参百八拾九 4Gから5Gへ
「おっ、枕殿ではないか。よお、お出でなされた。さあ、こちらへ」
モンジ老さんが手招きをする。それからおれを見て言った。
「欽之助、名誉だと思うがいい。この御仁はな、心の卑しい者からは施しは受けぬからな」
すると、山中枕は弁解するように言った。
「いやあ、このわし以上の人間はおるまいという矜持は持っているが、何せこの雪の夜に米櫃が空ときては、背に腹は代えられぬ。人並みにこつこつと働いてきたというに、年老いてからもどうしてこんな目に遭わなければ不可いのかのお」
「お爺さん、どうぞ」
豆腐小僧が、紅葉豆腐を出す。
「お爺さん、どうぞ」
よんかいせいが、刺身コンニャクを出す。
「済まぬ、済まぬ。なにしろ腹が減ってるでな、まず食い物からいただくとするかな。や、これは美味い」
そう言いながらパクパク食っている。
この妖怪なら、爺ちゃんから聞いて知っている。山中などを歩いていると、いきなり歌を仕掛けてくる。ちゃんとした返歌をしないと、「父母は飢ゑ凍ゆらむ。妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ。これはもらうぞ。済まぬ、済まぬ」と言って、身ぐるみはがされてしまう。
いや、決してそれだけでは済まない。歌人などが夜中に句作をしている時に、現れることもあるらしい。それで、よりいいものを返そうと頑張ってはみるが、どうしてもできない。呻吟の末にそのまま死んでしまった者まで、過去には居るのだ。ムネウツロも大方その口だろう。くわばら、くわばら。
「おっ、これは何じゃ?」
グラスに一口つけると、枕さんが叫ぶように言った。
「それは、いいちこですよ」
とおれは教えてあげた。
「ほお。堅塩を肴に糟湯酒を飲むのとは大違いじゃなあ。いやあ、実に美味い」
そう言って、豆腐を食っては、いいちこをごくり。刺身コンニャクを食っては、またごくり。そのうち咳き込んで、鼻水をすすり出した。嬉しくて泣いているのか?
やれやれ、夢酔仙人に始まって、モンジ老と忘れん坊に山中枕……。これで4Gの揃い踏みだな。そう思った途端だった。「わしも、とうに宴に加わっているぞ」という声が聞こえた。
声の方向を見ると、掛け軸の絵が元に戻っている。牛の背に揺られながら、おれの爺ちゃんが悠然と瓢箪の酒を飲んでいる。
「爺ちゃん!」
驚いておれは叫んだ。
枕、モンジ老、夢酔仙人の三爺が、いっせいにおれを振り返る。他に忘れん坊も一緒なんだろうが、こちらからは見えない。おれに忘れん坊が見えないように、彼ら四爺にも、軸の中の爺ちゃんは見えないんだろう。
「あっ、済みません。ちょっと酔ったかな?」
皆が不審そうにおれを見るので、苦笑いしながらごまかした。
4Gどころか5Gだ。これなら、6Gになるのも案外早いかもしれない。
――いったい、今までどこをほっつき歩いてたんだよ。爺ちゃんがいない間、おれは大変な目に遭ってたんだぞ。
爺ちゃんに、そう念を送った。
――うむ、お前のことが心配で、こうして帰ってきたんじゃよ。だが、わしを頼りにしてはならぬ。コイブミを通して、お前に伝えたはずじゃ。あやかしや、この世に存在していないものの力を借りてはならぬと。現に、そこのモンジ老には、大いに懲りたろう。困難は自分の力で解決するんじゃ。
――あいつらを追っ払えとでもいうのか?
――そうは言っていない。あいつらは、ただお前が好きで集まっているだけだ。お前も嫌いじゃなければ、彼らの勝手にさせておくさ。
――でも、おれは、子供の時分に爺ちゃんから教えられたことで、随分助けられている。
――そう言われるのは嬉しい。だが、それは生前にわしが言ったことじゃろう? すでにわしは死んでおる。死んだ者の助けを借りては不可いし、あやかしの力を借りても不可い。それにお前にはあやかしは見えるが、妖力までは授かっていない。それはお前にとって幸いじゃった。
――分かったよ、爺ちゃん。でも、話をするぐらいならいいだろう?
――あとでゆっくりな。さあ、お前のために集まってくれたものたちと、もう少し付き合うがいい。
――うん、分かった。
と言っても、年寄りは年寄りだけで固まって話をしているし、女たちもいつの間にか、水かけ女を中心に井戸端会議をしている。子どもの妖怪たちも、さっきからトランプに夢中になっているようだ。
そこでおれは、アカオトシに話しかけてみた。
「あのう、ルイス・フロイスが風呂椅子を使ったっていうのは、本当ですか?」
すると、アカオトシは答えた。
「嘘だよーん、ヒック。第一さあ、ウイー、ヒック……あの頃の風呂って、風呂椅子なんざ使ってたのか、使ってなかったのか、こちとらには分かんねえな。レロレロレロ」
相変わらず褌に小袖を羽織っただけの姿だから、あぐらをかいた脚の付け根から例の見事なものが顔を覗かせている。頭はフラフラさせているし、目は@@だ。
ああ、もう……。いつの間にこんなになってしまったの? すっかりべろんべろんじゃないか。あの偉丈夫で恰好のいいアカオトシも、酔ってしまっては形無しだ。おれもこれからは、飲み方を考え直さなければなるまい。




