参百八拾五 モンジ老の失敗談
「それがまた、どうしてそんなお姿に?」
傘骨女は重ねてそう尋ねたあと、白い頬をぽっと朱に染めた。
「あっ、ごめんなさい。決して今のお姿を蔑んでいるのではありませんから。むしろ好ましくさえ思っております。ただ、訳をしりたくて」
「ハハハ。いいんじゃよ」
モンジ老さんは鷹揚に笑った。
「このわしとて、今の自分に満足しておる。なにしろ、衣食住の全てにおいて満たされておるんじゃからなあ」
そう言うと、また裸の腕を叺から出して、胸のあたりをポンポンと叩く。
それからまた、いつもの調子で嘯き始めた。
「これがわしの着物でもあり、寝床でもあり、棲処かでもある。そして、食は文字さえあればこと足りる。しかも、世界に尽きることがない。しかし、最近はその文字がすっかり不味くなってしまった。極めつけは「忖度」じゃ。もともとこれは、美しい日本の美しい言葉であったのに、近頃の人間が変な味付けをするものだから。
そこの男もそうじゃ。変な文字ばかりネット上に書き連ねては、たまたま出会った人間に食中毒などを起こさせておる。お蔭でわしも死ぬような目に遭ったわい」
おれは、再び飛んできた火の粉を振り払うように慌てて言った。
「それで商売を思いついたんですよね」
「どんな商売なの?」
傘骨女が目をキラキラさせながら聞くと、モンジ老さんはすっかり鼻の下を伸ばして答えた。
「うむ……。ネットには消したくても消せない書き込みが無尽蔵にある。たとえ消したとしても、消したそばから復元され、拡散されていく。それこそ不可説不可説転とな。それで困っている人間がどれだけいることか。
そこで報酬を見返りに、わしが片っ端から食ってやることにしたんじゃ。ところが削除依頼が殺到するわ、殺到するわ。個人事業主だから、高プロも裁量労働もへったくれもない。これに全部応じていたら、とうとう過労死寸前になってしもうた」
「まあ……」
「それでわしはIT企業を興して、優秀なSEやプログラマーを何人も雇うと、「モンジ老」というソフトを開発したんじゃ。これは優れものでな、わしの代わりにパソコンに常駐して、本人に都合の悪い書き込みを片っ端から自動で削除してくれるんじゃ。これが大当たりでな、わしは大金持ちになった。愛人もこさえて、太平洋に浮かぶ島を一つ買ってやったわ」
「男はちょっと金ができると、すぐに女をこさえるからね。全くどうしようもない動物さ」
と水かけ女が言った。
「不邪淫戒を犯したことにならないかね?」
狸婦人が、よんかいせいに聞く。
「したいか?」
よんかいせいが、その赤紫色の顔を老人に向けた。
「待った!」
モンジ老さんは慌てて言った。
「愛人とはいえ、わしはその一人の女だけに一途に尽くしたんだぞ。決して邪淫なんかには当たるまい」
「ふん。それならまあ良かろう」とよんかいせい。
「それからどうなったの?」
傘骨女がまた尋ねる。
「うむ……。わしはそれにすっかり味を占めての。今度は、「忘れん坊」というAIロボットを開発したんじゃ。妖怪仲間である忘れん坊の協力を得ての」
「どんなロボット?」
傘骨女は小首を傾け、ひたすら無邪気に尋ね続ける。これは確かに癒されるかもしれない。
モンジ老さんもすっかりご満悦だ。
「うん、あのね――」
いきなり口調が変わった。何が、「うん、あのね」だ。このエロじじいめ。こっちだって言われっ放しでおくものか。おれは根を持つタイプなんだから。
「何だと?」
ぎろりと睨まれた。
おっと不可い。おれはちょっと油断すると、念が駄々洩れになるのだった。酔ったらなおさらだ。
「ねえ」
傘骨女にせがまれて、モンジ老さんは鼻の下をますますダラーンと伸ばした。
「うん……。人間ってさあ、生きていると、色々な傷をこさえるよね?」
ど、どうしたんだよ、モンジ老さん。そんな気持ちの悪い喋り方を、いつまでするつもりなんだ? ひょっとして、ある一点を境に、いきなり崖から転がり落ちるように酔ってしまうタイプなのか?
おれは、今度はしっかり念を抑えながら、二人(?)を観察することにした。
「うん、うん」
傘骨女も、ますますうっとりとしたような目付きをしている。うーん、これは何だか剣呑な感じがしてきたぞ。




