参百九拾五 妖怪、政界の冥主となる
「悪夢だと?」
五階堂は、それらの私語の一つに反応して言った。
「悪夢とは何だ、失敬な──。仮に百歩譲って、我々がただの夢を見ているにすぎないとしよう。しかし、夢を見ることがいけないのかね? 少し考えてもみたまえ。かつて忌まわしい時代があったじゃないか。事実が封印され、君たちマスメディアの口も封じられた時代だ。国民が嘘に騙され、割烹着で竹槍訓練をさせられた時代だ。死なずに済むはずの人たちが、果てしなく死んでいった時代だ。悪夢どころか、現実に起きたことだぞ。そんな、いつか来た道を再びたどることがないようにすることが、我々政治家の使命なんだ。それを追求しようとすることがいつか見た夢だと言うなら、それでも構わないさ。いつか来た道を再びたどることがないように、いつか見た夢を我々は何度でも見てやる。見るだけではなく、それを実現するためにね」
司会者の制止にもかかわらす、激したように更にまくしたてる。
「我々の目指しているものは、これまでの野党のように絶えず離合集散を繰り返すようなものではなく、永続的に国民の支持が得られるような盤石な政党だ。誰かが奇しくも言ったように、目指しているものは虹の彼方にあるのかもしれない。だが、必ずたどり着く。もちろん一時には無理だろう。まずは統一会派作りから行なうつもりだ。それから先は段階的に慎重に、かつ粘り強く進めようと思っている。以上だ」
彼の話は一応そこで終わり、質疑応答の時間となった。質問の多くは、次の2点に集中した。
1つ目は、主義主張のバラバラな野党をどうまとめるのかというもの。2つ目は、現実的に野党の全てをまとめるのは不可能ではないか。それでは数で劣る。今の政権を倒すのも不可能である。ひょっとして、与党の中に更に追随する者があるのか、ということだった。
1つ目に対する五階堂の回答は、これから野党の皆さんと話し合うと言うばかりで、特段の具体策はなさそうだった。これには記者の間から、失笑や溜息が漏れた。先程の彼の意気込みとは余りにも落差が大きかったからである。
2つ目に対しては、はて、私にも皆目分からんよ、政界の一寸先は闇とも言うからね、と空とぼけてみせた。
この記者会見の内容は大々的に報道されたが、ほとんど全てが批判的かつ辛辣な論調であった。彼の話が具体性に乏しかったというのもあるが、やはりなんと言っても、これまでの政界再編の歴史に皆が失望していたせいもあるのだろう。
だが、国会議員たちを色めき立たせるには十分であった。曲がりなりにも、五階堂は慈民党の前幹事長という実力者であったし、与党の幸民党との間にもパイプがあったからである。
彼は精力的に動いた。野党の党首や実力者と会談を重ね、マスコミの取材にも積極的に応じた。ところが、彼の努力にもかかわらず、野党との合意はなかなか形成されず、事態は膠着したままであった。
あるテレビ局の記者が、インタビューでこう質問した。
「やはりバラバラなものをまとめるのは、一筋縄では行かないと見えますね。虹は七色で美しいが、美しいだけに儚くきえてしまうものでしょうか?」
すると、五階堂は答えた。
「七色どころか、百色だよ。その色が、いろいろ言うんだ。あの色はいいが、この色は嫌だとかね」
「夢を諦めますか?」
「諦めやしないさ。私よりあとに来られる方がいる」
「それは誰でしょう?」
すかさず、記者が質問した。
「私よりはるか先を歩いておられる方だ。今に分かる」
五階堂はそう答えると、それから先はインタビューを打ち切らせた。
数日後、政界に更に激震が走る。何と、今度はあの中野十一が自分の派閥の議員とともに慈民党を飛び出したのである。
人数は33人と少なかったが、五階堂が先に結成していた新党『虹』に合流して、一挙に88人という大所帯となる。
五階堂は露払いの役割を担ったのか。しかしこれで、十一が88になった、それ行けパッパだと世間では大騒ぎになったが、党首は五階堂のままであった。それで、これまでのように黒子として動くのかと思われたが、そうではなかった。
彼はすぐに、『国政改革推進同盟』なるものを結成し、自分がその代表世話人として座った。これ以降、彼は『盟主』、或いは『冥主』と囁かれるようになる。
この団体は党派を超えて構成されるものであり、趣旨に賛同できる者なら、地方議員を含め誰でも加入できるというものであった。これを足掛かりに、一挙に政界再編に持っていくと、中野は記者会見で発表した。
この作品はフィクションであり、実在の人物、団体とはいっさい関係がありません。




