四百五 てのどん、怒る
「第一、何だ、このお粗末な前文は?」
中野十一はペーパーを手にするや、指でパチンと弾いて言った。
「やれGHQの押し付けだ、やれ翻訳調の下手くそな文章だなどと難癖をつけてわざわざ書き換えるぐらいなら、もう少し理想を高く掲げた、美しい文章にしろってんだ。これじゃあ小学生のほうがよっぽどいい作文が書けるんじゃないのか?
具体的に読んでみると、『日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち』という書き出しで始まるが、そんなことは分かりきっている。日本の歴史と文化を愛すると言うなら、具体的にどんな歴史と文化を有するのかということを、もう少し格調高く謳い上げたらどうだ? いたずらに美文にすればいいというものでもないが、取って付けたような言い回しで、本当に日本を愛するというような気持ちが少しも感じられない。まあこれは、日本人一人ひとりの心の持ちようであって、あえて憲法で謳う必要もないことだが。
えーと、次だ。『我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し』とある。これもこのとおりだ。誰でも分かりきったことじゃないか。しかし、現行の前文にある『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し』という字句をさらりとフェードアウトさせている。自衛のための戦争はやむを得ないというものが、一つはあるかもしれない。
そしてもう一つ、あの戦争は当時の為政者たちだけではなく、マスコミや国民全員がこぞって邁進したものであるから、必ずしも政府だけの責任とは言えないというのもあるんだろう。しかし、いったいどうしてそのようなことになってしまったのか? それは、時の権力者たちが当時の憲法を踏み躙り、或いは拡大解釈し、かつ報道の自由及び国民の自由と権利を剥奪したことの結果ではなかったのか。そのことだけは、どこかにしっかりと明記しておくべきだ。今の憲法はその痛烈な反省の上にできたものだし、いくらGHQによってもたらされたものだろうと、国民の大部分がそれを理解し、承認しているのであれば、これは絶対に外せないのであって、単に『乗り越えて』の一言で片付けるわけにはいかないだろう。
次に移ろう。『日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り』とある。これも愛国心と同じで、国と郷土を守りたいという気持ちは、多くの人にあるだろう。だが、国を守るのに気概だと? 精神論なのか? これは9条にも関わることなので、あとで触れることにしよう。
続いて、『基本的人権を尊重する』とある。『日本国民は』という主語がそのままだ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと──。そもそも基本的人権を尊重するというのは、かつてそれを全く無視するどころか、抑圧したうえで戦争に突き進んでいった政府や権力者たちにこそ求められるべきことではないか。
同じく主語はそのままで変な文章だが、『和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する』とある。だが、これまでの政府の経済政策、それも行き過ぎた新自由主義に偏りすぎた政策が、家族やムラ、或いは共同体の崩壊をもたらしてきたのではないのか? いったい、どの口がそんなことを言ってるんだ。
続けて、『我々は自由と規律を重んじ』とある。しかし、すでに現行の第12条で、自由及び権利は『これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ』と、ちゃんと謳いこまれているじゃないか。にもかかわらず、わざわざ『規律』という語句を付け加えるというのは、いったいどんな意図があるんだろうね。
さて、本文に移ろう。新たに第3条として設けようとしているのが、『日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない』というものだ。何だ、偶像崇拝じゃあるまいし。愛国心というものは国民の間に自然に芽生え、発露されるものだ。そんなことを強制されたら、かえって愛国心が汚されるような気が私にはするんだがね。にもかかわらず、あえてこれを入れたいというのは、国家というよりも、時の政府や権力者への忠誠心を試すための踏み絵のようにしたいからなのか?
次、第12条。『国民の責務』として、『公の秩序に反してはならない』とある。この『公の秩序』というのは、9条の国防軍にも出てくるし、21条の表現の自由にも出てくる。ほかにもあちこち出てくるが、いちいち取り上げない。前文の『規律』という字句の件でも言ったが、『公共の福祉』という縛りがちゃんとあるにもかかわらず、なぜあえてこれを入れたいんだろう?
前に倣え! 右向け右! 直れ! 国旗掲揚! 敬礼! 国民は四の五の言わずに、全て軍隊式に、秩序正しく行動せよ! 政府には逆らうな、ということなのかな? そうではない。『公の秩序』とは社会秩序のことであって、平穏な社会生活を意味するということであれば、はっきりそう書けばいいじゃないか、『他人の平穏な社会生活を脅かしてはならない』ってな。単に『公益及び公の秩序』では、その時の政府の都合でどのようにでも解釈できるではないか。
まだまだある。新設の第24条。『家族は、互いに助け合わなければならない』だと? 馬鹿め! 言われなくともそうするわ。だが、そうしたくてもできない人たちはどうすればいいんだ。もしどうしてもこの条文を入れたければ、せめて、家族が互いに助け合って平穏に暮らせるように、政府は最大限の努力をしなければならない、としたらどうだ。世界人権宣言の16条3項にも謳われている。『家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する』とね。だが、現行の25条さえまともに履行できてないんだからな。そんなつもりは、さらさらないだろう。
まだまだいろいろあるが、最後に第100条。憲法改正についての条文だ。現行の96条では、『この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し』となっている。ところが改正草案では、『衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し』となっている。いやはや、これは実に由々しきこと、まがまがしきことだ。憲法は、国の最高法規であって、そんなに安易に改正していいものではない。こんなことを許していたら、時の権力者が自分の都合のいいように自由に憲法を改正して任期を引き延ばしたり、圧政を敷いたりすることができるようになるおそれがある。これは、実際にあちこちの専制国家で起きていることだぞ。日本をそんな国にしていいものか。
そうそう、さっきも言ったが、国防軍が公の秩序を維持するための活動を行うなんて論外だ。日本には優秀で、かつ民主的な警察組織があるんだから。さて、問題の9条だが──」
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