誇らしいことだと思っている。
だが、世界で競争に勝ち抜いていくためには、安い労働力が必要だ。それで雇用柔軟型なんて言葉を編み出したんだな。あげくに、それ派遣だ。それ非正規だと来た。足りなければ、外国人労働者だ。極端なことを言えば、外国にモノを売るために、外国だけでなく、国内でも外国人を雇っているわけだ。こんなことでは、会社栄えて国滅ぶ、日本人みんな死ねだ。戦争を待つまでもない。だからこそ私は、この雇用の問題、生活困窮者の問題を第一に解決すべきだと考えているんだ。
だからと言って、憲法の問題をいつまでも先延ばしでいいと考えているわけではない。議論もしていく必要がある。だが、一気に国民投票にまで持ち込むのは反対だ。理由はさっきも言ったとおり、今の一党独裁体制のもとでは非常に危険だ。少数者の意見は聞かない。数の力でねじ伏せる。平気で嘘を付く。嘘を付く強い者に靡く。忖度する。官僚だけでなく、司法や野党までもだ。実に嘆かわしいことだな。いやそれどころか、恐ろしいことだよ。
バスに乗り遅れるな。大政翼賛会の悪夢だ。絶対にこんな状況下で憲法改正などしてはいけない。だからこそ私は、政権交代が実現できる強力な野党を作りたいと思っているんだ。何でも反対したり、互いに足を引っ張り合ったり、離合集散ばかりしているような野党ではなく。ましてや、政権に尻尾を振るような野党なんてクソ喰らえだ。以上」
すると、週刊『風聞春秋』の松尾が即座に手を挙げる。司会者が露骨に嫌な顔をして言った。
「あなたにばかりというわけにはいかないですからね。──どなたか別の社の方、挙手願えますか?」
しかし、松尾は食い下がった。
「最後にこれだけはどうしても聞かせてください。そうでないと、僕の背中に取り憑いているファットマンが勘弁してくれないんですよ」
「駄目ですよ。いい加減にしてください」
「お願いします」
二人で押し問答になっているところへ、中野が割って入った。
「いいじゃないか。質問させてやりたまえ。今日は時間をたっぷりとってあるし、何ならもう一日やっても構わない」
「それなら遠慮なく──。ああ、マイクをお願いしますよ」
司会者の許可も得ないうちから、松尾が係員にマイクを要求する。それが手渡されると、すぐに言い始めた。
「あなたは先程、日本で地上戦になったらもうおしまいだから、そうならないよう抑止力としての戦力が必要だというようなことをおっしゃいました。しかし、わざわざ日本にまで攻め込まなくったって、核ミサイルを何発かぶち込むだけでいいじゃないですか。それなら、みすみす自国の兵力を失うことなく、直ちに日本をギャフンと言わせることができますからね。だから、本当に抑止力と言うなら、日本も核を保有することが必要ではないですか? せめて、アメリカから借りることだけでも」
この作品はフィクションであり、実在する人物、団体とはいっさい関係がありません。




