参百八拾 欽之助、集中砲火
「でも、どうして……?」
唖然として尋ねた。どうして、またそんな姿に戻ったんですか、とまでは聞けなかった。
「うむ……、お主のことが少し気に掛かってな。だが、来て見るとバスガールは居ないし、賃貸契約書の文面は変わっておるし。いったい、どうなっておる?」
契約書の文面が変わっているって? そうか、呪いが解けて乱れ髪はもう出ないから、例の条項はもう必要ないわけだ。
「詳しいことはまたあとでお話しします。とりあえずお座りになりませんか」
「そうじゃなあ。近頃はつまらぬ文字ばかりで食傷気味だから、たまには人間の食い物も悪くないか」
「そうですよ」
アカオトシが言った。
「一緒にご相伴に預かりましょう。どうぞ、あなたは上座にお据わんなさい」
「何、こんな姿のわしが上座でいいのか?」
「あなたは、実に清廉な方とお見受けいたしやした。そんな方こそ、トップに立つべきなんです」
「あまり清廉とは言えぬでな……。しかし、折角のお言葉だ。甘えさせていただくとするか。皆さん、御免なさいよ」
モンジ老はそう言うと、床の間のほうに向かった。
「さあさあ、あんたもですよ」
アカオトシは、今度はおれに向かって言った。
おれはさっきからの顛末を、下座に近いほうの敷居の所で突っ立ったまま傍観していたのだった。
「いや、僕はいいですよ。あなたこそ」
実はおれは親しい者だけで飲むのは好きだが、宴会というものが大の苦手で、上座などには座ったことがない。
「ハハハ。何を遠慮なさることがありますかね。あんたは今日のホストだ。モンジ老さんとも積もる話があるんじゃないですかい? さあ、早くお行きなさい」
「分かりました。それじゃあ、遠慮なく」
おれは皆に一礼すると、モンジ老さんのすぐ横に座った。
「フフフ。あんたは本当に面白い人だ」
アカオトシは、相変わらず褌を覗かせた半裸姿で立ったまま言った。
「我々あやかしに対して、えらく不仕付け《ぶしつけ》な態度で当たるかと思えば、そんな風に謙虚なこともある。なかなかそんな人間にはお目に掛かれませんや」
「確かにそんな奴よのお。そこがまた可愛いと言えば可愛いのじゃが」
モンジ老さんが言う。
「それに頑固だ」
と高男が長い脚を投げ出したまま言う。
「大切なことはラポールだ。共感だよ。だが、その男は、いくら僕の股の下を潜れと言っても、決してくぐらない。そうすれば虹のかなたに行けるというのに」
「まだあるわよ。助兵衛だわ」
と傘骨女が言った。どうやら彼女は負けず嫌いなところがあるらしい。人を癒してくれる妖怪だと思っていたら、見当外れだった。彼女に呪われたら、肺炎で死ぬこともあると爺ちゃんが言っていたことを思い出した。
「うむ。それはわしも否定せぬ。実はこいつは性欲の塊なんじゃよ」
モンジ老さんがおれを見ながらそう言うと、女妖怪たちの間からキャーっという悲鳴が上がった。続いて、部屋中に笑い声が響く。
夢酔仙人ものけぞるようにして笑った。しかしその拍子に、柱でしたたか後頭部を打ち付けた。しばらく目を白黒させていたが、皆を見回すと、一人でまた大笑いしている。
「私たちにとっては、これが最高のご馳走さ。人間をからかうことがね」
と狸婦人が言った。
「本当にそうだね」
「そうそう」
「そう言えば、湯浴み乙女も言っておったのお。エッチ、変態、ドスケベ欽之助と」
わざわざバスガールのことを持ち出して、さらに追い打ちを掛けてくる。彼女のことを小水女呼ばわりしていた癖に、さすがに両親の前だから遠慮しているらしい。
「それに浮気者ですぜ」
と今度はアカオトシ。
「しかし、いざとなったら度胸がないんだからね。私の娘に対してもそうだった」
と水かけ女。
「その男に浮気ができる器量なんかないさ。たった一人の女さえ繫ぎ止めることができないんだからね」
と狸婦人が言った。
皆で笑い転げている間はいいが、段々雲行きが怪しくなってきている。すると、それまで黙っていたムネウツロが言った。
「あいつは腰抜けだ。僕のように命を削るぐらいの覚悟で小説を書いていない。第一ふざけている。小説というものを愚弄しているんだ」
座は一瞬静まり返った。




