四百四 てのどん、歌う
「それではお言葉に甘えて──」
松尾はもう一度用心深く左右を確認すると、中野のほうに真っ直ぐ向き直った。座ったままマイクを握りしめて言う。
「くれぐれも言っておきますが、さっきの変な声は僕ではないし、そんないたずらをするつもりもありません。僕は至って真面目に聞いているんです。
生活困窮者へのあなたの思い入れはよく分かりましたが、先程の僕の問いには、まだ答えていただいておりません。繰り返しますが、生活困窮者が餓え死にしようが、勝手に自殺しようが、両方を合わせてもたかだか5千人に過ぎません。
一方、東京に核ミサイルを一発ぶち込まれただけで、推計値の中間を取ったとしても50万人が死にます。これは決して非現実的な話ではない。A国もB国もC国も、その気になりさえすれば直ぐにでもできることですよ。だからこそ一刻の猶予もならないし、今のうちからソフト面、ハード面の両方において備えをしておくべきなんです。それなのに憲法はそのままだし、軍備には膨大な金がかかるというのに、日本は世界屈指の債務超過国ときている。さあ、あなたはどちらの問題に先に手を付けますか? どちらか一方にしかお金を使えないとしたら、どちらに振り向けますか?」
「なるほど、これは確かに重いなあ」
中野も自席に座ったまま、マイクを持って答えた。
「さて、君の言うトロッコ問題だが、正解は既に出ているらしいじゃないか。つまり、分岐点にある可動レールってやつを中ぶらりん、つまり中立の状態にすれば、トロッコは脱線する。したがって、誰も死なせずに済むわけだ。私はこの「中立」というのを二つの意味で捉えたい。
一つは、中庸だ。どちらに重きを置くとか、どちらか一方だけを切り捨てるとかいうのではなく、程度とバランスの問題だと思う。しかし、時間的にどちらを優先するのかと問われれば、はっきり自信を持って答えよう。それは生活困窮者だ。理由は簡単だよ。現に今こうして話している間にも死んでゆく人がいるからだ。それを解決するほうが先に決まっているじゃないか。
そして、もう一つ大きな理由がある。それは今の一強多弱という国会の勢力図の中で、民主主義が完全に壊れてしまっているからだ。このような中で、憲法改正という、人の命に関わる重大なことを軽々に決めてしまっていいものだろうか? 反対意見に十分に耳を傾けることもなく、ただもう圧倒的な数の力で物事を強引に決める。やったことをやってないと平気で嘘を付く。公文書は失くす。隠す。改竄する。たかが五百円ののり弁を五千円と誤魔化す。政治に嘘が堂々とまかり通ってる。しかも嘘を付く強い人間に、政治家も官僚もこぞってなびいたり、忖度したりする。
昔なら、内閣の一つや二つ、とうに吹っ飛んでいてもおかしくはないぞ。これも野党がだらしないからだ。民民党をはじめ、憂民党、国民自立党、敬国律民党、みんな駄目だ。一時は大同団結しようとあれほどみんなでみんみんと騒いだのに、一夏の喧騒で終わってしまった。夏、夏、夏、夏、ナッスィングーで、今や空蝉状態だよ。
いや、むしろ抜け殻になってくれたほうがまだ増しだ。国民自立党、敬国律民党などは、近頃はやたら張り切って威勢のいいことばかり言っているが、要は慈民党にすり寄って与党になりたいのが見え見えだ。みんみんと騒ぐばかりで、国民のことはそっちのけ。頭の中は党利党略しかない。恥ずかしくないのか。節操というものがないのか。そんなていたらくだから、野党ではなくて「ゆ党」だなどと揶揄されているのだ。彼らが掲げる政策と言えば、確かに一部の国民には受けるだろうが、官僚がちょこちょこと作文すればできるようなことで、それを慈民党に認めてもらって実現すれば、私たちがやりましたと胸を張れるわけだ。ところが、その見返りとして慈民党の政策にも妥協しなければならなくなる。それが恐ろしい。
大政翼賛会よろしく、バスに乗り遅れるなだ。その結果どうなった? われわれ日本人はまた同じことを繰り返すのか? 私はこちこちの憲法擁護派ではないが、今のようなムードや勢いであれよあれよと行ってしまったら、国民の知らないうちにとんでもないことになってしまっていた、というようなことにならないだろうか? だからこそ、そういうことにならないように国民全体を巻き込んで、じっくり腰を据えて慎重に進めていくべきだなんだ。
君は背中にファットマンを背負っているぐらいだから、憲法改正草案は読んでいるだろう。一つ例をあげると、国防軍が公の秩序を維持するための活動を行うことができるとある。取りようによっては、どこかの国のように軍隊が自国民に銃口を向けたりできるわけだ」
 




