参百七拾九 妖怪まだまだ
顔のない損多苦が、何事もなかったように立ち上がった。背広の第一ボタンをとめながら言う。
「それでは皆様、すでに宴たけなわではございますが、ここで開会の御挨拶をお願い致します。皆様、御起立を」
しかし、誰も従う者はいない。損多苦はありもしない口元に握りこぶしを当て、エー、コホンと咳払いをした。
「本日は公私御多忙な中を、ぬらりひょん殿にわざわざお越しいただきましたので、ぬらりひょん殿にお願いしようと思います。それではぬらりひょん殿、お願いします」
えらく「お願い」と「ぬらりひょん」を繰り返す。首から上がないくせに、いったいどこから声が出ているのだろう……。
「でしゃばるんじゃないよ、馬鹿」
水かけ女が言う。
亭主のアカオトシは、にやりと笑っておれを見た。ラポール鳥居は、座敷の一番端っこで長い脚を持て余すように座っていたが、これもおれのほうを振り返ると、肩をすくめてみせた。夢酔仙人は瓢箪から酒を注ぎながら、相変わらず笑い転げている。
すると、ぬらりひょんがぬらりと立ち上がった。やはり、何事もなかったような顔をしている。
「えー、それでは開会の御挨拶ということで承りましたが、大変僭越ではございますが、乾杯の音頭と兼ねて行わせていただきますので、御唱和のほどお願いします。エー、コホン。それでは救い主の御生誕を祝って乾杯!」
「カンパーイ」
グラスを上げて唱和したのは、背広の妖怪だけだった。ラポール鳥居は腹を抱えて笑いだした。
「馬鹿だね。本当に馬鹿だ。何であんなのに忖度なんかするんだろう」
水かけ女が吐き出すように言う。
「どっちもどっちだよ。さっきあれほど言ってやったというのに、あいつらときたらホント馬耳東風だね」と狸婦人。
「馬の耳に念仏とも言うよ」
と、水かけ女が返す。
「豚に真珠。馬の耳にイヤリングね」
傘骨女も負けずに言う。
「そいつは耳標だろう」
水かけ女と狸婦人が即座に突っ込む。
「下っ端はそうやっていつも管理されているの」
と傘骨女。
「何かあると最後は辞表を書かされる。ところが親玉は知らんぷりなの」
「ふーん」
女の妖怪たちがそんなことを話し合っていると、遠くのほうでガラガラガラ、ドタン、バタンという音が聞こえてきた。そのうちだいぶ近付いてきて、近隣四方で響き渡るようになった。どうやら雨戸荒らしがお出ましのようだ。
「やれやれ、これだからのお。全く女どもというのは始末に負えんわ」
ぬらりひょんがそう愚痴をこぼしながら、腰を下ろしかけた時だった。
閉まっていた障子が、いきなりバタンと開いた。驚いて外を見ると、何時の間にかまた雪が降り始めている。すると、家のあちこちからパキパキという音が響き始めた。家鳴りの御登場である。こいつは、雨戸荒らしの友だちだ。それぞれ単独で行動することもあれば、一緒にやり始めることもある。
「静かにしておれ! 有象無象の外野どもめ」
ぬらりひょんが天井を睨みつけながら言った途端、今度は雨戸がガラガラ、バタンと閉まった。それはすぐに開いたが、空いた空間はお多福のような大きな顔で一杯に占められていた。大顔女である。
「うっひゃあ」
ぬらりひょんは腰を抜かしている。
たちまち女たちから総攻撃を受ける。
「何だね、情けない」
「日頃は威張っているくせにさ」
「弱い者はいじめる。強い者には震え上がる。その典型だね」
「追い出しちまおうよ」
誰かがそう言うと、大顔女はお多福から般若の顔に即座に変わった。耳元まで避けた口から大きな赤い舌を伸ばしてきて、ぬらりひょんの首筋をぺろりと舐める。
「うっひゃあ」
ぬらりひょんは再び悲鳴を上げると、這うようにして座敷から逃げ出してしまった。損多苦もあとに続く。
すると、入れ替わりのようにまた変なのが入ってきた。
「何だい、ありゃあ?」
自分が変なのも意に介さぬかのように、振り返りながら言う。
「モンジ老さん!」
おれは喜んで声を上げた。
前回会った時は高級スーツに、何やら金ぴかするものをジャラジャラ言わせていたが、以前のように莚をまとっただけのみすぼらしい姿に戻っている。




