参百八拾壱 妖怪、もうチョイ
これは手厳しい。やはりそばには居てほしくない奴だ。どうしておれの家に現れたのだろう。
すると狸婦人がムネウツロの肩を叩いて言った。
「およしよ、しらけちまうから。これじゃあ、私の立場がないじゃないか。折角あんたが腹を空かせてるだろうと思って、声を掛けてあげたというのに」
「同じ穴のタヌキ――、あっゴメンよ、つい」
水かけ女は、正面の狸婦人に向かって手を合わせると言い換えた。
「作家同士、御同業ってやつで、つい厳しくなるんだろうね」
おれは思わず心の中で叫んだ。そう呼ぶのはやめてくれ。おれは作家ではない。まともなものは、何一つ書けていやしないんだから。作家もどきですらないんだから――。
狸婦人は、三本の髭を揺らしながらふんと鼻を鳴らすと、身体を前に傾け、
「ねえ、あんた」
と、ムネウツロ越しに傘骨女に呼び掛ける。
「あんたは傷ついた者を癒すことができるんだろう。何とかしてくれないかい?」
傘骨女は、すぐ右隣のムネウツロの肩に優しく手を当てて言った。
「ねえ、機嫌を直しなさいな。今日は折角の宴なんだからね。私たちにはこんな機会は、めったにないのよ」
しかし、言われたほうは憮然としてグラスを傾けるだけである。
傘骨女はその様子を見て、
「この胸を冷たい風が吹き抜けている……」
と歌うように呟いた。
「さあさ、それそれ」
「それでどうなる」
狸婦人と水かけ女が、合の手のように言う。
「冷めた心は癒せぬか。われの思いも通じぬか」
傘骨女が和す。
「癒せぬか」
「通じぬか」
「さあさ、それそれ」
「それでどうなる」
狸婦人と水かけ女が、交互に囃すように言う。
「癒せぬならば、こうじゃわい」
傘骨女は片膝をつくと、ムネウツロの背中からいきなり片方の手を突っ込んだ。ぽっかり空いた胸から、骨だけの手が覗いてパーをしている。
女妖怪どもが一斉に唄う。
「お天道様、雲間からお久し振りと出るわいな」
ムネウツロはたまらず体をよじらせ、「ウッヒョッホ」と声を上げる。
あとの女どもはそれに合わせて、「ああ、こりゃこりゃ」と囃す。
「僕の繊細な胸をくすぐるのはやめてくれ」
ムネウツロが悲鳴を上げるように言う。
しかし、そのぽっかり空いた穴の中で、骨だけの手がお構いなくグーとパーを繰り返す。
「癒せぬならば、こうじゃわい」
「お月様が雲間から、お久し振りと出るわいな」
「アヒアヒ、ククク。ウッヒョッホ」
ムネウツロが体をくねらせる。
「ああ、こりゃこりゃ」
女たちが囃す。
これを何度か繰り返すうちに、ムネウツロがついに「降参だ」と言った。すると穴の中で骨だけの手が、チョキをした。いや、チョキじゃない。Vサインだ。
奴の撃退法が分かってにんまりとしていると、アカオトシが言った。
「さあ、ここいらで乾杯のやり直していたしやしょう。ああ、そのまま、そのまま。座ったままでいいですからね、グラスだけ持っておくんなさい。それでは皆さん、今後のお互いの活躍を期して乾杯!」
皆で一斉にグラスを持ち上げて乾杯をした。いや、あまり活躍されてもなあ……。そう思っていたら、玄関のほうから「御免ください」という女の声が聞こえた。
今頃誰だろう。京子が戻ってきた? まさかそんなことはあるまい。半ば期待しながら玄関に向かうと、もう一度「御免下さい」と言う。やはり京子の声ではない。
ドアを開けたら、一人の女が立っていた。透き通るように白い肌。長い髪。ぞっとするような美女である。白い着物姿の背後では、雪が渦を巻いている。どう見ても雪女だ。
「あたしも加えておくれでないか?」
「あ、構いませんよ。どうぞ」
「こんなのも居るんだけど、一緒にいいかい?」
女が脇に身体をずらすと、変なのがもう一体、立っていた。
子どもぐらいの背丈で、一枚のボロをまとっているだけである。極めつけは、口から一本の手がにょきっと伸びていることだった。どうやら「てのどん」のようである。
雪女が言った。
「この手でノックしようとするのを、少しためらっていたみたいでね。何だか可哀想になっちまって」
てのどんは、へへへと一度照れ笑いをした。それから、おずおずしながらおれに尋ねた。
「何か食い物はねーか?」




